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何かを憎むことは実に簡単だよ ~2021年のきうら

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  • 努力と忍耐
  • 捨てて捨てられ
  • 普通の生活とは
  • おススメ度:評価せず

もう亡くなられて2年以上経つが、今年最も感銘を受けたのは、アフガニスタンで医師として、技師として30年以上にわたって人道救助を続け65万人以上の命を救ったと言われる中村哲先生の言葉。

平和には戦争以上の力があります。そして、平和には戦争以上の忍耐と努力が必要なんです(中村哲)

平和を「生きること・生かすこと・許すこと」戦争を「死ぬこと・殺すこと・憎むこと」に置き換えても同じだろう。一見、対照的に見える麻雀漫画「アカギ」でも、こんな台詞がある。

「勝つには 勝ちきるには…なんと多くの 辛抱が 必要なものかと…!(アカギ28巻 生滅の闘牌/福本伸行)」

勝つとは生の本質ではないだろうか。これは金銭の多寡や幸運を競うものではない。勝つということは明確に生きる意志をもった行動なのだ。勝ちきるというのは、行動し続けると読んだ。運否天賦に任せるギャンブルの世界であっても、不断の努力無くして本当の生は掴めないという言葉に思える。

ご存じの通り中村哲先生は2019年テロリストの凶弾によって斃れた。しかし発言を辿るとそのことは「必然」として受け入れていたようにも思える。漫画の中のアカギもこの28巻での勝利のために、何度も命を投げ出している。

生きることは大変だ。命がけだってそんな軽い言葉じゃない。自分の命を懸けるべきものとは何なのか? その答えに私は今年ようやく少し気が付いた。私自身も幾多の試練に直面した。いや今も戦闘中だ。だから分かる。安全地帯にいない。いつ死ぬか分からない。だから、生きるということの答えが少し見えた。以前から自分で紹介していた、V.E.フランクルの言葉に、

私たちが、「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われる存在なのです(それでも人生にイエスと言う 27頁/V・E・フランクル)

この言葉の片鱗をついに実感した気がした。人生が何かを与えてくれるのではなく、何かを求める続けることが人生の実態なのだ。これまで教えられていた「成功」とは正反対のことが真実だったのだ。成功を目指して努力するのではない。目標があるから生きるのではない。生きることが目標であり、生き続けた結果、成功と言う「偶然」が発生する可能性がある。成功者は良く運に恵まれていると言われる。その通りだと思う。しかし、運に恵まれるためにはやはり努力が必要だ。ただ、努力が報われてしまった人生はむしろ虚しいのではないか。何かの坂を上って、頂上からの景色を見た瞬間、もう、下るしかないのだ。そこに留まってしまえば飽きる。衰える。天気が変わる。

本当の充実とは「頂上からの眺め」ではなく「頂上の景色を目指している状態」ではないだろうか。

先般話題になった起業家・前澤氏が夢だったという宇宙旅行を果たした時の最初の感想が何と不用意なことか。

宇宙だよ。着いちゃったよ

これは苦難に苦難を重ねて成しえた人間の自己評価ではない。むしろ、アンバランスな自分への怯えすら感じさせる不安な発言だ。対して、中村哲先生が艱難辛苦の果てに砂漠に用水路を築いた実感はこうだ。

私に感謝する必要はない。水は天からの恵みだ(意訳)。

揺ぎ無い自らの事業への信念。己の判断を信じて、自分ではなく人を助け続けることは容易いことではない。そのせいで却って自分の結果ではなく、途上を信じられる。達していないからこそ、奢らない。他人のために行った苦行を軽く「天の恵み」と言い切れるのはそれだけ自分が確実だからだ。金品、安楽、快楽、名声などより光り輝く意義ある苦しみを持っているということだろう。

だからと言って、前澤氏を全否定する意図は全くない。慈善活動を行っていることは素晴らしい。ただ、彼の感想には、無課金でスーパーレアカードを手に入れた、そんな軽い情感しかこもってない。たぶん、手に余る富に何をしていいのか分からなくなって居るのだろう。努力よりも成果が上回ってしまった。だから必死に自分に手に入らないものを探している。もちろん、自覚はないだろう。フワフワとした現実感の中で、追ってもおっても捕まえられない自分自身の欲望と快楽が逃げていくだけだろう。宇宙に行ったら、次に行くところはない。そのベクトルでは。

彼を称賛する人々もその行為に多額のお金と才能と努力を必要としたことは理解している。とはいえ「夢」と言う人もいたが結局お金で買える「自分だけのもの」は単なる「自分だけが満足できる現実」じゃないか。日本人が考える「豊かな生活」とは無縁、それも自分からそれを捨てた中村先生が聞いたらどう思うだろうか。

面白いじゃない。宇宙へ行った一般の日本人の第1号なんてすごいよね。

それで終わりだったかもしれない。そして、自分は73歳で早朝から灌漑工事に赴く。妬みもなければ、蔑みもない。世界を理解していたから、ただ、自分の使命を掴んでいたから「それも世界の一部」だったんだと思う。

