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★★★☆☆

櫛の火(古井由吉/新潮文庫)

投稿日:2018年9月23日 更新日:

  • 死んだ女性を裡に秘めつつ、生きる女性と交わる
  • 『行隠れ』の発展的変奏
  • 古井文学的には過渡期にあたるものか
  • おススメ度:★★★☆☆

【はじめに】

本書は、古井由吉が出した単行本としては、『杳子・妻隠(過去記事)』、『行隠れ(過去記事)』、『水』に続く作品です。『杳子』から続く一組の男女のあやうい関係を言葉で綴っていこうという一連の作品として本作を位置づけ、この後の『槿』でひとつの完成をみることができるならば、この本作は、その流れの中では過渡期にあたるものかと思われます。本作は再読してみて、男女関係のありようを手探りで測っていきながら書いていこうという感じを受けました。

【内容について】

主人公といえる「広部」が一年ぶりに「弥須子」という女性と再会し関係を持つのですが、彼女はすぐに病を得て入院することになります。この時の様子は、著者自身が後に著書で書くことになる、自らの虫垂炎体験を思わせます。そして、広部が見守るなか弥須子は息を引き取ります。広部は、弥須子の家族が駆け付けるまで、独りで彼女の亡骸と共寝して、夜伽をすることになります。ここの場面は、『行隠れ』では姉を看取ることのできなかった弟という立場の変奏のように思えます。『行隠れ』では書けなかった、一人の女性の死に際と、死んだ直後の様子を丁寧に書いています。

ここで驚いたのが、独りで弥須子の亡骸に向かう時に、何かと世話を焼いてくれた看護婦に対して、広部が自然とその胸を触ろうとすることです。死んでいるものを前にして、生きているものの身体を探ることで何かの釣り合いをとろうとしているようで、これからの物語の行方を暗示しているともいえます。しかし、今ならこんなことをしたらどうなることやら。

まあ、要は恋人ともいえる弥須子を喪失し、彼は下半身に濁りを残したままだったのでしょうか。しかし、自失した広部は、その後、肉体をもつ女性に苦慮することになります。そこへ現れるのが、「矢沢柾子」という女性です。新たに広部の前に現れた柾子と関係をもつ前から、彼は彼女ともう繋がっているような感じでお互いの関係性をあやうく紡ごうとします。弥須子という物語の最初で退場する女性の名残を潜めた広部が、本作のほとんどを占める柾子との関係を(若者ゆえの切迫さで)どうにかつなげていこうとするのが、本作の簡単なまとめでしょう。『行隠れ』のように、独りの男性の肉体に生きる者と死せる者が、密かに身体を寄せ合うのです。また、叙述の形式としては、独りの男性が、二人の女性を通して生きている方の女性との関係を微分的に測っていこうとする傾向が見られるように思えます。

「お互いのことをろくろく知らないうちから小さな習慣がいくつか二人の間に固定していく」といったかんじで、広部と柾子は距離の取り方を探っていくのです。ふたりの(会話による)関係の取り方は、『杳子』の発展形として、どこか、まともさと狂気さとの合間で揺れ動いているかのようです。この過程には、(現在流通する)生半可な恋愛小説よりも鬼気迫るものがありますよー。

『櫛の火』には、これらに加えて、柾子をめぐる他の男性も登場することになります。柾子の夫である矢沢や、矢沢の知り合いの男など。広部と他の男性とは、そのやり取りにおいて、様々な情景を取り込み膨らんでいこうとしつつも離れようとする漂いを引き寄せるようなかんじでお互いに言葉を紡ぎあうのです(よく分からないでしょうが、書いている私もようわかっていない)。お互いの気持ちの出所を探りながら、感情と論理の襞をなでさするように、時折そこに覚めたような光景が差し挟まれ、はっとしたような驚きと怖さを感じます。まあ、広部と他の男性とのやり取りは、男女間とのそれと異なっている部分もあって、おもろいのです。

【内向の世代ってなんやねん】

さて、古井由吉は「内向の世代」に属する作家とされています。これは、実はよく知らない。ウィキペディアに「内向の世代」の項目はあるし、他にも、なんぼでもこれについて解説されたものがあります。私は正直、このようなレッテル(?)はどうでもいい。政治や社会から背を向けて、(叙述への意識が)内省的になったとしても、本当に内向きの人間なら小説を執筆などしないやろう。しかも、私小説的な作品が多いのにそれを外へ向けて発信するなんて、フツーの人はせんよ(もちろん作家としての意識や執筆の動機がどこにあるのかという問題はありますが)。

だから私は、こんな用語に捉われず何か書いてみたいが、そんな能力や知識はないので、適当に書いてみたい。『櫛の火』の弥須子は、学生運動に関わっていた。その弥須子は話の冒頭で死ぬのです。そして、何かの喪失感を抱いた広部は、大学を中退して会社勤めをするのです。その広部の前に現れるのは、柾子という女性と、世の男性たちでした。もう、私が何も言わないでも分かるでしょう。この『櫛の火』は何らかの過去の決算と新しい世代への応答として書かれたかもしれないのです。

まあ、私としては、古井由吉が何を書いたかというより、どのように(日本語で)書いたかの方に興味があるので、そういったものをこれからも追っていきたい。次回の投稿では、おそらく後藤明生(=彼もまた内向の世代の作家)を取り上げたいので、その時に「内向の世代」について書きたい(予定は未定)。まあ、先取りして言うと「内向の世代」には、(近代からの)日本文学にみられる日本人のある心性が見られるかもしれないということです。以前、『ゆるキャン△と「日常感」(1)』という記事で述べたように。つまり、個と普遍が簡単に無媒介に結びつく構造がこの『櫛の火』にも見られるような気がするのです。そしてそれはまた、現在のアニメ作品にも見られるような気もするのです。『櫛の火』における一組の男女(正確には一人の男性と二人の女性)がなるべく社会というものを捨象しようとするその機構が、アニメ評論でよく言われた「セカイ系」に通じる部分があるかもしれないのです、とひとまず言っておきます。

【さいごにお知らせ】

『櫛の火』は、けっして傑作ではないです。先にも書きましたが、前作の決算と、この後の『聖』に続く作品への試行的なものを感じます。また『聖』などを読んで考えてみたいです。ちなみに、『櫛の火』と『水』に関しては、最近出版された『古井由吉自撰作品・2(Ama)』(河出書房新社)で読むこともできます。

(成城比丘太郎)


-★★★☆☆
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