★★★★☆

カルヴィーノまみれ~木のぼり男爵/不在の騎士/ある投票立会人の一日

投稿日:2018年5月10日 更新日:


木のぼり男爵(イタロ・カルヴィーノ、米川良夫[訳]/白水Uブックス)

不在の騎士(イタロ・カルヴィーノ、米川良夫〔訳〕/白水Uブックス)

ある投票立会人の一日(イタロ・カルヴィーノ、柘植由紀美〔訳〕/鳥影社)

  • カルヴィーノの1950年から60年代にかけての仕事から。
  • カルヴィーノの変幻自在の作風とは。
  • とりとめのない連想的な会話です。
  • おススメ度:★★★★☆

【登場人物】
《父》:「私」
《娘》:「あたし」

【夕刻、リビング、父登場】
《父》:ただいま……あれっ、お姉ちゃんも帰ってたの?
《娘》:あっ、パパ、お帰り。うん、今日バイトなかったから。ママたちは、塾の説明会か何かで、帰るの遅くなるけどさ。
《父》:あっ、そうなの。それじゃあ、晩飯はどうしようか?
《娘》:先に食べといてってさ。あたしはまだお腹すいてないけど。
《父》:そうなの、じゃあ、私もみんな帰るのを待つかな。そんなに腹も減ってないし、ちょっと本も読みたいし。
《娘》:ああ、カバンの中が膨れてるのは、本買ってきたからか。何買って来たの?
《父》:ああこれ?これは、ちょっと新刊とか、色々ね。見る?
《娘》:もちろんでしょ。(本を受け取る)どれどれ、あれこれ買ってきたわね、あっ、またカルヴィーノの本買って来たの?うちにいったい何冊あるのよ、カルヴィーノ。
《父》:えーと、20冊以上はあるかな。
《娘》:まあ、それはいいんだけど、この『木のぼり男爵』って、持ってたでしょ。また同じのを買ってきたんだ。
《父》:うん。
《娘》:ふーん、前に薦められて読んだ『まっぷたつの子爵』が面白かったから、これも読もうかな。でも、なんでおなじ本ばかり持ってるの。『木のぼり男爵』だけじゃなくて、他の作品もかぶってるのあるでしょ?この前あたしが読んだ『不在の騎士』だってそうだし。
《父》:それはね、前に持ってた白水社版の『木のぼり男爵』の字が小さすぎて、で、この新しいやつは改版されてて、これ、本当は買うつもりはなかったんだけどさぁ、この前買った復刊された本の字体が小さくて、なんというか字体が大きいのは、やっぱりいいなって思って、カルヴィーノの新しい短編集が国書刊行会からでたついでに、えいやって、これも一緒に買ってきたんだ。
《娘》:ふーん、まあ字が大きいのはいいことよね。年寄りには。だったら、電子書籍か何かで見ればいいのに。
《父》:いや、あれはね、使い勝手が分からないというか、結構目が疲れる感じがするしね。チカチカするっていうか。
《娘》:そんなことはないけどなぁ。まあ、でも、見やすいと思うほうがいいしね。で、その字体が小さかった「復刊本」ってなんなの?
《父》:いやそれはね……
《娘》:どうしたの?見せられない本なの?
《父》:いや、そうでもないけど……
《娘》:じゃあ、見せてよ。いかがわしいやつでもないんでしょ。
《父》:うんまあ、そういうやつではないね。(本棚の奥から一冊の本を取り出す)じゃあ、見てみる?
《娘》:(本を受け取る)どれどれ、ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥(参考リンク・Amazon)』、うわっ、なんかタイトルはいかがわしい感じがするわね。これは知らないわ、南米の作家か。
《父》:いや、そんなにいかがわしくはないよ。まあ、でも全くそうとも言えないところもないし、どちらかというと、「エロース」的なものはあるかもね。
《娘》:それはどういうこと?
《父》:うん、それは、隠されるものを抉り出そうとすることが読者に要求されることによって引き起こされる、「エロース」的な感覚という意味だね。
《娘》:……?、それはよく分からないけど、隠されるから見たくなるということかしら。だとすると、読者が複雑さを読み解くことにおいて顕れる世界を開いていくことなのかしら。
《父》:うん、まあ、今言ったことは適当なんだけどね。
《娘》:なんじゃそりゃ。

