★★★★☆

赤目四十八瀧心中未遂(車谷長吉/文藝春秋)

投稿日:2019年4月5日 更新日:

  • 昭和の尼崎で臓物をさばく堕ちたインテリの悲哀
  • とにかく猥雑。あらゆる人間の醜さが描かれる
  • 異様な文章力で一度囚われると離れられない
  • おススメ度:★★★★☆

久しぶりにとんでもないものを読んでしまったな、というのが率直な感想だ。2001年刊行の本書をなぜ読もうと思ったのか。このタイトルはずいぶん古くから知っていた。なぜなら、赤目四十八瀧(滝)は、私の郷里の唯一と言っていい観光名所で、意識することが無いくらいありふれた地名であった。それが直木賞を受賞して脚光を浴びたのだから、名前を聞いて忘れるはずはない。ただ、当時は曽根崎心中のような美しい道行ものだと思っていた。

そうだ、でも、なぜ、今読んだかの説明にはなっていない。まあいつもの気まぐれなのだが、ここ数日、私は郷里を舞台に小説を書いてみたいと思っていたのだ。それも美しい話ではなく、血みどろのホラー的なものを想起していた。そういう浮世離れしたことを会社の休憩時間に思い浮かべていると、不意にこのタイトルを思い出したのである。「よし、先達が郷里を舞台にどんな小説を書いたのか、読んでやろうではないか」という気分だった。

完全に間違っていた。物語の舞台となっているのはほとんど兵庫県・尼崎市だ(ダウンタウンの出身地、私の好きな中島らもの故郷でもある)。そして、美しい道行とはおよそかけ離れた文学的猥雑さに満ち満ちた異様な作品だったのである。以下、概要を引用する。

文壇を騒然とさせた第119回直木賞受賞作。
アパートの一室で、「私」は来る日も来る日も、モツを串に刺し続けた。尼ヶ崎のはずれにある、吹き溜まりの町。向いの部屋に住む女「アヤちゃん」の背中一面には、迦陵頻伽(かりょうびんが)の刺青があった。ある日、女は私の部屋の戸を開けた。「うちを連れて逃げてッ」――。二人の逃避行が始まる。
救いのない人間の業と情念。圧倒的な小説作りの巧みさと見事な文章で、底辺に住む人々の姿を描き切った傑作。異色の私小説作家・車谷長吉の代表作。

救いのない人間の業と情念、底辺に住む人々の姿という謳い文句に偽りはない。簡単に言えば、「私」は文学に造詣の深く東京の広告代理店に勤めた超インテリだが、女性に振られ、色々自暴自棄になって会社を辞め、金がなくなって底辺の町(そういう内容なので現在と混同されませんよう)尼崎に流れ着いてくる。それも、一日中、四畳半のアパートで、病気で死んだ家畜の臓物を串に刺し続けるという「あな恐ろしや」的世界なのだ。それも終始張り詰めた状態で、常に主人公は何かに怯え、何かを悔やみ、悩み続けている。もう、これ以上ないくらい真っ暗闇な世界なのだ。

それはそうだろう。見知らぬ男に斡旋されて尼崎にやってきた「私」は六十年配の妖怪のような婆さんに色目を使われながら、モツをさばく仕事を貰う。それもタダみたいな賃金である。その現場は、厨房ではなく、風呂無し便所なし冷暖房無し、日当たり最悪の四畳半のボロアパートだ。そこで、朝の10時から夜の9時くらいまで一心不乱にモツを串に刺し続ける。ああ厭だ。もと文学青年の末期として、これ以上の悪夢はないだろう。それも「私」が自分で選んだものなのだが。

そして、心中がテーマになっているだけあって、男女の愛憎に関しては特に入念に描写される。概要にもあるように「アヤちゃん」という訳あり美人を中心に話は展開する。主人公の抱く、卑猥な感情が確かな文章力で赤裸々に語られる。何しろ、元娼婦という伊賀屋の女主人の微かな愛欲にも敏感に反応する「私」なのだ。ひたすら否定形で語られるが、とにかく、終始、性的な妄執が主人公から離れることは無い。

しかし、彼女には彫師の男(彫眉さん)がいて、これがまた異常な人間だ。「私」の部屋の前で開業しているのだが、神社の境内で剃刀を飛ばして鳩の目をつぶしてみたり、自分の色であるアヤちゃんをけしかけてみたり。それでいて、ねちっこく絡んできたりもする。これにモツを運んでくる不気味な「さいちゃん」や彫眉さんのませた子ども「晋平ちゃん」など、妙に濃いキャラクターを交え、悪夢のような日常が展開される。まさに、臓物の腐臭に塗れたような、そんな奈落の底だ。

ところが、ただの私小説で収まらないのは、とにかく、先が気になって仕方がないという点に尽きる。タイトルが「心中未遂」なので、行く先は分かっているのだが、それにしても、この結末に至る経緯が凄まじい。あらゆる言葉を用いて、人間の醜さをあぶり出そうとする。下手なホラーよりもよほど気分が悪くなる。なんてものを読んでしまったのだ。一方で、この危なっかしい主人公の行く末も気になる。読者はいつしか作品に捕りこまれ、一緒になってこの暗黒の世界でもがく羽目に陥る。先は気になるが、読むのは辛い。まるで、眠りたいのに眠れない不眠症のようだ。

純粋に「面白い本」として読んでも、文句なく満足できる。但し、かなりの「文字の毒」に対する耐性が求められる。文学作品を日常的に読む人ならば問題はないだろうが「人間って素晴らしい、ああ、なんて美しいんだ」とか「正義は必ず勝つ。それはもう絶対勝つんだから勝つ」とか「未来とは希望のことだ。すなわち希望を捨てれば未来は無くなる。希望こそ人間の唯一のレーゾンデートルだ」などという信念を持っている人からすれば、本当に薄汚く映るだろう。私は逆に、この悲惨な主人公に共鳴していたのだが……そりゃ、40も半ばを迎えて会社の昼休みにホラー小説の構想を練っている人間には近しいだろう。

ホラーを「人間の怖さ」と定義するするなら、この小説は十分すぎるほど怖い。吐き気がするほどだ。さらに、終始、肉欲を意識させられる陰鬱な性を描いた小説でもある。もちろん、ポルノ小説ではないのだが、60近い娼婦の恨みの籠った呪文のような喘ぎ声が隣室から聞こえてくる職場である。そりゃもう、とにかく死にたくなる。この小説の主人公でなくても取り敢えず死にたくなるようなシチュエーションだ。

凡百の心霊怪奇ホラーより、余程、脳髄に突き刺さる衝撃という意味で、この作品はぜひ「怖い本」として、推してみたいと思う。絶妙な不条理感も含めてとにかく酷いよ。確かに面白いが、読んで後悔したのは久しぶりだ。結末の呆気なさも含め、色々行き違いがある。でも、面白いのは間違いない。

それでも最後に「赤目」の地名が出てきた時は嬉しかった。本作では終焉の地として扱われているが、赤目四十八瀧(滝)は、天然記念物「大山椒魚」が見られる清流でもある。その気になれば滝を見ながら半日歩ける。もし、この作品を読んだなら、一度、この観光地を訪れて欲しい。実に美しい、平和な田舎の名所である。

文学的評価は成城氏に譲るとして、私はこの辺で。ずいぶんご無沙汰しているが、また、あの滝でも見に行こうかな。

(きうら)


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