- 広島原爆投下前後の生活を描く
- とにかくトラウマ
- 理由はともかく、原爆は人間の所業ではない
- おススメ度:評価不能
最後に読んでからもう20年以上経っているが、何しろ今でもこの漫画の描くシーンを鮮明に思い出せる。そのどれもが地獄絵図。一瞬脳裏をよぎるだけで、夏の暑さと「あの光景」と、戦争とは何かと思う。
内容はAmazonで紹介されているが、次の一文で十分だろう。
舞台は1945年、終戦間近の広島市。両親と姉、弟と貧しくとも仲良く暮らす主人公「ゲン」の暮らしはある朝、何の前触れもなく投下された”原爆”により地獄と化した。
私の少年時代は、戦争を体験した方がリアルにたくさん生きている時代で、私の母方の祖母もそうだった。祖父は戦争に行って戻ってきたらしいが、それで何らかの病を得て、すぐに亡くなってしまったらしい。仏壇の祖父の年齢ははるかに越してしまった。
これを怖い話として紹介するのには抵抗がある。怖いか怖くないかと言えば、まあ説明は不要であろう。ちょっとだけ想像してみればわかる。一瞬で40万度に達する火球が市街地でさく裂したのである。多数の人間が「蒸発」するなんていうことは、まず、人類史上を見回してもそうそう起こっていることではないだろう。
それが想定されていたにも拘らず、決行した人間。老若男女問わず、人の善悪問わず、焼き殺すことを決意した人間。そこには恐怖とはまた次元の違う、そこはかとない闇が広がっている気がする。
中学校の修学旅行では、実際に被爆者の方から体験談も聞いた。「戦争恐怖症」だった私は、たぶんまともに頭に入っていなかったと思う。学校の登校日に見せられた戦争の記録映画で真っ先に気分が悪くなって教室を飛び出しのも私だ。
それでも、この漫画は最後まで読んだと思う。強烈な絵柄や台詞に目が行きがちだが、漫画としての構成もしっかりしており、今読んでも引き込まれるはずだ。私は著者がインタビューを受け「なぜこんな残酷なシーンを描いたのか」という問いに「こんな生易しいものではなかった」と答えていたのが記憶に残っている。
三重の田舎に住んでいた祖母も、山間の畑で機銃掃射にあったと語っていた時代。アメリカ軍の飛行機は面白半分に撃ったのだろう、と祖母は淡々と言っていた。幸い怪我がなかったため、私が今いるわけだが、そんなことが当然だと思える時代があったことは純粋に恐怖だ。
このような切れ切れの感想になっているのは、やはり、私は戦争にまつわる一切が「苦手」だからだろう。今でも、「過去の出来事」とは全く思えない。闘争は形を変えて、現代社会でもあちらこちらで巻き起こっているように思える。闇は拭われるどころか、ますます混迷の度合いを深めているのではないか。
いちホラーファンが人類を批判するつもりはないのだが、怖い話はフィクションであってこそ楽しめるのであり、現実におこってはいけない。それはつくづく感じることである。
ちなみに、当時の図書館には本書と並んで「サスケ/白土三平」「サバイバル/さいとう・たかを」など結構なグロテスク表現がある本が多数置いてあった。今の図書館がどうなっているかは知らないが、昭和の一面だろう。
もうすぐ平成も終わるが、時間と関係なく、深く心に刺さる漫画であり、いまも生きている問題だと思う。
(きうら)