★★★☆☆

メメント・モリ(後藤明生/中央公論社)

投稿日:2018年9月27日 更新日:

  • 「私の食道手術体験」という副題
  • 自らの「入院雑記」を基に再構成したもの
  • 後藤式に綴られる入院体験など
  • おススメ度:★★★☆☆

【私と後藤明生との出会い】

後藤明生(ごとうめいせい)は、日本の小説家で、「内向の世代」の一員とされる。先日の、『櫛の火』の記事でも書いたが、「内向の世代」の作家については何人か知っていて、作品をいくつか読んだことがあるものの、その「内向」が何を差し、何を意味するのかは知らない(興味がない)。だから、これから私が書くのは、内向の後藤明生についてではなく、単なる後藤明生の作品について、私の前に現れるままのものである。「内向の世代」論なるものは、ひとまず棚上げにするのである。

後藤明生は、1999年8月に67歳で亡くなっている。私が後藤の作品を読みだしたのは、実は、同じ年の10月頃である。であるから、私が後藤作品を初めて意識的に読みだしたときには、この作家はもうこの世にいなかったのである。もうこの世にいないとはどういうことか。今読んでいる作品の著者は、つい先ほど亡くなったが、それが読書においてどういう意味をもつのか。それを問いながら読むことになってしまった。もしかして、これから読むのは、明治大正昭和の文豪のようなかんじで、昔の人の作品になってしまうのか。つまり、私にとっては、後藤は過去の文豪と同じカテゴリーに入れられそうなのか。

話はそれるが、同じように、読んだ時にはもうすでにこの世にいなかった作家として安部公房がいた。私が初めて安部公房の作品を読んだ年の前年に、彼は亡くなっていた。安部公房もすでに過去の人だったのである。しかし、この二人とも、私にとって過去の作家ではすまされないものがあった。亡くなったのが近年だからという意味ではない。それよりも、今でもまだどこかで生きているのではないかという、私にとって現在性を持った作品(の制作者)として臨在していたのだ。

作家とその作品にどのような関係があるのかは措いておき、作品だけみると、私にはまだそれを書いた人物が死んでいるとは思えなかったのである。もちろん、同時代に読めればよかったのだが。ここで、ふとニーチェのことが頭に浮かんだ。ニーチェがショーペンハウエル『意志と表象としての世界(Ama/1)』に出会った時には、ショーペンハウエルはもうすでにいなかったはずである。その出会いがニーチェに何らかの影響を与えたように、私もまた後藤明生の作品に何らかの影響を受けたといえるかもしれない。

私は、ニーチェとその本との邂逅が何を意味しているのか、その本当のところの意味を知らない。それよりも、話は、私と後藤明生との出会いである。後藤作品は、日本文学とはこんなおもしろいのかという発見を私の頭から掘りだしてくれた。要は、私が後藤明生の作品にようやく出会ったというだけであるのだが、私がまだ鼻をほじりながらアホなことを口から漏らしていた少年時には、すでに後藤はこんなにおもしろい作品を生みだしていたのである。

ここで、私と後藤明生との出会いについては終わり、ここに取り上げた『メメント・モリ』について探り入ってみよう。

【本書をめぐるアレコレ】

話はまた、私事に戻ってしまうが、私は基本的に、日本語で書かれた書物ならなんでも読んでやろうという意気込みを持っている。まあ、だいたいこんな人は多いと思うが、私もその末席に加えてもらっているのである。しかし、そんな私でも、読むのが億劫だなと思う書物がある。それは、いわゆる作家の闘病記なるものである。

今では、ネットなどで個人の闘病記のようなものがあふれていると思うが、その昔は、一部を除くと、有名作家でないとそのようなものは出版されなかったかどうかは分からないが、とにかく私は闘病記なる看板を前面に出された書物を前にすると、足踏みしてしまうのである。

これが、病人が書いた創作や、病について書かれた小説であれば読めるのである。例えば、『病短編小説集』(平凡社ライブラリー(Ama))に収録された海外作家の作品などは興味深く読めるし、日本人作家でいうと正岡子規はいうにおよばず、北條民雄のものは深く読めそうだし、島木健作などはかなり同情的に読むことができる。ここで、「島木健作など」というように、「など」という書き方をしたのは、他にもこういった作家はいるのだが思いつかないだけである。書いていて、今思い出したが、福永武彦作品もそうであるし、福永の闘病記的なもの(『福永武彦戦後日記(Ama)』に書かれたようなもの)は、しんみりと心にしみた。