【『夜のみだらな鳥』から、娘の夢へ】
《父》:まあ、これは普通に読むと、何が書いてあるのか分からないというか、通常の因果関係通りにすすむような、起承転結がしっかりしているような、なんのストレスもなく読み流せるような作品では「ない」ってことだね。
《娘》:ふーん、でも、この本の帯には、
「望まれない畸形児《ボーイ》の養育を託された名家の秘書ウンベルトは、宿痾の胃病で病み衰え、使用人たちが余生を過ごす修道院へと送られる。尼僧、老婆、そして孤児たちとともに暮らしながら、ウンベルトは聾啞の《ムディート》の仮面をつけ、悪夢のような自身の伝記を語りはじめる……。」
って書いてあるけど、こういう話なんじゃないの?
《父》:うん、そうなんだけど、だからといって、そういうすんなりしたストーリーものではないね。普通の人が考える物語っていうのは、いわば「統一性という観念が、つねに同一の人間であるという牢獄」に閉じこめられている、ある意味素直すぎる読み手が思いつくものなんだね。むしろここでいうのは、「炎や影のように絶えず変化する」ような、そういう、語り手がいるはずの時空的な位相の変化や転移を読み取ることが求められるんだね。
《娘》:うーん、それは分かったような気がするけど、でもなんで、そんなにややこしい書き方をするのよ。ふつうに書けばいいじゃない。だって、やっぱり、面白いってのは、すんなり楽しめるものじゃないと。
《父》:うん、まあふつうはそれでいいんだけど、ややこしくすることであらわになることってあるよね。
《娘》:それはどういうことで?
《父》:例えば、お姉ちゃんが、SNSとかでわざと仲間内にしか通用しない記号的な表現を使ったりするよね。
《娘》:それはするけど、それは単に限られた範囲でしか使わないからでしょ。でもこれは、一般に公表してるものでしょ。
《父》:そうだよ、でも、その、通用するってことは、読めるってことだからね。
《娘》:ああ、そういうこと。読むためのコードが内在化されているってわけね。要するに、こういう本を読むには、ある程度のリテラシーみたいなのが試されるってこと?
《父》:まあ、そういうこともあるよね、ってこと。それと、こういう書き方をして、ではいったいここには何が書かれていないかを探るのもおもしろいかも。それは、いわゆる「まとも」なものが書かれる世界ではないということかもしれないよ。もしくは、「まともさ」とは何なのかが問われてるというか。
《娘》:うーん、普通の小説はだいたい「まとも」な世界を「まとも」に書いてるけど、なるほど、それって逆にいうと結構いびつなことなのかもね。だって、人の精神はそんなに「まとも」にできてるわけじゃないし、人との会話なんて、結構時空間の軸がぶれたりするしね。
《父》:そうだね、時空間もそうだし、話す時の時制だってこんがらがるし、話題の関心も非連続的に繋がったり、人格が入れ替わったような語りつまり何かが憑依したようなかんじになったりもするし、もちろん性別だってそうだし、口調もいろんな方言を交えたり、前時代的なそれにもなったりと、まあ、喋りが乗ってくると、外から見たら何話してるか分からないようなドライヴ感が生まれたりしないでもないからね。
《娘》:そこまでいくとカオスすぎてついていけないかもしれないけど、結構指示代名詞ばかりになって、当事者でも内容が通じてるのか分からなくなって、でも会話が楽しめてる感があるってことはあるか、友達同士だと。でも小説の場合はそれがなかなかできないでしょ。「まともさ」を「まとも」に書くという、ふつうに流通している通俗小説しか書きにくいわけだし、でも、それでいいと思うんだけど。
《父》:そう、だから、普通の起承転結がしっかりしてる小説ってのは、人の精神を安定させるにはいいんだけど、それでは書ききれないものがあるかもしれないってことだよ。
《娘》:じゃあ、この作者がそうだったってこと?
《父》:それはちょっと分からないけど、「解説」を読むと、そういうものはあったのかもしれないとは思うよね。
《娘》:じゃあまず、その「解説」を読めってこと?
《父》:いや読まない方がいいね。まずは、分からないなりに、この小説世界に浸る方がいいね。
