- ロシアの牧歌的な会話から急転直下する狂気の短編集
- 同性愛、スカトロジー、エロティシズム、スプラッターと何でもあり
- もはやこれは一種の「芸」である(※芸術ではなく)。
- おススメ度:★★★★☆
先日、村上春樹氏について、共同運営者・成城氏に「村上春樹はお下劣」と話すと、「ソローキンを読め!(そんな比じゃない)」と勧められたので、さっそく読んでみた。何か村上春樹氏の場合とはベクトルが違う気がするが、狂っているのに狂っていない、強烈に間違った世界観なのに、読んでるとこっちが間違っているような錯覚を覚えるレベルでおかしい。
(あらすじ)と、いうものは実はほとんど書きようがない。ほとんどのパターンがロシア人の平凡な会話やシーン――森の話であったり、地質学の話だったり、労働についてであったりするのだが――でスタートするが、その後、全く関係のないお下劣テクストが唐突に始まるというパターン。
表題作の「愛」など、
「ちがうね、諸君、もう一度言うが、それはちがう。君たちは若いし、頬っぺたにも熟れた林檎みたいな赤みがさしている。ジーンズだって擦り切れ、これも明るく甲高い。だがね、ステバン・イリイチ・モロゾフが恋人の……(後略)」
という、冒頭で始まった後、普通に若年時代の様子を描写していたと思ったら、2ページ後突如として「…(3点リーダー)」が約2ページにわたって記述され、
「つかんで、こっちに運んできた。わしまるで生きた心地もせず、何をしたら良いかもわからず…(後略)」
と、訳の分からないシーンが始まった挙句、
「それから精液の入ったガラスびんをつかみ、それつをわしの頭に叩きつけた(後略)」
等と書きなぐって約5ページで終わる。今の概略でどういう話か理解できないと思うが、たぶん全文読んでも理解できないので大差ない。
この短編集で、ほとんど唯一、物語らしい「弔辞」にかんしても、森の中での葬儀の場面で始まるのだが、実はそれはこれから自殺する人の葬儀であり、そこで主人公が弔辞を読むという趣向なのだが、その「弔辞」の中身が故人との「性的な」秘密を暴露するという酷い内容で、これ以上は読んでみられた方が早いと思うが、なかなかの変態志向である。
冒頭に村上春樹氏の話を出したが、村上氏の小説では「なぜこんな場面に?」というシーンで、不倫の様子や「女の子と寝る」、勃起や陰毛などの単語や性的な描写が出てくる。一種、独特のリアリズムを形成しているとは思うが、個人的には村上氏はこういったことを「書かねばならない」、いや「とっても書きたい」と思っているように感じる。
それに比べるとソローキンのこの短編集では、男性の同性愛・スカトロジー的描写・唐突なスプラッタが8割、不条理とエロティシズムが2割ぐらい占めているが「書きたい」というより「書くしかない」というか「これしか書かない」という意志を感じる。正常な作家が文学上の必要に駆られて、上記のような不条理的世界に突入するというよりは、もともとあさっての方向に住んでいる住人が、何とか最初だけ普通に書こうとしているが、どこかで忍耐の限界が訪れ、本来の姿に戻って書きなぐるといった印象を受ける(もちろん、ロシア文化に関する複雑なバックボーンがあるので単純な話ではないのだが)。
それが分かってから読むと、最初の方のまともな描写を読むたびに笑いがこみ上げてくる。これはもう、コントの前振りのようなもので、いつ「それ」が来るかワクワクしながら読むという誠に珍しい小説になっている。特異な読書体験という意味では別格の作品だ。
それだけなら、小説の技巧としては分かるのだが、この無駄に抒情的なロシア的情景と、ロシア語そのものの響き(ステバン・イリー・モロゾフやワレンチーナ)などは、反則的とも言えるほど効果的に機能し、本一冊分、毎度毎度、懲りずに狂気の世界に入り込むわけである。ただ、著者がただの狂人でないことは明確で、後半の破綻のパターンはよく読むとかなりの種類があり、形式としてはほとんど同じだが、読後感が違うというのは小説的に非常にテクニカルだと感じた。
そういえば、筒井康隆の「パプリカ」で、悪夢の世界に捕らわれた登場人物が突如、謎のセリフを連呼するシーンのイメージが近いかも知れない。パプリカは全体的に整合性があるが、この小説にはそんなものはない。唯一、破綻の程度が分かりやすいのが「自習」という話だが、これは女教師が12歳の生徒を性的に誘惑するというだけのプロットで、それ以上でもそれ以下でもない。ただ、分かりやすい(単純なポルノ小説のようになっている)。中身には爆笑した。
スプラッター描写もあるし、そもそもこんなことを書いている作者の神経を疑うという意味で怖いし、それが図書館の文学コーナーで堂々と所蔵されているのも怖いと言えば怖い。ホラーとは言えないが、意図せずモダンホラー化しているので、怖い本として読んでも読める内容だと思う。熱狂的なファンがいるのも納得の作風だ。
もし、私が思春期の女性だと仮定して、恋人が「こないだ読んだソローキンの『初めての土曜労働』の話を知ってる? 実は昔から彼の大ファンでさ……」と、会話を始めたら、間違いなくその場で別れ話を切り出すだろう。そんな一冊である。成城氏には感謝している。
(きうら)