では、なぜ闘病記がダメなのかというと、それは単なるフィーリングである。「これは俺様の闘病記でござい」みたいな表題が付けられた書物は敬遠しがちなのである。そんなものは、健康人が読んで感動すべきなのであるという偏見をもっていたのである。もちろん、後藤明生のこの本がそんなものではないだろうという予想はつくのだが、しかし、もう十数年も、どうしても最初の1ページから先が進められなかったのである。

【『メメント・モリ』を読んだ理由】

では、なぜこれを読もうと思ったのか。または、読みすすめることができたのか。それは、ひとつには、来年が後藤明生の没後20年に当たるようだからである。没後20年とは、すなわち、私の後藤歴20年の節目なのである。没後の年数は誰にも一定なものだが、その作家の愛読歴という年数は、読書家それぞれにとって変数的なのである。そういうわけがあるので、是非とも、来年までには未読の本を読まなければならないのである、というちょっとした決意なのである。

ふたつ目の理由として、近年、相次いで出版されている後藤明生の本に影響されたといえよう。そして、電子書籍でも簡単に後藤作品が読めるようになったこともあげられる。国書から後藤明生コレクションが出されたし、『壁の中(Ama)』が復刊されたし、対談編なども出されたし、「いつ読むの?」という情勢が醸成されてきたからである。もちろん、すべての著作を読むつもりはないが、主要作品は読むつもりなのである。

みっつ目の理由として、最近読もうとしだしている、高橋三千綱『作家がガンになって試みたこと(Ama)』(岩波書店)がある。「読もうとしだしている」とは、なにやら変な日本語だが、次のようなわけである。これを部分的に読んでいたところ、結構面白そうなので、闘病記もありかなと変節しかけたところ、家人が先にこの本を取り上げてしまい、読むことができなくなってしまったので、それならこちらを先にと、これを契機に、『メメント・モリ』を読みだした次第である。

とにもかくにも、こうして私はようやく、十数年の時を経て、『メメント・モリ』を読みはじめることができたのである。

【病気(病人)とはなんやねん】

ここで、私の筆はとまらざるをえなかった。まず「病気」とは何かということである。しかし、そのような専門的なことは、この記事の本題ではない。そのことはまたの機会においておこう。問題なのは、「病人」もしくは「病人」としての自己意識なのである。高橋三千綱は先に挙げた本において、自らの身体の変調について、あるいは「ガン」という病気について、自分なりの意志をもって知ろうとしている。高橋は、ここではかなりの露悪的ともいえる闘病生活を披露している。私にはとてもマネできないことばかりである。作家はこうでなければならない、とは思わないが、これはひとつのモデルケースとして、反面教師的としておもしろい本かもしれない。とはいえ、まだ全部読んでいないので何とも言えない。

一方、後藤明生は、まず自らの病名を詳しく書かない。まずは、『メメント・モリ』の帯に載せられた惹句的文章を見てみよう。

「作家、五十五歳。
夜を徹してのタバコの
煙の中で作品を書き
早朝、ウイスキーで
くつろぐ毎日。
食道に変調が生じ、
入院、全身麻酔、
九時間の大手術、
そして蘇生、療養。
この“未知との遭遇”と
禁酒禁煙の日々を
ふりかえる全記録。」

まずタバコの本数であるが、後藤は入院前まで「セブンスター」を毎日八十本吸っていたそうである。さらに、過去に十二指腸潰瘍で入院していた時には、病室で隠れて四十本吸っていたほどのヘヴィースモーカーだったのである。そして、「食道の変調」として本書には「キズ」と書くだけである。あるいは、食道の潰瘍手術とだけ書いている。しかし、『挟み撃ち』(講談社文芸文庫(Ama))の「年譜」には、1987年(昭和六二年)に「食道癌で虎の門病院に入院」と書かれている。やはり癌であったのか。まあ、私は、後藤の最期のことを知らないので何とも言えないが。ここで、『後藤明生コレクション(5)(Ama)』の「後藤明生年譜」をみると、「一九九九年(平成十一年)」の「八月二日午前八時二十八分、肺癌のため逝去」と書かれている。肺に癌が転移していたということか。ところで、亡くなった日時をみると、「八」の文字が三つある。ここには、『蜂アカデミーへの報告』との、何らかの符号はないのだろう。