《娘》:ふぅん、でも何かちょっとくらい教えてよ。
《父》:じゃあねぇ(ページをめくる)、ちょっとこの部分を読んでみて?ここには、その帯に書かれた「畸形児《ボーイ》」が生まれた時の描写のとこだけど。
《娘》:(父から示された部分を読む)うーん、この描写はすごいわね、「(前略)……それは渾沌あるいは無秩序そのものであり、死がとった別の形、最悪の形だった。」ってあるけど、ちょっと名状しがたいわね。なるほどね、この《ボーイ》の表現は、この本を読んでいないけど、錯綜した物語の感じが出てるわね。
《父》:そうだね、それに、この書き手であるウンベルトの妄想のおぞましさとか混迷さとか、また、書き手側の時空間についての認識の混乱とか、果てには、自分の身体に関する見当識を失った感じとかが、にじみでてるよね。これって、いわば、「まともさ」の基準はあるのかってことを、「まともさ」を標榜する読者に逆照射してることかな。そしてね、この《ボーイ》のために畸形者をたくさん集めて、《ボーイ》の世界が世間でいう畸形の側ではなくて、畸形者である《ボーイ》にとっては「畸形者としてのまともさ」をもった世界であるという空間がつくられるんだけど……
《娘》:ええっ?、それって、この前読めって薦められた、乱歩の『孤島の鬼』みたいな、「不具者」だけの世界を作ろうとしてってこと?
《父》:うんまあ、動機はちょっと違うと思うけど、似てるようでいて違う感じもするかなぁ。また考えてみるよ。
《娘》:で、その畸形者の空間でどうなるの?
《父》:うん、その場所は「リンコナーダ」っていうところなんだけど、そこで《ボーイ》の世話を任されたウンベルトの方が、畸形ではないゆえに畸形にされてしまうという、そういうねじれた感じも出るんだけど。
《娘》:なるほどね、「まともさ」の基準がひっくりかえるのか。そういうものだと思って読んでしまえば、面白く読めそうだけど、あたしはまだちょっと読めないかな。わけがわからなくなりそうだし。
《父》:うん、まあ、それを楽しむというか、まあ、細部を楽しめばそれなりに面白いと思うよ。
《娘》:細部を楽しむものなの?
《父》:いや、分からないと思えば、とりあえず章ごとを楽しめばいいんじゃないかと。登場する場所でいえば、修道院や「リンコナーダ」といったところで、そこにどういう人たちがいるのか、そして語り手であるはずの「ウンベルト」の、その語っている境位がどこにあるのか、または、語りそのものが臨界を迎えて、とんでもないところへ向かってしまうという、そんなところに面白さがあると思うよ。まあ、織物全部を見渡す必要はないんだよ。ひとまずは、気に入った細部の模様を楽しむっていうか、そうやってみていった細部を後で自ら再構成してみてもいいし。
《娘》:ええっ!?、そんな読み方してもいいの?
《父》:もちろんこれはひとつの読み方だよ。小説を楽しむのは、なにも試験問題じゃないんだから。読み方がひとつに収斂するわけないじゃないし。
《娘》:そっか、それを聞いて安心した。あたしって、どうしてもわからないところがあると、そこで躓いちゃったけど、ある程度適当でいいのか。でも、これは難しそうだから、他にいろいろ読んでみて、それからこの『夜のみだらな鳥』に挑戦してみる。まだあたしには難しそうだし。
《父》:そうだね、それがいいかも。でも、分からないなりに読んでみるのも、若い時の読書にとっては結構大事だからね。私も若い時は、わけも分からずに色々読んでたし。って、まあ、この本も完全に理解できてるわけでもないしね。あっ、でも二度目からは、なるべくきちんと読んだ方がいいよ。
《娘》:わかった。それで、話は変わるんだけど、分からないというと、この前見た夢が変な夢で、なんか今の話聞いてたら、ちょっとそれを思い出しちゃった。
《父》:へぇ、どんな夢?
《娘》:それがね、最初は池のほとりに立っているんだけど、水面がなんか波立って、そこに映っている人の顔が見えなくて、どうしても見たいんだけどやっぱり無理で、で、諦めてたら場面はどこかの街並みに変わってて、そうしたら、目の前にその探してた人が歩いてるって気がしたのよね。「あっ、あの人だ」って思って、声をかけたんだけど、振り返ったら全然別の人で、「あっ間違えた」って思ったら、その人が「おれはお前を探してたぞ」って言うのよ。それで、あたしは何もその人のことを知らないのに、向こうはこっちを知ってる風な感じで、バンバン話しかけてきて困ってしまったって夢で……
