- 厭な自作小説
- 誰の視点で書いているのか
- 誰でも死にたくなる時がある、と思う
- おススメ度:評価不能
01 蝿
今時蝿なんて見たことがない。それが今リビングで飛び回ってる。
「怖いよぉ」
2歳半の密花(ひそか)が泣き出す。
殺虫剤を撒きたいたところだか、アレルギー持ちの密花が気になる。ハエ叩きなんてモノもここ10年も見たことが無い。
「パパ、あれいやあ」
私はその声に、微かな苛立ちを覚えた。明日も5時半に起きて、工場で時給1100円の派遣労働だ。
ぶぶぶぶ。蝿は悪魔、ベルゼブブの化身か。いや、それは発音が似ているからで。本当の悪魔じゃなく。
「怖いよぉ」
私は益々、イラついた。彩はいつまでランチに行ってるんだ。
ぶぶぶ。
「そうだ、、ハエ取り紙だ」
私は幼年期の微かな記憶を取り戻す。あの、ハエ取り紙さえあれば、この不快な生き物はべったりとそれに張り付いて死ぬ。
郊外の一軒家、新興住宅地、平日に飛ぶ蝿。明日も5時半に起きなくては。
「わあああん」
しかしそんなものどこで売ってるんだ。ハエ叩きもないのに。ヤケクソで殺虫剤を探し出したら、空っぽだった。
もう6時、彩は帰ってこない。
泣き疲れた密花は私の体にべったりと張り付いている。
天井を見上げると、今つけたシールドライトに小さな黒い影が見えた。グズグズと蠢いている。
「クソっ。アイツは簡単に叩き殺しせたのにさ!」
流れた汗が、目に入る。まさか腐ってのか。
そんなことはどうでもいい。
明日は5時半に起きて俺はまた。
02 軽
軽自動車は走る棺桶などと呼ばれた時代もあったが、今は安全装置も充実して、悲惨な交通事故も減っている。
しかし、さっきから車通りの少ない狭い山の国道で煽ってくる大型トラックに私は苛立っていた。
道を譲るべき側道もない狭い道だ。車高が高い上にフロントに変な飾りがあって運転手の顔は見えないが、明らかに悪意を持って私の軽自動車に急速に接近したり離れたりしてくる。
「ふん、思い知れ」
私はわざとスピードを落とした。大型トラックは明らかに少し慌てた素振りで減速した。
「おっと」
目の前を黄色いロードバイクが走っている。時速40、50キロも出る自転車だ。下り道ならもっとだ。しかしこの狭い道ではさすがに危ない。
私は後ろのトラックを気にしつつ、慎重にロードバイクを追い抜いた。
視線が逸れたその一瞬が命取りだった。至近距離で、道の真ん中で固まっている狸のような動物を見つけた。
「わぁぁ」
私は急ブレーキを踏んだ。そして、反射的にハンドルを切って道の横の雑木林にめり込むように突っ込んだ。
「いてて」
しばらくはショックで呆然としていたが、嫌がらせで減速していたお陰で、どこにも怪我はない。車はだいぶヘコんだろうが、不幸中の幸いだ。
(そうだ、あのトラックは)
大型トラックは道の真ん中で止まっていた。私は一言言ってやろうと思い、意を決して車を降りた。
同時にトラックの運転手も降りてきた。意外に若い。金色の髪をした太った男だった。
私に向かってしきりと何か言っている。
「?」
それは怒るとようより、怯えているようだ。
「……だ。……だ……だ」
「何だって?」
私は男を睨みつけてトラックに近寄った。
「お前のせいだ!」
「は?」
男はそうして泣きそうになってトラックを見た。私も視線を追った。
巨大なタイヤの下に散らばった黄色い自転車のパーツ、そして、点々と張り付いた赤黒いあと。
「お前のせいだお前のせいだお前のせいだ」
私は身体中の息を吐きつくし、小さく
「違う、から」
と、言った。
03 花
子供の頃大好きだったことに「火花を散らす」という遊びがあった。
当時、家にあった鉄製の釘抜きを持って、近くの河原に出かけた。そして適当な大きさの石に向かって、釘抜きを叩きつける。
飛び散る火花。心地よい振動。たまに石が飛び散る。それは何度やっても面白く、釘抜きの頭が潰れて使い物にならなくなって怒られた程だ。
しかしある時を境にその河原に変な高学年たちが現れるようになった。4月だっただろうか。エアガンを持って河原に繋がれた犬を撃ったりしていた。
