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★★★★☆

私のキリスト教入門(隅谷三喜男/ 日本キリスト教団出版局)

投稿日:2021年4月12日 更新日:

  • 主にキリスト教の信仰について
  • 思っていた入門書とは違う
  • しかし大変興味深い考察であった
  • おススメ度:★★★★☆

創作上の資料としてキリスト教における神、天使、悪魔などの設定を知りたいと思い本書を図書館で借りてきたが、予想とは全く異なり、「我、信ず」という意味をイエス・キリストの存在と重ねて解説するというような内容だった。「信仰」のあるべき姿を分かりやすく解説しているとも言える。またしてもホラーとは無関係であるが、最近読んだ本ではなかなか刺激的な一冊であった。

私にとってイエス・キリストとは、子供の頃に観た「ベン・ハー」という長い映画の朧げな印象が思い浮かぶだけだ。キリスト教自体も、織田信長や徳川家康、エヴァンゲリオンやデビルマン、セブンやエクソシスト、第九の歌詞やきよしこの夜、ひょうきん族のパロディ、山下達郎の歌など、様々な二時的創作が散りぢりに思い浮かぶだけ。今、改めて書いていると、バラバラの破片とは言え、想像以上にこの宗教の影響は大きい。いや、改めて考えるまでも無く、西洋文化の核心の一つであるのだから、当たり前とはいえ当たり前だ。そもそも西暦を普通に使っているし、クリスマスツリーも家にある。しかし、である。私がキリスト教に積極的に興味を持ったのは最近なのである。日本におけるキリスト教徒は約2%と言われるので、大体の方は私と大差ないのでは無いだろうか。そう言えばドリフターズの早口言葉のコーナーもモロにキリスト教の聖歌隊のパロディだった。

しかし、これ程身近に存在しているのに、その実情は全く知らないというのは、我ながら不勉強であると思うと共に、不思議でもあった。まあ、不思議と言えば、昭和の話だが、何故か神社の衆議所で、子供会主催のクリスマス会が開かれ、バターケーキを食べつつガンダムのプラモデルを貰うのは、幼心にも「何か違くね?」という違和感はあった。考えれば考えるほど、納得いかないが、そもそも神道と仏教の区別もついていなかったのだから、当然かも知れない(仮にも兵器であるガンダムを平和を祈る場で配っていいのかと思うが、それは現代人の感覚か)。しかし、近世の日本は何故にこれほど幾多の神様を一括りにしてしまう文化になったのか、思考の実験としては大変面白い。もちろん、学問的研究とその結論はあるだろう。ただ、素人の雑学的思考でこの件を自分なりに考察すると、人間世界創生の秘密を垣間見るような気分になる。

なぜ、唯一絶対の神を良しとしないのか? 私は本書で、イエス・キリストの生誕・死・復活について最重要な出来事としつつ、合理的(と呼ばれる思考群)では説明しきれないことを認めていることが、核心的だと感じた。特に宗教とは世界観ではない、という言葉は納得できる。それが事実や物理法則と符号する事よりも、信じることの方が重要だと説くのである。これをして信仰と呼ぶのは、まさに当を得た表現だ。つまり、目に見える事実を捨てて目に見えない信仰に生きろ、ということなのだ。面白いし、魅力的な考え方だ。何を信じるかと大雑把に言えば、人間は罪を背負っており、神(唯一神)を信じることによってのみ救われる。地上最後の日(これも概念的なもの)が来て、キリスト教徒「だけ」助けて貰えるという。ただし、その時は貧弱強者の区別はない。その為に、日々、人間の罪を理解し、神の説く規則を守るべき、と続く。

私は本雑文を通じて、キリスト教及びその他宗教を否定する意図は一切ない。なぜなら、どんな宗教であってもそこに救われる人が居るならば、尊重すべき、と思うからである。とはいえ、もちろんカルトと呼ばれる宗教も良しとする訳ではない。要するに真っ当な宗教には存在意義があり、それを貶したくは無いということを明記したい。「信仰の自由」である。その前提で、単純に幾多の疑問がある。

最も基本的な所では、全知全能の神がなぜ過ちを犯す存在を創造したのか? 或いは間違いを犯さない人間を創造しなかったのか? キリスト教サイドの回答としては、それは人間が人間らしさを感じるために「わざと」そうしたのであり、それを疑ってはならないという。人間を「人間らしく」創造したのなら、そもそもそれは人間の罪では無いし、罪と知りつつ創造したのであれば、それこそ人間が罪を犯すのは予定通りで、むしろ成功だと言える。この手の良くある疑問はそれこそ無数に繰り返して問われたと思うが、結局のところ、人間がその設定通りの存在であるからだろう。誰もが罪を抱き、生きることに苦しみ、その救済を願っている……これは容易に理解できる。ただ、著者が言っているように、これは理屈や世界観ではなく、「信じる」かどうかということを繰り返すように、問題のポイントはそこでは無く、「信じれば救われる」という事実だろう。