そこで唐突に気づかれたのは、結局、自分の命の価値である。私に間違いがあったとすればそれを軽視していたということだ。今は万感の思いを込めて自分の命が大事だと言える。私はこの命を通して世界を見て、感じて、生きている。そして生きることこそ、まさに人生そのものであり、そこに幸不幸が入り込む余地はない。ただ、生きること。それが全て。苦しい時は苦しい私の命に価値があり、希望があるときはその希望に私の価値がある。どちらに転んでも私そのものは揺るがない。ただ、その場面場面に力を出し切るかどうかを判断するだけだ。そして、力を使わなかったときはすごく後悔する。一瞬の快楽に身を任せると残りの99%を悔やんで過ごす。そういう仕組みになっている。もちろん、後悔ばっかりだ。だけど1%に過ぎないが、抵抗する意思を示すことができた一年だった。

でも死んだらどうなる。

その時点で生きる価値などという価値観は消滅するのでその質問自体は無意味だろう。そもそも生と死は一体だ。生を生きることは、死を生きることでもあるのだ。死とは生命の完成形と言えないだろうか? おっと、自殺を促しているのではないので。これも主客が逆なのだ。苦しみがあるから死ぬのではなく、死ぬから苦しみが「あった」かもしれないだけのこと。詭弁的ではあるが、どんな苦しみも死とは関係がない。生きているその時点、その時間にこそ、どんな状態であれ価値がある、少なくとも、その所有者にとっては。

もっと不幸な人間も大勢いる。それでも同じことが言えるのか? 先日は多くの人々が放火で殺されたよ?

言える。命は自分自身にとって唯一絶対の価値だ。これを守り戦うのはまさに本能。ただ、それでも死ぬときは死ぬのだ。あなたも、わたしも、今にでも、すぐにでも、不意に、絶対的に切断される。これも真実。だからこそ、命なんだ。損なわれるから、そこにあるんだ。一瞬で無くなってしまう可能性がいつもあるから、いま継続する意味があるんだ。

空を見上げれば寒空に輝く月。そんな月にも寿命があるという。いや宇宙全体もいつか終わるらしい。終わるって何だ。宇宙の終わりなんて、あなたのスマホから鮮明に見えますか。今日食べたご飯から実感できますか。いま、目の前にいる人が終わりますか? もう誰も信じられませんか?

何を信じるか、信じないか。自分が生きているということを信じられるかどうか。正岡子規の絶筆三句はその答えを示している。

糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
おとゝひのへちまの水も取りざらき

糸瓜の水は痰を切る薬。死の間際にあって自らの命への真摯な思い。さらにそこには全てを知っている人間だけが感じられる現実感に満ちている。死ぬかもしれない瞬間に宇宙とか高級車の名前とか愛人とか子孫ではなく、「痰」という言葉を選ぼうとした正直さ。何も恨まず、何も頼まず、ただ真っ直ぐに見据えている。

こんなことを書くと、何かの宗教にかぶれたかと疑われるかもしれないが、それはない。壺買ったり、不浄な蓄財を寄付したり、神に祈ったことはない。祈るとすれば、そうだなぁ、毎朝見る朝焼けの無限のグラデーションかな。あるいはその幻想か。

生きていて、空を見上げ、そこに色の諧調を発見する。それ以上、何が大切だって?

同僚に「何にも楽しいことがないように見える」と言われた。ある意味、正解だ。いわゆる三大欲求「睡眠欲」「食欲」「性欲」であるが、それはそれぞれそれが満たされた瞬間に消滅する。睡眠は眠る瞬間の一瞬、食欲は3回満腹になるまでの数十分、性欲は…30分くらい? 満たされる・絶頂の瞬間はほんの一瞬。1時間満たされても一日の4%か。それが10分なら0.69%か。そう考えると全て虚しい。もちろん、それぞれに意義と文化があるのは知っている。それでもその為に生きることが苦しいんだ。だから楽しくないんだ。でもそれでいいじゃないか。そもそも不眠症で拒食症を患うおっさんの性欲、全てが無意味にノイズだらけだ。

楽しいふりをするのはもうやめた。

楽しいから生きるのではなく、生きていればいつか楽しくなるかも知れない。その程度の薄い期待で十分だ。それを認めることがようやくできた。楽しさから解放されて、ようやく苦さが旨く思える。20代で受けるような資格試験の勉強にフルタイムの仕事をしながら4か月かかって睡眠時間を削って勉強。散々苦しんで緊張して受験し、ぎりぎりで合格。楽しかったのは合格が表示されたCBT試験のモニターを見た瞬間とその後の一杯のビール、あとせいぜい数時間程度。リスクをべったり踏んで全力でぶつかってみても、絶頂・快楽・自分自身の達成感なんてそんなもん。儚いもんさ。

2022年はさて、どうしようか。楽しいふりを捨てた自分は素晴らしく自由だ。

楽しいことより、もっとずっと大切ことを見つけられるかも知れない。たぶん。

(きうら)

ペシャワール会HP

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