僕は慎重に彼らから隠れて逃げたが、あるとき遂に捕まってしまった。
「手のひら見せて」
「嫌だよ」
「いいから、手のひら」
「いやだ」
「見せろよ!」
無理矢理引っ張られた腕はブルブル震えている。そこへ、その高学年の男子二人は、エアガンを押しつけて撃ちまくった。
「ギャァ」
自分の声とは思えない変な声が出た。
「ギャァ」
「あははは」「馬鹿だコイツ」
僕はその日、そのあと何をしたか覚えてない。ただただ、泣いていた。
そんなことがあったので、僕はなるべく河原に行かないようにした。しかし、どうしても火花が見たくなってきた。そのどんより曇った木曜日の放課後もそうだった。
あの音、あの火花、あの反動を感じたい。僕は潰れた釘抜きを持って、そろりと河原に向かった。
その日は何と運良く彼らはいなかった。僕は嬉々として、適当な大きさの岩をすぐに見つけると、思い切り釘抜きを振り下ろした。
赤い火花が散った。いつになく大量に、鮮やかに。僕は夢中で釘抜きを叩きつけ続けた。
あれから何年経ったのか分からない。いま、目の前では店長が私に重いフライパンを持たせたまま、もう1時間以上喚き続けている。
「お前はさあまったくさあクズなんだよなんでもさ。教えたろ教えてやったろ。改善しないのは反省が足りないんだよ。うるさいよ。口だけで直るならあんな基本的なミスなんてしないよ。このやらかしでいくら吹き飛んだ? 原価って知ってる? はあ? 今なんて言った? 何だって?」
そう言えばこのフライパンも鉄製だ。
叩きつければ、やはり火花が散るだろうか。
04 逆
ピンポンピンポンピンポンピンポーンピンポンピンポン。
この不愉快なチャイムの鳴らし方はアイツが来た合図。
もう少しで三十路になるけど、先月失業。仕方なくオートロックのない安い単身マンションに引っ越したらすぐに来た。公共放送の集金人。
ピンポンピンポンピンポンピンポーンピンポンピンポン。
引っ越し業者に混じって来たので、顔は見られてる。このまま何時間続く? 警察には相談したがけどまともに取り合ってくれない。真昼の単身マンションには他に住人もいない。
私は気が短い。最初は無視していたが、ひとこと言わないと気が済まない。それに一度出ると割とすぐに帰っていく。
私はインターホンのボタンを押して、カメラに映る男を見た。
痩せぎすで、頬の痩けた顔。目は細く鋭いのに口元に笑顔が張り付いてる。
キレそうになった。
「あなたいい加減に」
「違うんです。違うんです」
なにが。
「今日は料金のご請求に来たわけでは無いのです。ほら、鞄もないでしょう」
ねっとりとした声がインターホンと玄関の方から同時に聞こえる。見えねぇよ。
「何と言いますか、今日はその」
ストーカー。私の頭にその単語が浮かんだ。急に怖くなって、手が震えた。
「いやいや、大丈夫です。もう集金には来ませんから、今日はそのことを伝えようと思いまして」
「はあ」
間抜けな声が漏れた。
「私は逆に」
ブツリ。インターホンの機能で自動的に切れた。やはりストーカーだ。怖くて怖くて、私はただ、固まって……。
今日はそんなストーリー。
「オッサン、なにブツブツ言ってんだ? その部屋、もう随分長いこと誰も住んでないぜ」
「えっ」
私はインターホンを押す姿勢のまま固まった。
無精髭の目立つ痩せぎすの若者が疲れた声で続ける。
「俺んとこもテレビないから、一応」
「あっはい」
「ヘヘヘ」
若者は奇妙に歪んだ笑みを浮かべた。
「押してみなよ、それ」
私はゆっくりと手を下ろす。
「このハイツ、家賃が安すぎて笑えるよ」
「あの」
「俺とあと一人くらいしか住んでないし」
私の腋から大量の汗が滲み出た。
「嘘でしょう」
「へへへへ」
若者は老人のようなシワ深い顔で笑った。
「せーかい。お前らなんか大嫌いだよ」
そう言い捨てると、ハイツの奥の部屋に消えた。
私の密かな楽しみ。若い女性への合法的な営業活動。特に声の可愛い子の部屋はお気に入りだった。
本当に女性が住んでるよね?
