- ヌメリヒトモドキという人に似た架空生物を扱うややSF要素のあるホラー
- 研究者の手記という形で、妻へのゆがんだ愛をテーマに、ひたすら湿度の高い文章が続く
- 表紙そのままの内容。気持ち悪いと思った人には内容も耐えられないだろう
- おススメ度:★★★☆☆
(あらすじ)架空の現代都市を舞台には、ヌメリヒトモドキという正体不明かつ、不死身の生物が存在している。元はナマコのような姿で、激しい異臭を放つが、生きた生物は食べない。主人公は、国の特別な施設に所属し、この生物を研究するチームの主任で、最愛の妻を亡くしたという設定だ。ヌメリヒトモドキには、もう一つ、一定の条件がそろうと人間に近づいていくという特性がある。妻を亡くした主人公が考えることは一つ、そう、亡き妻の復活である。彼は異臭に耐えながら、自宅でヌメリヒトモドキを飼い始めるが……。
久しぶりに表紙を見て生理的に嫌悪感が沸いた。その為、滅多にしないのだが、表紙にカバーを付けて読んでしまった。文章的な刺激には対応できるが、ビジュアル的なホラー要素はどうも苦手だ。ただ、その印象は決して間違っておらず、内容も上記のように陰鬱な結末を予測させるものだ。
今更だが、ホラーを辞書で引くと「恐怖、戦慄」と書いてある。この作品については、上記の表紙も含め、恐怖というより「嫌悪(Aversion)」がふさわしいと思う。簡単に要約すると、主人公は、仕事として上記の悪臭を放つヌメリヒトモドキを研究と称して虐待しているのである。これはかつての同僚の人格・記憶を完全コピーしたもので、不死身なのをいいことに、精神的・肉体的にあらゆる人体実験を行う。一方で、自宅にそのヌメリヒトモドキを飼って、妻のコピーを作ろうとする。
特徴的設定として、ヌメリヒトモドキという生物は、人間に臭気や見かけによって嫌悪感を与えるが、直接攻撃してくるような存在ではないということだ。この点が、陰鬱さを加速させている。人に危害は加えないが、とにかく臭く、粘液をまき散らすので、その生物の「女王」が出現した地区は放棄されるという説明がある。文章の三分の一位が悪臭について触れられているのではないかと思うほど、執拗にその臭気が描写される。クライマックスに向けては、およそ、予想通りの更に気持ち悪い展開をしていく。
死者の蘇りというと、今思いつくのは、イギリスのW・W・ジェイコブズの古典的名作「猿の手(wiki)」や、坂東眞砂子の「死国(wiki)」、スティーブン・キングの「ペット・セマタリー(wiki)」などだが、過去にもホラーというジャンルでは、割合メジャーなテーマであり、この小説もその系譜に属する作品だ。上記の「嫌悪感」を除けば、凡そ「死者蘇りもの」としては予定された悲劇が起こる。生々しい夫婦の愛憎を織り込んでいるのがオリジナルな点だが、主人公の妻への情理の推移が今一つ分かりにくいという瑕疵があると思う。
ちなみに「死者の蘇り」の悲劇とは、高い代償を支払わないといけないにも関わらず、蘇ってきた死者が怪物化(期待した結末とは物と違う)していることを基本にしていると思う。例えば上記の「猿の手」は、ご存知かもしれないが、3つの願いを聞く力があるという猿の手に、主人公は、冗談半分に借金の返済を願う。すると息子が死んでその見舞金として、望んだ金額が手に入る。今度はその息子の復活を願うが、最後の最後にその息子の復活の取り消しを願うというあらすじ。上手いのは息子の姿が最後まで描写されないところだ。読者は見えない「息子」の姿を想像して恐怖するという点がホラーとして優れている。
本作はそれとは、正反対に復活する死者の様子が子細に描写される。ただ、嫌悪感は相当あるが「その気持ち悪さを描き切ろう」という作者の強い意志を感じる。そういう点で、メジャーなテーマをバイオSF的、現代的に再構築した点は評価できるのではないだろうか。個人的には、その夫婦愛の下にある虚無感にこそ、恐怖を感じたが。
蛇足になるが、このテーマを肯定的に描いたものとして梶尾真治の「黄泉がえり」や、フィル・アルデン・ロビンソン監督の映画「フィールド・オブ・ドリームス」などを挙げておく。否定的・肯定的に関わらず、古典から現代ドラマまで、他にももっとたくさんあると思う。基督の復活譚に見られるように、一種、人間にとっての普遍的テーマと言えるかも知れない。
(きうら)