《父》:へぇ、そういう変な感じは夢で見たことあるよね、誰か分からない人と、なんか知り合いみたいな感じで話し合うっていうのは。
《娘》:そうなんだけど、いつもと違うのは、こっちに強烈な違和感があるってことね。向こうはこっちを知っているのに、あたしは向こうを全く知らない、っていう断然感というか、齟齬みたいな感じがすごいリアルに思えて、なんか、そのうちにあたしの存在が後ろに置いて行かれるというか、既知と未知とがこんがらがって、ありえない風景を見たような感じになるのね。
《父》:それはなんだかすごいね。
《娘》:そうなのよ。それで、仕方なく話してたら、いつのまにか森の中に迷い込んでて、ここがどこなのか分からなくなって、さっきまで一緒にいたはずの人も分からなくなって、独りで森の中を歩いてたら、なんだか、どこを歩いてるのかそもそもあたしが何なのかさえ分からなくような感じがして、「うわーっ」って駆けだしたら、ようやく森の中から出られたの。そしたら、目の前には遮るものが何もない草原みたいなのが広がってて、「ここどこなんだろ」って思ってたら、100メートルくらい先の方で、人がたくさん集まってるのが見えたから、ようやくほっとしてそちらに向かってったのよ。そしたら……
《父》:そしたら?
《娘》:そしたら、だんだん近づいたら分かったんだけど、その人たちってのは、生きてる人間じゃなくて、全員がマネキン人形みたいな、全く動かない人間の形をした何かだったのよ。
《父》:へぇ、それはまた怖いね。
《娘》:うん、怖いっていうか、あたし、それ見た瞬間に「あっ、これは完全な人間の姿だ」って思ったの、なぜだか分からないけど。それで、そのモノたちのすがただけじゃなくて、行動というかやろうとしていることがこれまた狂気を思わせるものだったの。
《父》:どんなものだったの?
《娘》:うん、それがね……だいたい全員がまる裸で、ある一組のカップルは上半身同士が癒合したようなひとつのモノになって今にも淫靡な楽しみに耽りそうな勢いのまま氷ついた感じで、別の一組はこうやってもう一人の首に手を持っていて今にも恍惚のよだれが口元から溢れだすのを待ち受ける鳥のような鳴き声をあげようとしているようで、他にも、こうやってお尻の穴から手を突っ込んで口の方まで伸ばしていって奥歯ガタガタいわせたろうかみたいなそんな愉悦の遊戯を画策しているようなモノたちがいたり、かと思うと、ふたりが向かい合って何もせずに微妙な角度で目を合わせないようにしてるんだけどそのうちにそれが崩れてお互いが融解しだして二人の首がそれぞれナメジクの角のようになっていくようなそんな潜勢力を秘め持っているモノたちがいたり……とまあ、そんな感じだったんだけど……
《父》:それは、ちょっと、私には何とも言えないけど、夢の中でそう思ったってことだよね?
《娘》:まあ、それはあたしがそのモノたちがそうするんじゃないかと思ってるだけなんだけど、それより、一番怖かったのは、そのモノたちの背中に当たる部分に裂け目があって、その裂け目があたしに「ここに入れ、ここに入れ」ってささやき続けるの、で、それは絶対にしてはいけないって思って拒否しようとするんだけど、だんだんその裂け目が大きくなって、こっちに近づいてくる気がしたから、あたしは思いっきり「やだーっ」って叫んだら、夢から覚めて、身体を見たらもう汗まみれで、びちゃびちゃだったのよ。
《父》:それは、すごいね。っていうか、すごいのかどうか分からないけど、だいたい夢見た人にとってはすごい迫真力があるんだろうけど、聞いてたら、結構まとまってる話だから、たぶん、お姉ちゃんの見た感覚の100分の1もこっちには伝わってないんだろうな。
《娘》:たぶんね、そうなんだけど、あたしがいま考えたのは、ほんと、悪夢みたいな世界をまともに描ける作家ってすごいなってこと。
《父》:ああ、それはわかるよ。悪夢みたいな世界は、けっして夢と同じではないだろうからね。

