- あの作品のまさかの続編⁉︎
- うーん、いつもの岩井志麻子節
- 何となく気持ちわるい
- おススメ度:★★★☆☆
「ぼっけえ、きょうてえ」はJホラー史に残る強烈な不気味さと鋭さを備えた傑作だと思う。未だに岡山弁で語られるドロリとした雰囲気と最終行の鮮烈さは記憶に残っている。1999年の作品なので、22年ぶりの続編ということになる。例によって本の紹介文を転載する。
コレラが大流行する明治の岡山で、家族を喪った少女・ノリ。
ある日、日清戦争に出征しているはずの恋人と再会し、契りを交わすが、それは恋人の姿をした別の何かだった。
そしてノリが生んだ異形の赤子は、やがて周囲に人知を超える怪異をもたらしはじめ……(「でえれえ、やっちもねえ」)。
江戸、明治、大正、昭和。異なる時代を舞台に繰り広げられる妖しく陰惨な4つの怪異譚。
あの『ぼっけえ、きょうてえ』の恐怖が蘇る。
「でえれえ、やっちもねえ」は岡山弁で、「物凄く、怖い」と文中で紹介されている。ちなみに「ぼっけえ、きょうてえ」は「とても怖い」という意味らしいので、タイトルだけ見ればほとんど同じ意味である。4つの短編が収められているいるのも同じ。とはいえ、前作のお話の続きという訳ではなく、話の雰囲気と構造を似せた別物と言えるだろう。
表題作は、前作の特徴としての、岡山弁による奇怪な話、不幸な女性の物語である、身体異常、最後の1行にオチを集約するスタイルなどが踏襲されている。とはいえ、雰囲気は全く違う。前作が閉じた空間の中での一瞬の戦慄を切り取ったに対し、今回はコレラ禍(虎狼痢)の明治時代を舞台に薄幸なノリという女性というより「おんな」の半生が描かれている。ネタバレを避けて書くと、途中に重要な出来事が起こるが、それ自体には明確な理由が分からなかった。ノリは耶蘇神と同じ誕生という設定なので、例の話を逆流させているような印象もあるが、かと言って宗教的な話でもない。結局、著者特有の「おんなの情念」のようなものが、常に低い温度で燃えている感じの話だった。期待のオチは、前作の衝撃は無いものの、色々想像できるものではあった。簡潔に言えば、それなりに読めるが、前作には遠く及ばない、という評価だ。「ぼっけえ、きょうてえ」単体は今でも、短い文章の一行一行が危ない何かを放っているように感じる。
それよりも最初に収録されている「穴掘酒」の方が、「ぼっけえ、きょうてえ」に近い雰囲気である。刑務所から刑期を終えて出所した女性が、かつての良人に手紙を書き続けるという一種のストーカーモノになっているが、後半に入って明かされる猟奇事件は短い中にも中々複雑な情景があり、最後の一文も今後の暗い未来を示唆しているようで味わい深い。ただ、話自体は非常にストレート且つ単純で、筆力で読ませるタイプだ。
この二話は男の方が怖いという話で、何となく前作から対をなしているのかなと思う。最近、さっぱり怖く無い話ばかりを読んでいたので、さほど怖くは無いが、落ち着いたホラーとして、この二篇だけなら★3.5〜4.0くらいあってもいいかなと思える。
残り二話は正直詰まらない。「大彗星愈愈接近」は子供の頃行方不明になった女性が精神だけ子供のままで婆さんになって戻ってくるという話だが、艶もミステリも無く、奇譚といえば奇譚だが、何の感慨も覚えないような乾いた話。最後の「カユ・アピアピ」は長い割に何が言いたいのかよく分からない作品で、大正の「目覚めたる女性」が、目覚め過ぎて男の尻(?)を追いまくるそんな話。最後に意外性があるが、どちらかと言えば幻想階奇譚で、最初の二つとは趣は全く違う。
全4話のアベレージが高くないのは「ぼっけえ、きょうてえ」と同じだが、部分部分には、にわかホラー作家では表現できないような暗い世界が示されるので、相性が良ければ読んでもいいと思える。私も女性作家とは中々合わない性質だが、岩井志麻子は嫌いじゃないかもしれない。
最期に余計な話になるが、表紙だけはめちゃめちゃ不気味だ。そこだけは前作より格段に上。「甲斐庄楠音《幻覚》大正9年頃」とキャプションにあるが、世界は広い。こんな絵を描く人もいるのだ。まだまだ、ホラーの神髄は見切っていないのかもしれない。
(きうら)