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★★★★★

人の砂漠(沢木耕太郎/新潮文庫)

投稿日:2018年12月2日 更新日:

  • 1977年に出版された「敗れた者」たちのノンフィクション
  • 書かれた時代は古い、しかし、驚くほど現代の問題に直結している
  • 読み物として単純に面白い。久しぶりにそう思った
  • おススメ度:★★★★★

私は沢木耕太郎という著者と「馬が合う」と思っている。椎名誠や岡本綺堂もそう。誰でも贔屓にする作家はいる。今回の感想は、そういう「ファン」が書いたものなので、いくぶん割り引いて読んでもらった方が良いかも知れない。

それにしても面白い本だった。ここのところ、★3や2の本ばかり紹介していて、ひょっとして私の本を読む感受性そのものが衰えたのかも知れないと密かに危惧していた。しかし、この「人の砂漠」を読んで、それが杞憂だったと感じた。やはり面白いものは面白いのだ。ホラーでもないし、2018年現在で34年前のルポルタージュである。私は生まれてはいたが、まだおしめの取れない幼児だ。その時代に、こんな作品が書かれていたとは……。

内容を簡単に説明すると、社会の落伍者、今風に言えばマイノリティとなるだろうか。とにかく、そういう社会的に「人生に敗れた人たち」「虐げられた弱者」を取材し、若き沢木耕太郎(20代)は、その内面に存在する人間の強さ・美しさ(あるいは同義の醜さ)を描こうとしている。そして、それは驚くほど鮮明で興味深い。その選んだテーマは、一周して現代のテーマと重なっている。8つのエピソードを書き出してみると次のようになる。ただし、ネタバレが気になる方は、敢えてここで読むのを止めて本書を読まれた方が良いと本気で思う。カッコ内は私が読み取れた主題だ。

おばあさんが死んだ(孤独死)
棄てられた女たちのユートピア(売春婦のコミュニティの真実)
視えない共和国(台湾との国境である与那国島のバブル)
ロシアを望む岬(北方領土問題の実際)
屑の世界(底辺と呼ばれる業種の生きざま)
鼠たちの祭り(相場師たちの壮絶な人生)
不敬列伝(天皇陛下に「不敬」を働いた人間のその後)
鏡の調書(ある天才詐欺師である老女の記録)

どうだろう? 2018年12月1日現在、どれも話題になっている題材ばかりだ。孤独死などは、もう何十年も形を変えて語られているし、今まさに、天皇家の話題で持ちきりだ。ビットコインは暴落し、現代の「相場師」たちは激しく浮き沈みを繰り返し、北方領土はきわどい交渉(揶揄)が行われている。売春婦は「パパ活」と名前を変え、梅毒は増加の一歩を辿り、台湾や中国との関係はしきりに取り沙汰されている。詐欺や底辺(と呼ばれる)労働者は、資本主義社会の宿命でもあるかのように、日夜、盛んに悲惨な運命を報道され続ける。間違いなく古い話であるのに、読むのを止められなかった。そして、素直に面白いのだ。理由は簡単だ。

著者がその命を削って、取材対象に向き合っているからだ。

インターネットが普及して、私たちはフェイクに慣れすぎてしまった。事実でないことも、特定のメディア、特定の方法で配信されれば、それは事実となりうる。しかも、TVや大手ネットサイトでない個人でも条件がそろえばそれは可能だ。ある意味、本来困難であるはずのドキュメンタリーがフェイクの殻をまとって溢れかえってしまった。もちろん、真実も混ざっているだろう。だが、私の大学時代の情報学の教授が言っていた通り「情報の選別」が極めて困難になり、それそのものが価値のある商品になってしまった。

この本で描かれる人々に沢木耕太郎はどうやって取材したか? インターネットで調べたのか? それは言い過ぎだが、何かの記事を元に文章を起こしたか。否だ。全て自分でテーマを考え、それを調べ、連絡を取り、取材を行って、文章に起こしている。最近、ある作家が著書にWikipediaを何パーセント「コピペ」していたかを釈明していたが、それこそ噴飯ものだ。真実を自分の目で見ず、どうして、ノンフィクションが書けようか。沢木耕太郎はどんなに遠回りでも、自分の目で見て聞いてこの本の文章を書いた。ご存知の方も多いと思いが、著者はちょっと気取った語り口をする。しかし、それを差し引いても色あせない「真実の物語」が語られている。

例えば「屑の世界」。これはくず鉄や再生紙を扱う業者(現在ではリサイクル業者と呼ばれる)の実態を描いた話だ。とりわけ、この話が私の胸に刺さったのは、著者自身がある屑を扱う会社に「就職」して、その内部から実情を描いていることだ。本人も思いつきと語っているが、何の気なしに、突然「労働」してみたくなった著者は、知人のつてを頼りに、給料も決めずに屑屋に就職してしまう。その序盤、屑を集めて日銭を稼ぐ、老労働者の言葉が胸を打つ。以下転載する。

≪ふ、ふざけるな、馬鹿野郎! ただ働きたくて働くキ、キンタマ野郎がどこの世界にいるだよ! ふざけるな! 日当も貰わねえでただ働く? 馬鹿にすんなよ! みんな、みんなオマンマ食うために働いてんだぞ! てめえ》(234P)