それから、本書帯には「全記録」と書かれているが、全部ではないかもしれない。なぜなら、術後の後藤には「のっぺらぼー時間」というものがあり、意識がはっきりしない時があったからだ。もちろん、それを含めての記録だが、本書は、闘病記録をそのまま載せているのではなくて、過去の記録を基に当時の入院生活などを再構成したものであるからである。それらを含めて、本書を楽しめて読めた。変な言い回しだが、病人としての後藤が生き生きと感じられる文章である。このことが、私に、後藤明生はまだ生きているのではないかという錯覚を抱かせるのである。

さて、では、後藤にとって病気(病人)とは何であったのだろうか。そもそも、後藤は高橋と違って、自らの病名やそれに関する詳しいことについて、医者などに尋ねないのである。医者が説明したことも頭に入っていないように、ここでは書かれているのである。これはなにも、医者のパターナリズムというわけではない。後藤が何も知ることをしようとしない、というように本書で書かれているだけなのである。後藤は、自らの病気を「謎」として捉えようとしているのである。あるいは、入院生活における他の患者などとの人間関係を活写しようとするのである。

そもそも、この『メメント・モリ』はノンフィクションではないのである。いくら私小説的作家であるとはいえ、自らの体験をそのまま載せるのではないからである。そうでなければ、私小説作家は、すべてノンフィクション作家になってしまう。おそらくインフォームド・コンセントという概念はなかった30年前のことであるから、何も知らずに手術に臨むことはあったかもしれない。あるいは何かを知っていても書かなかっただけかもしれない。このことは、作家論的にはおもしろいかもしれないが、ここでは触れないでおく。

ところで、シオランは次のように書いている。

「病気は、私たちが病名を告げられ、頸に縄をつけられる瞬間から、ようやく自分の病気となるにすぎない」(『生誕の厄災』(Ama)

シオランは不眠症や鬱を抱えていたそうである。私たちが、何かの不調を感じたとしても、それを何らかの病気(病名)と同定されなければ、私たちはまだ病人ではないのである。ここで話題はまた逸れて、私事に及ぶが、私は病人歴30年になる。しかし、私の病気が権威者によって特定されてからは25年なのである。つまり私には、病人としての履歴には空白があるのである。要は、遡及的にその前の5年間も病人であったとされたのである。であるから、私は病人という「健康の欠如者」として、あるいは「病人という他者」としては約5年間認知されなかったのである。何が言いたいかというと、後藤明生は、本書において、何も知らなかった自らが、食道の異変を抱えた病人として自己認知しようという記録を書こうとした、と読めるかもしれないのである、ということなのである。

「病気」についての哲学的考察として、鈴木晃仁は次のように書いている。

「健康な個人は、みずからの身体と精神、そしてそれが生活している世界を自明なものとして生きている。しかし病気はこの自明性を消滅させ、世界と自己とを解体させる。(中略)病気は私たちをいま・ここの苦しみに釘付けにし、未来が不確定な闇であることが私たちを不安にする。このように、病気は身体・空間・時間といった、我々が生活している世界の基本的な構造を変容させる。」
(「病気」『事典哲学の木』、講談社(Ama)

このように、「現象学的なアプローチ」として捉える「病気」を、『メメント・モリ』において後藤明生は記録的に書いたのではないかということなのである。とくに、全身麻酔による術後の経過は、後藤に何かしらの影響を与えたのである。それが読みどころのひとつ。

術後、後藤明生は「生還」し、それから約10年あまりの生を生き、作品をいくつか上梓するわけなのであるが、そのことについてはまたの機会に何らかの書物でも読んでみてみよう。

【まだ読んでない本がある】

こうして、ようやく私は『メメント・モリ』を読んだわけである。ひとまず、何かの安堵を得たわけである。いや、宿題をはたした感じである。しかし、私にはまだ読んでいない後藤明生の主要作品があるのだ。それは、『吉野大夫(Ama)』である。なぜ読んでいないのか。残す主要作品はこれだけなのである。実は、これにもまた浅いわけがあるのである。

