- 心を病んだ青年ハイムの妄想と犯罪
- ノワール小説の鬼才の作品(紹介文より)
- 面白いような、そうでないような
- おススメ度:★★☆☆☆
松の内も明けない内にこんな不気味な作品を紹介するのは気が引けないでもないが、こういうサイトなので諦めよう。ノワールとは、暗黒小説とも訳され、例によってググってみると、アメリカのハードボイルド小説の影響下で書かれたフランス産のミステリー小説を指す(Wiki)らしい。しかし、この作品はミステリーというには謎がない。暗黒小説というならその通りだが……いわく、表現しがたい読後感を残す小説ではある。
(あらすじ)主人公のハイムは現実世界では美術講師として失敗し、日本でいうニート状態にある青年。しかし、見栄えはそれほど悪くないようで、鼻は長いと書かれているが、イケメン風の描写がある。彼は母親と二人で、世間から隠れるように生きている。そのハイムは、妄想の世界で<アルゴンキン・ホテル>の12歳のボーイとして存在している。やがて彼は、自らの妄想に飲み込まれるように、現実の世界でも事件を引き起こす。本の裏には「孤独な青年の狂気が爆発する」と書かれている。
確かに、狂気は爆発する。というか、最初から狂気しか感じない作風だ。グルームの言葉の説明は巻末解説に書かれている。英語で「宮内官」を意味するが、フランス語では「ホテルのボーイ」という意味で使われているらしい。英語では「花婿」の意味もあるとのことだが、そこまで深読みするほどでもないと思う。
作風は明快で、とにかく下品さを強調する露悪的な文章だ。一人称で現実のハイム、ホテルのボーイとしてのハイム、女刑事のサラ・ドットルドーの視点で語られる。どれも隠語や罵倒に塗れた文章で、性的な表現も多数出てくるが、作者は余りその方面に対して熱心ではないと思う。度々引き合いに出して悪いが、ソローキン(「愛」)などに比べると、変態度合いは相当落ちると思う。ただ、事件にまつわる登場人物、ハイム、その母親、女刑事とその上司など、誰一人まともなキャラクターがいない。読んでみればお分かりいただけると思うが、とにかく下品さを強調した描写と物語になっている。
怖いかどうかと言われると、別に怖くはないのだが、ハイムとその妄想の中の「ぼく」が混濁し始めるところは中々見事だ。妄想の中のハイムの話を聞かされるのは辟易してくるが、時々正気に戻ったような描写が出てくるのが面白い。95%は狂った人間の描写だが、残りの5%がまともで、その妙な落差に作者自身が狂ってないことが良く分かる。上記のソローキンはそもそも狂っている人間がまともな小説を書こうとして変な小説になっているが、この作品は、普通の人間が精一杯狂った描写をしようとしているように思える。作者は映画監督らしいが、ちゃんと正気を残している。
そういう訳で、あくまでテクニックとして書かれている狂気なので、それを意識すると冷める。キングなども同じように狂気に満ちた小説を書くことがあるが、少なくとも書いている間は本当の狂人になっている気がする。その辺がこの小説に高評価を与えられない理由で、有体に言えばのめり込めない。ただ、思ったより読みやすいのは間違いない。
フランス人の小説を殆ど読んだことがないので分からないが、キングをアメリカ的低俗小説(いい意味で)の代表とすると、確かに違いを感じる。フランス的と言っていいのか分からないが、どこか俗悪に染まり切れないというか、上品さというか、技巧的なものを感じる。この辺が、何でもありのキングやクーンツとは違うような気がする。あくまでも気がするだけだが。ちなみにオランダの変態と言えば映画監督のポール・バーホーベンだが、こちらは本物だ。という訳で、ジャン・ヴォートラン自身の生涯は全く分からないが、結構まともな人と見た。フランスだからという訳ではなく、著者自身が狂いきれてないのだろう。
まとめとしては、ホラーやこの手の狂気に満ちた小説に慣れた人には一読の価値くらいはあると思うが、普通の娯楽小説を期待すると苦痛しか感じないはず。腐臭漂うしつこい描写には、さすがに「分かった、分かった」となる。もし、ホラーの蒐集家なら、本棚に並べておくとちょっと自慢できるかも知れない。
(きうら)