一見矛盾しているように思えても、もし、私が心底神とその教えを信じるのであれば、今までに得られない安らぎが得られる気がする。しかし、残念なことに、宗教とは文化でもあるから、大人になってからこの日本でいきなりキリスト教を信じる、というのは困難なことだ。もし、幼い頃から神の存続を知り、両親が教会に通っていれば、私もそうしたに違いない。ただ、そうはならなかった。両親は祖母の代から普通に仏教徒だ。とはいえ、あれ程、繰り返し仏教的価値観に取り囲まれながら、私は現実の僧侶を通じて、仏教を信じているわけでは無い。むしろ、その巧みな集金システムを知った今、戒名や華美な葬式に疑問を感じている。ただ「仏様の教え」には共感するし、キリスト教的な考え方よりは親しみを覚える程度だ。とはいえ、親しみは信仰ではないだろう。私もやはり特定の教義を持たない神道に染まって居るのかも知れない。ただ、何にでも神が宿るという風には現実的には考えてはいないので、正確には違うが、無宗教でも無い。なぜなら科学的価値観を通じて、ある程度、神社や寺の存在を認めているからである。全て迷信だと一蹴して、神社で暴れたりしないし、何教も否定しない。いや、宗教は違えど、根本的に人間の堕落を正し、意義ある生き方を説いていることには変わりないからだ。宗教は本能と直結しているとも考える。

そういう見方で言えば、多くの宗教が「救済」を謳っているのが面白い。裏を返せば、人生、生きることがいかに苦しいかを証明しているようにも思う。私も成人してからは、生きることの課題に絶え間なく直面することとなった。何度も書いているが、普通にサラリーマンとして生活していると、1日の大半は苦痛との戦いなのだ。早朝の起床から通勤という望まぬ移動、仕事という長時間反復される問題解決作業、再び移動し、短い休息に入る。だが、この年になると失った体力は1日分の睡眠では回復しない。そしてさらに昨日とほとんど同じ今日が始まるのである。しかし真に恐ろしいのはぼんやり酒を飲んでいると、自分がかなり老いてきたという事実がぐるぐる回ることだ。しかも、私の知っている全世界から見れば、これでもほとんど奇跡と言っていいくらい恵まれた環境なのだ。私はいま、小さな衝動を除けば、欲しいものがほとんどない。欲しくないということは、失うことはあっても、新しく何かを得ることは非常に困難だということである…。

人生は何枚綴りか分からないチケットみたいだと思う。毎日、一枚、使い切り。行き先もやることも書いてないチケット。それも確実に2/3近くは使ってしまったようだ。とはいえ、「死」そのものは全く怖くない。それに付随する病やケガ、老いの苦痛には慄くが、死とは永遠の休息と思える。

私はたぶん、人生における最上級の喜びから、最下級の苦しみまで、一応、体験してしまった。つまり、生きることの快楽から死の直前まで行く苦しみまで全部である。そして、そこを潜り抜けると、また、何もない荒野が広がっているように感じる。言わずもがな、人生はループし続けているのだ。死はその解答の一つではあるが、絶対の解決方法でもないらしい、というのが最近考えることだ。では、何をすべきか? 他者を救うのか己を鍛えるのか、それとも、現実を淡々と受け入れるべきか?

ここで、本書の問う「信仰」があれば、私はずいぶん楽をできたはずだ。キリスト教徒以外は救われない=信じないものには心の安寧は訪れないということだろうか。いやしかし、それほど簡単なものでもないだろう。本当に「救われている」かどうかなど、自分の心しか分からない。

私が今信じられるのは私も含め「世界が変化すること」だけだ。良いも悪いもない。便宜上、時間と言ってもいいが、時間とは不可逆的な変化の総体のことであるので、結局、そんなものは人の概念にしか存在しない。人間にとって良くも悪くも、変化し続ける、これは真理だろう。文教の説く「一切皆苦」「諸行無常」「諸法無我」までは、私もそれなりにたどり着いたということだろうか。しかし、「涅槃寂静」には、到底至っていない。そう、煩悩を簡単に捨て去れるのなら、誰もこれほど生きることに苦しみはしないだろう。愛の本質は「許す」ことだと考えているが、私はまだ老いも含め、許せていないのかもしれない。許せない人間も多数いるからかもしれない。

それを救うのが宗教だとすれば、まさしく私に必要なものは信仰なのだが、あちら側の世界を垣間見ていても、真実救われていないような気がするのは冒涜だろうか。究極的には、自分自身を自分で救う以外、方法はないのだろう。善悪の彼岸に到達しても沿いしていいかどうかは疑問ではあるが。

長々と書いてきたが、本書はそんな「信仰」について、平易な文章で触れられる良書と感じた。私は変化を信仰している。何が起ころうとも、不思議ではないと思う。

何へと変わるか? それは残った白紙のチケットを切りながら、とにかく自分で歩いて探し続けるしかないだろうと、今は思っている。それだけだ。

(きうら)


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