この『吉野大夫』の文字を見た時に、私はなぜか、「大夫」の文字を省いてしまって、「吉野」だけに注目したのである。奈良県の吉野である。しかも、この作品(『吉野大夫』)は「谷崎潤一郎賞」を受賞しているのである。谷崎といえば、名作である「吉野葛(Ama)」があるではないか。であるから、私が、『吉野大夫』のことを、「吉野」のことについて書かれた小説だと受け取っても仕方のない部分があるのではないだろうか。

こうして私は、「吉野」のことについて書かれた『吉野大夫』を夢想して読み始めたところ、1ページ目にして、そのような内容ではないことに躓いてしまったのである。これは、「吉野大夫」という、ある遊女をめぐって書かれたものであることが判明したのである。奈良県の吉野ではなく、人物のことだったのである。私の不見識ゆえの勘違いだったのである。このことに落胆した私は、『吉野大夫』が読めなくなったのである。

ところがである。来年までになんとか『吉野大夫』を読まなければならないと、パラパラとページをめくっていたところ、後藤明生自身が谷崎の「吉野葛」について触れている文章が目にとまったのである。しかも、後藤は「吉野葛」についての短文も著しているらしいのであるうえに、吉野にも行ったことがあるそうなのである。これはもう読まなければならない、と決意への扉を押す時がきたのである。ようやく『吉野大夫』を読む態勢になったのである。

【吉野について】

その、谷崎潤一郎の名作「吉野葛」は次のようにはじまる。

「私が大和の吉野の奥に遊んだのは、既に二十年ほどまえ、明治の末か大正の初め頃のことであるが、今とは違って交通の不便なあの時代に、あんな山奥……(後略)」(『吉野葛・蘆刈』岩波文庫)

この岩波文庫版には、「創元社版の潤一郎六部集『吉野葛』(一九三八年)」より吉野地方の「写真(北尾鐐之助)」が転載されている。この写真がいつ撮られたものか分からないが、自然の光景は現在とあまり変わっていないような気がする。谷崎は「あんな山奥」というが、今も昔も吉野はまだましである。むしろ、吉野より南方に位置する村々の方がよほど秘境である。西日本有数の秘境といっていいであろう。十津川村や下北山村などは、行くだけでも大変である。それらに比べると、吉野は鉄道も通っているし、コンビニや大きなスーパー等もある。ただ、残念ながら(?)、これから先、吉野に麻雀部がある女子高ができることはなさそうなのだが。

奈良県吉野で思い出したが、「ゆりやんレトリィバア」なるお笑い芸人がいる。彼女は吉野町(国栖)出身である。このゆりやんは、以前「ロケみつザ・ワールド」という深夜番組で、流暢な英語を披露していた。その番組は途中で打ち切りになり、彼女に注目していた私は残念に思った。三重県のとある観光地でロケを行う彼女のもとに、番組MCの月亭八光が訪れて番組の終了を告げた時の、彼女の驚いた顔は忘れられない。数年後に、ピン芸人として彼女が出てきたときには、おおっと思ったものである。その後の活躍はご承知の方もいるとは思う。

私は、ゆりやんのことを書きたいのではなかった。吉野について書きたいのである。彼女の出身地とされる吉野町国栖というのは、有名な宮滝遺跡の近くである。吉野宮と比定される遺跡である。ゆりやんは、自らの故郷を「ど田舎」というように語っていたのだが、確かに奈良の市街地に比べると田舎なのだが、先にも書いたように、吉野は奈良南部と比べると、田舎ではないのである。むしろ、隣の東吉野村の方が「ど田舎」である。

私は、この東吉野村には度々訪れるのである。吉野町にある「西行庵」に行きたいと思いながら、いつも足は東吉野に向くのである。なぜ行くのか。目的地のひとつとして「丹生川上神社中社」があるのである。この神社については、ウィキペディアで見てもらえればよい。この神社の主祭神は『古事記』でいう「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」である。このカミサマは水の神であり、国産みの際にイザナミの尿から生まれたとされているのである。この神社は、奈良県の神社では、私の中で上位にくるくらい好きな神社である。それはなぜか。静かだからである。田舎道の途中に突然現れたこの神社は、なんてことのない静謐さを漂わせていて、道路向かいには高見川が流れ、その河原からは晩秋になると紅葉がまあまあ楽しめる。

イザナミというと、なんといっても、イザナギとの国産みであろうが、ここで、先日取り上げた古井由吉『櫛の火』が出てくるのである。『櫛の火』の櫛とは、イザナギが黄泉国に向かった際に着用していた櫛である。

