- 「にんじん」とよばれる少年と、その家族の「短編連作」。
- 何事にもめげない「にんじん」の逞しさ、強情さ。
- 時折みられる残酷さ。
- おススメ度:★★★☆☆
家族から「にんじん」と呼ばれて、いつもからかわれている少年が、それにめげずに、というかどこか達観したかのような感じで、日々を過ごすスケッチ集。最初の方の話は、とくにひどいエピソードばかりで、「ひどい話」と題された話などは、本当にひどくて、普通に読むと、(とくに母親からの)児童虐待じゃないかと思われる。そのあとで「にんじん」は、災難を回避しようと心がけようとする姿は、なかなか涙ぐましいのだが、これは単純に涙ぐましいとは言えないとも思う。
どういうことか。この作品は母親から、ただひどい仕打ちを受けるだけの話というだけでないということ。「にんじん」の気性も多少激しいところがあり、気難しい母親と子との戦いのような感じがする。母の気性難は、「にんじん」というこれまた気性難(という反抗)によって助長されているとみるのは、私の僻目だろうか。こういった親子関係は、(男性なら)少なからず経験したことはあるかもしれない。
「にんじん(を描く作者)」は、しかし「冷徹」に物事を見つめながら、成長していく。「髪の毛が、ぴんと立ちあがる。真っ直ぐに、自由に」というように成長する。また、この作品のユーモアは良い。「書簡集」と題された一編では、「にんじん」と父親(ルピック氏)との、愛情あふれるやり取りが交わされる。とくに最後のオチは秀逸だ。
「名づけ親」である老人との交流は、この作品でも数少ない心温まる一面だ。ここには、少年時代の楽しい思い出のようなもので溢れている。その他、時折挟まれる自然描写もいい。「木の葉の嵐」という一編では、「にんじん」が自然と対峙し、それを余さず感じ取ろうとして、やがて圧倒されるのだが、ここには子供時代の驚きと感受性がすくいとられている。
ちなみに、本書では、「にんじん」が猫を惨殺するシーンがでてくるので、猫好きな人が読む場合(そうでない人でも)、注意してください。
(成城比丘太郎)