[筆者注:『夜のみだらな鳥』は、版元がアマゾンと取引していないため、アマゾンでは新品を購入できません(蛇足ですが)/編者注:ということなので参考に貼りましたが、著者的視点ではAmazonで買われることはあまり好まれないと思われる]

【カルヴィーノに関しての放恣な会話】
《娘》:それで、また違うこと思い出したんだけど、その『夜はみだらな鳥』には修道院が出てくるみたいだけど、この前読んだカルヴィーノの『不在の騎士』だと、語り手というか書き手は「修道尼」だったわよね。
《父》:そうだね、『不在の騎士』だと、語り手のその修道尼がじつは×××だったのが意外だったよね。
《娘》:そうそう、まさか読んでる時は×××だとは思わなかったから、ちょっと驚いちゃった。これが読書の楽しみのひとつなのよね。たぶん予想した人もいるかもしれないけど、やっぱり何も知らない方がおもしろいわよね。
《父》:そうだね。
《娘》:ところで、今あげた二作品とも修道院?が深く関係してるんだけど、これはなんでなの?
《父》:それはあれかなぁ、『不在の騎士』だと中世が舞台だから、修道院が文化的なセンターとして機能していたってことなんだろうけど、『夜のみだらな鳥』の場合は現代ものなのに、そうじゃないよね。むしろ、「魔女」とか妖怪といった「中世」的な妄念がもちだされて、逆に時代が遡ったというか、『不在の騎士』よりも中世的な感じかなぁ。よく人が口にする通俗的イメージの暗黒時代的なそんな感じかなぁ、違うかもしれないけど。
《娘》:なるほど、読んでないけど、パパの話を聞く限りでは、まだ魔術的な回路がいきてるってわけね、南米文学だけに。それに比べて、『不在の騎士』は、結構まともな話じゃない。一応中世の「騎士道物語」とか色んな物語の形を取ってるけど。
《父》:ああ、そうかもね。鎧の騎士にはなんの仕掛けもないよね。魔術で動くとかそういうものはなさそうだし、たしか。
《娘》:そうそう、魔法とかはなさそうだけどね。で、その『夜はみだらな鳥』に出てきたっていう「畸形」もいないしね。
《父》:あっ、でも(一冊の本を取り出して、パラパラめくる)えーとね、ここでカルヴィーノが話してるのはね、