私はゆっくりと狭い階段を降り、若者の言葉を反芻していた。
気がつくともうかなり日が落ちている。
よせば良いのに私は振り向いてしまった。
ハイツには一部屋も灯りが灯っていない。
あの若者の部屋からも。
真っ暗だった。
05 堰
なし崩し的に早番が遅番に遅番が深夜番になったので、俺は午前4時という中途半端な時間に自宅へとポンコツを走らせていた。もちろん、待っている家族はいない。5年前に母を亡くしてからは古い賃貸で一人暮らし。40を大きく過ぎた完全な禿げた小男。性欲すら無くなってきたのは、我ながら虚しい。髭に白髪が混じるとキラキラしていて無駄に綺麗で笑ってしまった。
そんな俺はいつもの帰路の途中、たまたまトイレを借りた湖畔に面した道の駅近くで、今まさに飛び降り自殺をしようとしている「オッサン」を見つけてしまった。
いやいやいや。それはない。明日も11時に出勤だ。俺が出会っていいシチュエーションじゃない。ほらもっとこう幸せな善人とかいるだろ?
「止めないで下さい! 私はもう人生に絶望したんです」
何を勘違いしたのか電灯の薄明かりの中、オッサンは悲痛な声を出した。
「毎日毎日同じ仕事、妻には浮気され、緑内障も酷くなって」
知らんがなそんなこと。ていゆうか、結婚してたのか。勝ち組じゃん。
「今日も年下の上司にひどいパワハラを受けて」
だから知らないって。お前が無能なだけだろ。俺もだけど共感するわけない。
「もう死のうと思って」
俺も1000回くらいそれ考えたよ。
「止めないで下さい」
何言ってんだ。
「いいから早く死ね!」
つい本音が出てしまった。仕方ない。コイツが死んでも俺は痛くも痒くもない。夢見が悪いだろうって? むしろ今貴重な睡眠時間を削られている方がムカつく。
「酷いこと言うなよ!」
逆ギレか。やれやれ、死にたいのは俺の方だよ。
「一生恨んでやる!」
その言葉を最後にオッサンは視界から消えた。一生ってあと数秒間だろ。
私は深くため息を吐いた。さあ帰ろう。
と思った途端、オッサンが凄い形相で私の首を絞めてきた。視界から消えたのは暗がりで急に動いたからだ。
「このヒトデナシ!」
「ぐう」
とはいえ、別に俺も生きたくないんだ。これくらいの苦痛なら、いつも味わってる。
途端に首の圧迫が消えた。
オッサンが放心して俺を見ている。まるで鏡を見ているような気分だろう。俺もそうなんだから。
その時、私はまた首を絞められた。太った中年の女が俺にのしか掛かってくる。
「もう少し、もう少しだったのにぃ!」
「お前やめろー!」
オッサンがオバハンを必死で止めている。しかしオッサンとは比べ物にならないほど、オバハンの力は強い。
俺は遠のく意識の中で、むしろ他人になってこの続きが見たいなと、少しだけ思った。
「やめろこの人殺しー!」
思わず吹き出してしまったが、喉元で息は止まって笑い声にはならなかった。
06 吐
いや、酷い飲み会だった。この時代、会社で飲み会があるだけで信じられないのに、取引先の不動産屋の専務は、部下がトイレに行った途端、スポイトを用意して隠し持ったテキーラを他人のビールに混ぜていた。
「ギャハハハハ」
50を超えたド派手な化粧の専務は、取り巻きの部下と一緒に楽しそうに笑っていた。それが6時間前。帰ってからやけ酒でウイスキーを煽ったのが3時間前。ストレスから一本開けた。吐きまくって倒れたのが1時間前。そして、意識が戻ったのが、10分前。スマートウォッチを見る習慣が抜けない。
ただ、困ったことに体が全く動かない。
「コンピュータ、体が動かない、お酒」
私がそう言うと、近くのスマホから
「見つかったのはこちらです」
と、聴こえてきた。どうせ酒場のサイトでも表示されてるんだろう。
私はもう一度スマホを呼んでみた。
「コンピュータ、急性アルコール中毒、読み上げて」
その答え。
「急性アルコール中毒は、短時間に多量のエタノールを摂取することによって生じる中毒である。急性アルコール中毒の症状は、血液中のアルコール濃度に比例して誰もが陥り、意識を喪失し、死亡する」
誰もが死亡する? まさか。でも体が一ミリも動かない。左腕のスマートウォッチしか見えない。目を閉じても開いても世界が回っている。ひたすらえずいている。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪すぎる。
つきっぱなしのテレビでお笑い芸人が笑ってる。吐くほど嫌いなヤツらだ。リモコンは1m先のテーブルの上にある。
でも、全く体が動かない。
嘘だろ?
