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死神の棋譜(奥泉光/新潮社)

投稿日:2020年11月13日 更新日:

  • 将棋ミステリ
  • プロ棋士になれなかったものたちの悲哀
  • ミステリの外見を借りた何か別物のフィクション
  • オモシロ度:★★★★☆

【はじめに】

この感想文が投稿されてる日は、おそらく11/13でしょう。すなわち13日の金曜日のはずです。日本人にはあまり関係ないでしょうが、私もそれほど気にしてはいません(気にしてるの裏返し)。映画『13日の金曜日』は昔観ていましたが、一緒に観ていた家族が騒いでいたのでなんだか楽しめなかった。個人的にホラー映画は、静かに観たいんだけども、まあそれは今回の記事とは全く関係ないのです。

そんな具合で(?)、本書『死神の棋譜』は、これから鬼のように激寒の冬を死神の鎌のように感じながら読むのにちょうどいい感じ。内容的に冬が舞台ではないけど。それでも、奥泉作品の暗さを表したカバーの黒さには、冬の退廃を感じて好き。まあ自分が冬生まれだけにそう感じるだけだけど。

【内容について】

内容は複雑ではないです。将棋界をめぐるミステリ・サスペンスとして読めるものでしょう。しかし奥泉光作品であるので、そう単純なものではありません。冒頭から「昏い影」が漂っているのがこの作者らしい雰囲気で、暗い幻想小説になりそうだと思えるのです。ここらへんは、実在のプロ棋士という表の存在に対する、プロになれなかった多くの挫折者たちの影を表しているよう。

内容としては、矢に結ばれた詰将棋の図式を、ある人物が発見したところからはじまり、その図式をめぐって過去と現在が交錯して謎が語り手の前に現出していくというもの。その図式とは、魔の図式ともよばれ、それに関わったものが謎の失踪を遂げるらしい。それを北沢という語り手らしき人物が知るところから、話は急速に大詰めへ向かってゆっくりところがりだします。

ミステリ作品でもあるので、実は何かでも書いてしまうと、それが読書のおもしろさを減殺するかもしれないので、詳しい内容にはあまり触れません。ちょっとだけいうと、謎を追っていくその過程がまさに将棋とミステリの融合といえるでしょう。どういうことかというと、対戦相手の玉を詰めていくという筋(すじ)の読みあいが、ミステリの謎を解いていくその過程と重なるということです。

そして、将棋における盤上の攻防が、なんらかの人生を表しているとも読めます。まさに最善の一手をめぐる棋士たちの心理が、図らずもなんらかの「真理」に到達するのではないかと夢想されるようです。そうした真理への道のりが、北沢の不安や猜疑の入り交じった幻覚(の描写)とさらなる交雑を呈して、フツーの読者を煙に巻きそうな感じを与えますけど、それが奥泉作品の持ち味なのです。

プロ棋士という光の当たる存在にもなんらかの暗い部分はあるのでしょうが、そんなプロと、プロを目指して断念せざるを得なかった棋士たちの対比が、さらなる暗さを醸し出します。つまるところ、この作品が描いているのは、プロになれずにその世界を離れていった(あるいはその周辺にいまだ執着している)人間たちが人生を詰んでいく物語と言えるかもしれない。

もちろんプロ棋士たちも「命を削」って、ひとつの対局に全集中、全集中で向かっているのでしょう。それはまさに人生のひとこまです。将棋界の歴史を織り込んで、鬼気迫る対局者の鼓動が、この小説となって具現化したといえるかもしれません。そう考えると、これはミステリという形式をとった人生論なのかもしれない。この小説の文章にも将棋用語が頻出するように、ほんまにひとつの対局のような小説だわ。

「自分には将棋のほかにはなんにもない」という気概で生きる人間たちの住まう将棋界。そこでの勝負の負けは、ある意味「死」であるともいう。私には将棋界のことは何も分からないけども、勝負の世界はほんまに暗闇のなかを手探りで進むようなものです。ですので、この作品での「死」とは、勝負に負けてしまった者の末路を表すのかもしれない。もちろん、フツーのミステリとして読めると思います。一読して分からないところもありましたけど、もしかしたら、奥泉作品特有の幻覚部分を取り除いて読めば、きちんとした謎解きができるかもしれない。また読み返さないとなぁ。

【中二病として読む】

本書はもしかしたら、中二病あふれる作品としてよめるかもしれません。とくにそういう人が出てくるわけではありません。片腕に包帯を巻いてその腕を震わせるような人もいないし、眼帯をした少女が目をうずかせるなんてこともない。ただ、北沢をはじめ、将棋界に関わった者たちの外見や出てくる用語が、やけに中二くさいのです。

まず作者の奥泉光という名前がそう。以前から思っていたのですが、中二くさい。もしこの読みを「おくせんこう」なんて読んだり、奥州平泉との連関から黄金の光を思い浮かべたりなんかしたら、中二っぽい。それからなにより、『死神の棋譜』という題自体が、『HUNTER×HUNTER』のセンリツが奏でた例の楽譜を想起させる。まさに中二。

ほんで、魔の図式やら、「魔道会」やら「龍神棋」なんて用語は、中二病くさすぎて、もうすばらしすぎる。こんな図式にとらわれる登場人物たちは、どんだけ中二病にかかっているのだろうかと思うと、なんだか親しみが湧いてくる。まあそれだけ勝負の世界の住人が、魔に魅いられやすいということなのだろうか。あるいは、プロ棋士になれなかった者たちの怨念のようなものをここに感じるこの私が、実はこの歳で中二病をいまだに患っているだけなのでしょう。

【まとめ】

奥泉光作品は、単純なミステリとして読むと「なんじゃこれ」となるかもしれない。もちろんそう読んでもよい。「なんじゃこれ 」がない作品はおもろくない。この作品自体はそれほど「なんじゃこれ」感はない。色んな読みをしたらいいだけだけど、ひとつだけいうと、日本の歴史を踏まえているので、そこらへんを見逃さずに読むとよいかもしれない。自分もまたいずれ読み返すだろうし。まあ、作品(テクスト/テキスト)になにかありそうな気はするが。

(成城比丘太郎)


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