「物語の真の主人公は、いずれにせよ、魔法の指環なのです。……(中略)……魔法の指環を囲んで一つの重力場のようなものが形成され、それが物語の場となっているのです。魔法の品は、人物同士、あるいは出来事と出来事のあいだのつながりをはっきりとわからせる記号(しるし)だと言うことができます。」
(『カルヴィーノ-アメリカ講義』)

ということで、ここでいう「魔法の指環」的な存在が鎧の騎士である「アジルールフォ」なんだろうね。
《娘》:(その本を見て)なるほど「語りの一機能」として、魔法的なのね。
《父》:まあそうだね。それに、『不在の騎士』にも、おかしな人物はたくさん出てくるけどね。それは、現代の文脈に通訳できそうなきもするし。でも違うかな。うーん……あっ、それで思い出しけど、ちょっと前に出たカルヴィーノの『ある投票立会人の一日』って本は、現代のイタリアを描いたリアリズム作品なんだけど、この話は、主人公が選挙の投票立会人として、「コットレンゴ」という「宗教施設の救護院」にいる障害者や病人の投票を見守るというものなんだけど、この障害者たちは、ある政党の票田としてある意味利用されるんだけど、それでも、その「隠された世界の住人」たちは、「まるで自分の存在がようやく公認されたかのようなある種の自尊心を誇示してい」るんだよ。
《娘》:ふうん。同じ宗教施設といっても、ふたつの作品を比べたらちがうってことなのかな。
《父》:まあそうだね。そもそも、『夜はみだらな鳥』の修道院は取り壊されようとするんだからね。で、それは措いとくとして、お姉ちゃんは『不在の騎士』はどうだった?
《娘》:まあまあ面白かったよ。でも、最初にこのタイトル見たときには、「いつ行っても留守にしてる騎士」の話かと思った。
《父》:ああ、なるほど、そういう意味での「不在」ね。そんな捉え方はできなかったな。
《娘》:そうそう、その騎士に用がある人たちが、いつ行っても留守してる家の前で「騎士さーん、いないんですか?」って呼びかけて、いつのまにか、その人たちが騎士の家の前に集まるようになって、ここに住んでる騎士はどんな人物か、その騎士にどんな用があるかを話し合うって内容かと思った。
《父》:なんか、それって、どこかで聞いた内容だね。まあそれはいいとして、本当にそんなこと思ったの?
《娘》:えー?、そんなわけないでしょ。
《父》:だよね。
《娘》:そりゃそうでしょ。そんなアホなこと思うわけないでしょ。まあそれはいいわ。それよりもさぁ、この「不在」ってのは、何が不在なのかしら。きちんと騎士は、鎧として存在してるんだと思うんだけど。で、これ読んだとき、まっ先に思いついたのは、「ハガレン」の「アルフォンンス」なんだけど。
《父》:ああ、『鋼の錬金術師』のことか、そうだね、鎧だけが自立して動くってとこは似てるんだけど、どうなんだろ、あのアルフォンスってさぁ、身体を失って魂だけを鎧に定着したわけでしょ。
《娘》:そうよ。だから、アルフォンスって、肉体だけが不在の存在で、鎧は魂の同一性を担保する座として機能しているわけよね、それだと、『不在の騎士』のアジルールフォとは違うと思うんだけど。だって、アルフォンスには、元に戻るための肉体がどこかに存在するってわけだから一時的な不在でしょ。それって最後に消えてしまうアジルールフォとは、どう考えても存在としてのあり方が違うんだけど。
《父》:そうだよねぇ、そういえばそうとも言えるというか。つまり、アジルールフォには、形式という鎧だけで、中身としての身体はないってことだね。
《娘》:そうそう、たぶん元々身体のないアジルールフォは、そもそも身体の不在なんていう状態じゃないのよ。だから、さっきあたしが言った例えだと、騎士は留守にしてるんじゃなくて、そこには誰も住んでなくて、最後は家がなくなってしまって、結局そこに誰が住んでたのか分からなくなるというか。
《父》:なるほど、そうか、それで思ったんだけど、アジルールフォが最後にふつうの人間との間で引き裂かれるとき、消え去るしかなかったってわけか。
《娘》:どういうこと?
《父》:簡単にいうと、完璧だったアジルールフォが人に絶望して消えさるというのは、現代人的な分裂の傾向を表してるってこと。で、それは、カルヴィーノ文学に散見されるって思うってこと。例えば、『ある投票立会人の一日』では、

「ファシズム以前とファシズム政権下、そしてその後も、統治する者とされる者という相も変わらない分断の構図だった。」(P23)

っていう一文があるんだけど、この「分断」は、カルヴィーノ作品にあるモチーフのひとつとして見られるんじゃないかと。
《娘》:ああ、それって、あたしが読んだやつだと、『まっぷたつの子爵』がまさにそうね。善と悪に分かれてしまう話だからね。
《父》:そうだね、あれは最後にはアマルガムみたいになるんだけどね。そして、『木のぼり男爵』では、語り手からは主人公とされるコジモが、その身を地上から引きはがして、生活の場を樹上へと移すんだ。
《娘》:へぇ、『木のぼり男爵』ってそんな話なんだ。てっきり、木のぼり自慢の男爵の話かと思った。
《父》:いや、それはあながち間違ってないよ。実際、その男爵のコジモは木のぼりが得意だからね。で、そのコジモは、「かたつむり」を食べるのを拒否して家を飛び出して、一生を木の上で過ごす生活を送るんだけど、彼はいつも地上に想いを寄せながらも、樹上に暮らすという枷を半強制的に課されることになるんだけど、その樹上生活が、地上生活と比べても遜色ないくらい彩り溢れてるんだよ。恋ももちろんするしね。私も木のぼりはよくしたから、その光景はなんとなく分かるけどね。
《娘》:へぇ、木の上ってそんなに違って見えるんだ。
《父》:全然ちがうよ。同じ高さの建物とはまるで違う風景が広がってるように見えるよ。
《娘》:なんだか、その話聞いてたら、ジブリあたりでアニメ化したらおもしろそうじゃない。
《父》:ああ、それはおもしろそうだね。木の上へと生活の場をうつす、というか、人生を木の上で過ごすことによって、地上の世界のあり様がはっきり見えるとともに、コジモは自分が地上とは隔たった世界にいるという感じになるのかなぁ。それとも、地上のしがらみから脱したというのか。それは、映像化しやすいのかな。
《娘》:なるほどね、で、『不在の騎士』は、騎士としての同一性に疑いをもたれたアジルールフォが、最終的にその存在ごと、「不在」の状態というより、非在へと引き裂かれるわけね。
《父》:うん、そうなんだけどね、この作品はカルヴィーノの60年代以降の作品への画期となるというか、ある意味鎧を脱ぐような感じでいう脱皮みたいに作風を変えていく、その画期だね。
《娘》:どういうこと?
《父》:それはね、『ある投票立会人の一日』の訳者である柘植由紀美の論考でこう書かれてるんだけど、