「[イザナギは]櫛の歯の一番端にある大きな歯を一本折り取ると、そこに火をつけて、辺りを照らし見ながらそろそろと御殿の中へと進んだ」
(『現代語訳-古事記』福永武彦・訳、河出文庫(Ama)

イザナギはこの後、櫛の火で照らされた、イザナミのおそろしい姿を見るわけだが、私も、この「櫛の火」を目印に、このどこへ向かうのか分からない記事をもう少しだけ続けていこうと思う。

私の足は、ここから東吉野村から県境を越えてみたい。東吉野から高見山の峠を越えて、三重県飯高(現・松阪市飯高)に入りたい。飯高は、あの小津安二郎が教員をしていたところでもある。この飯高もなかなかの田舎である。あるのは、山と川だけである。ここで私は野生のニホンカモシカを見たことがある。私の住まいの近くにもニホンカモシカが出たことはあるが、この地で初めて生で見た時には感動した。しかし、感動したものの、そのニホンカモシカが、単なる灰混じりの黒い毛だまりのようにも見えたのも事実。

ここで、ニホンカモシカということで思い出されるのが、ニホンオオカミ(狼)である。東吉野村には、「ニホンオオカミの像」があるのを思い出したのである。また、私は東吉野に戻るが、野生のニホンオオカミが最後に捕獲されたのが、この東吉野村なのである。現在、その像があるのだが、それは車で通ると、すぐに過ぎ去ってしまうので、いまだにはっきりと見たことはない。以前私は、ニホンオオカミについての本を読んだことがある。その書名については書かない。ただ、ニホンオオカミ研究の現在について書かれていたことを書いておく。

ひとつは、ニホンオオカミを、日本に復活させようとする立場から書かれた本である。要は、トキのように日本にオオカミを輸入して、復活させようとするわけである。それは危なくないのか、人間を襲いはしないのか、という疑問がわくが、どうやらその著者によると、オオカミは鹿や猿を食するので大丈夫だとのこと。しかし、自宅の近所には猿が集団で現れるし、私も国道沿いで鹿に出会ったことは何度もある。ということは、オオカミもやってくるかもしれないのである。オオカミをゲノム編集(?)するなりして、人間だけを襲わないオオカミを生み出せれば、もしかして復活の可能性が微粒子レベルで存在する道がひらけるかもしれない。

もうひとつは、ニホンオオカミは滅んでおらず、目撃例もあり、その個体発見に努めるべきだという立場から書かれた本。こちらは、ニホンオオカミはまだ生きているというスタンスだが、ロマンとしてはおもしろい。私も生きていればいいなと思う。ひとごとながらそう思うのである。

そろそろこのブログ記事の旅を終われという、リトル私もしくは第三者の審級からの声がきこえてきた。終焉を迎えなければならないのである。終焉というと、この東吉野村は、天誅組終焉の地としても有名である。私は、『実録天誅組の変』(舟久保藍・著、淡交社(Ama))を手にこの地を巡ろうかと思ったが、時間がないとのことである。少しだけにとどめておくことにしよう。天誅組は本当に悲しい存在である。早すぎた尊王攘夷運動である。まあ、いずれ誰かが仕掛けていた倒幕運動であるが、その先駆けとなったのが天誅組である。何が悲しいかというと、幕末ドラマなどではほとんど言及されないからである(おそらく)。私は、天誅組義士の墓とされるところに赴いて手を合わせようかと思ったのだが、どこにあるのか探すのも面倒なので、いつも墓がある方を向いて、手を合わせるでもなく、帰路につくのであった。いずれまたここを訪うこともあろう。そのときまで、瞑目していることを願うばかりである。

【さいごに】

ここまで読んでくれた人がいたら、あなたは本当に素晴らしい人です。ありがとうと、感謝を伝えたいです。
さて、もし万が一、後藤明生について興味をもたれた方がいらっしゃったならば、今だと、電子書籍版で簡単に読めます。『挟み撃ち(Ama/電子版)』とかいいのではないかと思います。もしくは、国書刊行会から出された「後藤明生コレクション」を順に読んでいくのもいいかと思われます。もし、それでおもしろければ、『壁の中』をお薦めしときます。

(成城比丘太郎)


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