これ程、真摯なセリフを近年読んだことが無い。その「真実さ」にひどく感動し、狼狽した。明らかにこの「底辺労働者」の言っていることは真実だ。じゃあ、いま、自分の命の価値を計りかね、個人的な些事に右往左往して「働いて」いる自分はどうだ。これは、閻魔鏡ではないのか。沢木耕太郎は、その時の感想を、

激した彼の顔を見て、ビクッとした。恐ろしかったからではない。瘡がこびりついた目地に薄っすらと涙を浮かべていたからだ。胸を衝かれた。

と、記している。全く同感だ。その場にはいない私にも、その名もなき曳き子(屑を集専業の人たち)の怒りが目に見える様だった。この語、著者は何度も失敗を重ねながら、その屑屋の親方に「所帯道具をすべて揃えてやる」とまで、見込まれる。逆境からの成長する若者、という構図は実に痛快で、読んでいて単に面白い。もちろん、屑屋の「力学」を解明していくことも忘れない辺りが、凡百のゴシップライターとは違う。

もう一つの特徴に、取材対象に対して「忖度」しないという、不文律がある。二つ目のエピソードである「棄てられた女たちのユートピア」は、売春婦として若い時を過ごし、学も無ければ金もない、おまけに病気や障害を持った女性たちを救う「かにた婦人の村」を取材対象にしている。TVのドキュメンタリー番組を取材するスタッフと一緒に村に入って取材しているのだが、このユートピアという表現は皮肉なのだ。こう書かれている。

(前略)かにた村のあらましを聞かされた時、まず浮かんだのは「しかし」という思いだった。何が「しかし」なのかは定かではなかったが、「しかし」と強く思ったのである。

なにを「しかし」と思ったのかは、最後に明かされるが、それにしても、その思いを率直にぶつけることには、躊躇もあったろう。何しろ、メディアと言えば、新聞・雑誌・ラジオ・TVという昭和の40年代末期だ。現場で取材できなければ、何もネタは拾えない。それでも臆せずに、この村を創り上げた深津牧師に「彼女たちはここにいて幸せなんだろうか……」と、問う。そのに対して、深津牧師はどう答えたか。それはぜひ読んでみて欲しいが、この話はめでたしめでたしでは終わらない。何となく、不満げな一文を残して終幕となる。

そうかと思えば、こんな痛快なセリフも出てくる。ラストの80歳を超える詐欺師である老女が、逮捕されたとき、ジャーナリストが取材しようとすると

《記者が写真を撮るのは当然だ。おれは悪いことをしたんだから。しかし前を邪魔して下さるな、人が歩きおるんじゃから》(401P)

さらにこう畳みかける。

《歩きながらものを訊ねるとは失礼だな。あんたは誰かな? 名をなのならんのかな? 卑怯者じゃな》(同401P)

そうだ、言ってやれ! と、思った。人の不幸に群がる似非ジャーナリストどもよ、と思った。おまえらは卑怯者だ。犯罪者に開き直れとは言わないが、全く無関係な人間に無礼に扱われたくない、という心の声を聞いた気がした。ただ、この話も、最後はかなりの苦みを伴ってくるのだが、それが現実というものかもしれない。

好きな本について、ただただ語りたいというのが、私のこのブログを始めた最初の動機で、次に金儲けだった。二番目の動機は敢え無く潰えたが、この本を読んで、最初の欲求は満たされた。このまま、何千字でもこの30年以上前の著書について語り続けたい。しかし、それは仮にも本の紹介サイトを標榜する本サイトの主旨に合わないのでこの辺で終わりにしたい。

8ポイントくらいの小さな文字で400ページを超えるボリュームがある。8つも話があるが、一つひとつ違った重さがある。ただ、夢中で読んだ。電車で、バスで、布団で、居間で、会社で……ノンフィクション作家として、懸命に書かれた文章がそこにあった。本当に深く感銘を受けた。怖い、怖くないで言えば、これは「悪夢」そのものだろう。その悪夢の中に生きるのが、人間ではないかと、駅の階段を下りつつ、柄にもなくそう思った。

《テレビは強制的に貴重な時間を奪う。貴重というのは、その時間にすばらしい事ができるのに、というのではない。退屈で不安な時を奪うからこそ、テレビは敵なのだ。不安で退屈だから、人は考え何かをつくろうとする》(72P)

スマホから顔を上げ、ふと思う。不安と退屈は、創造のあるじなのだ。それはたぶん、何かをつくろうとした人はみな一度は思うことだ。では、今この掌の中の不幸とはいったい何なのだろうか?

まあ、しかし、と考える。屑屋の名台詞のおっちゃんも、ほとんどアルコール依存症の社会の落伍者だ。まあ、しかし、この狭い視野で視えるものが、けっきょく全てなんだろう。人でなしの国は、もっと住みにくいのだ。ちくしょう、やれやれだよ。

何かを本から感じたいという方には、ぜひともおススメの一冊。何を感じるかは、きっと読者自身の境遇によってかなり変わるだろう。

(きうら)



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