「人間の内臓よりも人間の表皮の形の方に関心を持つカルヴィーノという作家の嗜好」(「逆転する作家――カルヴィーノ文学とヴィットリーニ」)

というところがあるんだけど、この「内臓」は内容だとしとこう。で、「表皮」に擬せられる鎧という形式を、カルヴィーノはその都度の関心でもって付け替えていって、内容を重視しなくなるというのかな。重視しなくなるというと言い過ぎだけど、「内臓めいたものの中に真実を探ろうという嗜好を持たない作家」(「同前」)であり、「内臓を取り去って表皮だけを好む作家は、当然の道行きのごとく文学作品の形式に強い関心の矢を向けることになる」(同前)といわれるカルヴィーノのありようを示しているような気がするんだけど。
《娘》:そのあたりは、あたしは分からないけど、アジルールフォが鎧を脱いで消え去ったのは、カルヴィーノの違ったスタイルへの変化というか、従来とは違う叙述形式への転化を示しているわけね。
《父》:そうそう、『不在の騎士』では、鎧そのものが「騎士道物語」の形式を表していて、そして、その単純な物語構造にあきたらなくなって、というかそれでは描ききれないものが生じて、アジルールフォが消え去ったように、また違った語りの形式へと生まれ変わろうとするんだ。それが、この後のカルヴィーノ文学の一作ごとの脱皮的な変化へと通じている気がするんだ。
《娘》:なる……ほど、アジルールフォの騎士としての同一性に疑義が呈されるとき彼の存在が揺らぎ始めるように、文学の書き手にも変化がおとずれて、ひとつの物語構造の枠にはおさまれなくなってしまう。そこにはカルヴィーノ文学の未来の航跡が先駆的に表れているってことね。
《父》:そう、かもしれないし、そうじゃないかもしれない。その傾向が『ある投票立会人の一日』にもあらわれてるんじゃないかと。このあとカルヴィーノはSF風なのを書いたり、「枠物語」を書いたり、いろいろな形式を身にまとうからね。
《娘》:本当のところは分からないけど、あたし的には『木のぼり男爵』を読んでみたくなった。
《父》:うん、読むといいよ。面白いし、私はこの作品がカルヴィーノ作品でベスト3に入るくらい好きだから。
《娘》:そんなにおもしろいんだ。
《父》:うん、おもしろいというか、なんか、人生について色々考えてしまうというか。
《娘》:へえ、深そうな感じか、それでいておもしろいのね。
《父》:深いかどうかはともかく、緑に覆われた世界をコジモが縦横無尽に駆け抜けたり、ある女性との恋愛とか、色んな人との別れとか、まあ、なんか失われた時代への郷愁を感じてしまうところもあるよね。
《娘》:ふぅん、最後も気になるわね。
《父》:『木のぼり男爵』のラストも、なんというか、また違うものへと生まれ変わるように旅立つかんじかなぁ。
《娘》:まさに、軽い感じで、存在を消し去っていくわけね。
《父》:そうそう、文字通り「軽ヴィーノ」ってかんじだね。
《娘》:……?、あっ、ママたち帰ってきたから話はまた今度ね。じゃあ、あたしも「娘」っていう表皮を脱ぎ去って、また別のものに生まれかわって……

(つづく、かもしれない)

(成城比丘太郎)




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