「ギャハハハハ」
あの専務、若い時は微妙な美人だったかもな。
でも、もう嫌だ。
死ね、死ねばいいのに。
「オエッ」
もちろん、胃液すら出ない。ぐるぐる回るくすんだ安っぽいアイボリーの床。
あれ、生きてるってこんなことだっけ。
「さあ、今週のコンビニ弁当の売り上げトレンド第一位は特盛牛丼か塩カルビ丼か?」
「まさかこれ当てたらパーフェクト?」
うるせぇ。他に話すことはないのか。
お前の生きてる意味ってのはコンビニのランキングかよ。
死ね。みんな死ねばいいのに。
そんな自分のスマホのメモ帳を何度も見直している。もうこれで病棟を脱出するのは4回目だ。目の前のコンビニで買えるストロング。もうすぐ楽になれる。やっと生きてるって実感できる。
「いらっしゃいませ!」
ふふ、大歓迎されてるよ。キャンペーンでポイントも5倍つくってさ。
07 評
夕方駅前で歌っていたら、知らない大男に思い切り殴られた。
「うるせぇんだよ音痴野郎!」
僕は吹っ飛んで、コンクリートに叩き付けられた。意識が一瞬飛び、そして信じられないような痛みがこめかみから伝わってきた。横向きの景色は途切れとぎれになる。
僕は痛みに呻きながら歓喜していた。ようやく、やっと、僕の歌が正当に評価された。
僕は歌が下手だ。作曲もデタラメだ。歌詞も退屈だ。一番酷いのは破れたスピーカーのようなノイズだらけの声。
やっと本当の評価を得た。無視でも興味本意でも憐れみでもなく僕がこっそり信じてた真の評価を受けた。
涙が出てきた。
「あ、ありがとうございます」
「あ?」
大男は酒に酔っているようだった。もしもアルコール依存症の天使がいたら、まさに目の前の男の姿だっただろう。
「もっともっと殴って下さい!」
「んめんな!」
次は腹を蹴られた。僕は反射的に赤ん坊のような格好で身を丸めながら、笑みが溢れた。
トモダチに不正を働いた政治家、タトゥーを隠そうとするタレント、クスリを買ったレジェンド。みんな本当は僕みたいに正しく評価してもらいたかったに違いない。嘘を嘘だと言って欲しかったに違いない。本当の自分をもっと知って欲しかったに違いない。
「も、もっと」
「このマゾ野郎!」
パトカーのサイレンが聴こえる。誰だ、通報したのは。僕は今、本当の自分自身になったんだ。この時を途切れさせないで。そしてこの幸せをみんなに伝えたいんだ。
「それが今日7人も殺した動機かなのか」
「殺した? さっきから言ってるんですけど、正しく評価してあげただけなんです」
横田刑事は目の前でニコニコ笑っている青年を有罪に持ち込むのはどれくらい苦労するかを真剣に考えていた。
(きうら)