- 「絶景本棚」から何かを考える
- 必読の本とは?
- 必聴の曲とは?
- オモシロ度:★★★★☆
ちょうど現在、この前出版された『絶景本棚 2』(本の雑誌社)を読んでいる(眺めている)。続編である今回のやつも、だいたいにおいて読書遍歴自慢もしくは蔵書自慢といったかんじです。まだきちんと隅から隅まで見通したわけではないですけど、それぞれの本棚から窺えるのは、蔵書家自身のセンスの良さアピールといった感じ(センスがいいのは重要ですよ)。それぞれの本棚の表面には、持っていたら人間性が疑われるような本や、所蔵していること自体がヤバそうな本はほとんど見当たらない。もちろんそれは、今これを書いている自分の本棚にもあてはまる。自分も、人目につく棚にはそんなものは置いていない(そもそも、そんなものはほとんど所蔵していないけど)。自分の本棚にもこの本の中身に負けるくらい書籍があるけど、そのほとんどがこの本に映っている書籍と質的には大差ない。
なんだろうか。『絶景本棚 2』から自分の部屋にある本棚に目をうつすと、それなりに大量にある自分の蔵書から、自分自身の薄っぺらさを痛感してしまう。ここ20年以上本を読んできて知識は増えたはずなのに、そのかわりに自分自身が薄っぺらい存在になったような気がする。いわば、他人の考えや知識ばかりをその身に背負いそのせいで自分の身体がそれら他人の思考に押し潰されたというか、もしくはクジラかなにかがその身に大量の小魚というしょーもない物体を宿しまくったせいで深海に沈んでいきいつの間にか陽光のごとき生活に必要な真の知識から遠く離れてしまったというか、なんかそんな虚しさ感じてしまった。とはいえ、本のない人生は考えられないので、この虚しさを抱えつつ「おちこんだりもしたけれど、わたしは元気です」と言っていくしかない。というか、自分の蔵書を整理すればいいだけの話なんだすけど。
そんななか(?)、ちょっと前に読んだ『バーナード嬢』の最新刊を思い出した。この漫画の登場人物で一番本を読んでいるのはおそらく神林だろう。SF好きの神林であるけど、その読書遍歴は質的にかなりのものがあるだろう。『絶景本棚 2』を読んでいて、この神林の本棚はどうなっているだろうかと妄想してみそうになった。というか、現代の若者の本棚を見たい気分。著名人の本棚には少し飽きた。漫画では神林の実家のことにはあまり触れられてないけど、おそらく家族も含めて相当の蔵書家だと思われる。しかし、両親もそれなりに読書家だと思われるが、神林自身が図書館で本を借りていたり、サンリオSF文庫(古書)を買うのすら躊躇っていたりするところから推察するに、実家にはそんなに蔵書はないのかもしれない。いずれにせよ、神林の本棚を見てみたい(現役女子高生の本棚に興味がある、変な意味でなく)。
ここでおもろいのが、『バーナード嬢 5』で、神林が、「読まないといけない本なんて、この世界には一冊もないよ」と嘯くところだろう。なんか深遠なことを言ってそうなところが良い。しかしそんな神林に対して、「でも、本は読まないといけないでしょ」と訊いたら、「まあそうだな」とはにかみつつ答えるかもしれない。本は読まないといけないが、読まないといけない本はない。「本は読んどけ」ということなんだが、別にこれは背反でもなんでもない。読書一般とそうでないものとの違いだけなのかもしれない。結論的には人生にとって本を読むに如くはない、といったところでしょうか、よー知らんけど。
さらにおもろかったのは、神林が『ハリー・ポッター』を読んだことがないということだろう。神林はSF好きであるからほとんどの古典SFを読んできたのだろうが、ファンタジーに関してはそんなにこだわりはないのだろう。さわ子がハリポタを全巻持っているのに、神林が一冊も持っていない(買ってもらわなかった)ということは、読みたい気がなかったのだろうか。それにしても気になる。この前読んだある本では、池澤夏樹と池澤春菜の親子ともどもハリポタの翻訳にダメ出しをしてたけど、もしかしたらSFファン界隈ではハリポタの翻訳のイマイチさが有名で、それを聞いた神林がハリポタ読むのを躊躇ったのかどうか。たぶんなんの関係もないと思うが。自分もハリポタ読んだのだいぶ前だし原書も読んでないのでわからないけど。
それはともかく、ハリポタはファンタジー好きなら必読な本になるのかどうかは、これからわかるのかもしれない。ではほかのジャンルならどうなのだろうか。たとえば日本近現代文学を好きなひとがいて、そのひとが「夏目漱石読んだことない」なんてことは言わないだろう。というかむしろ、漱石読んだことないのに日本文学好きとはどういうことなのかきいてみたい。もしこれが「村上春樹さんなんか読まない」というひとがいてもああそうですねと思うだけだろう。そういう意味だと漱石は別格なのかなぁ。
では音楽に、必聴の曲などあるのだろうか。たとえば本を読んでる時には自分の頭のなかで何らかのリズムがうまれていることがあるし、心臓の鼓動や脈動自体が音楽の萌芽であるといえるかもしれん。ほんで、もうすぐ「今は秋」ということで夜になると秋の虫の旋律が聴こえる。さらには、テーブルを一定のリズムで叩きつつハミングかなにかでフレーズを放つだけでもなにかの音楽がうまれる。つまり、なにもしてなくてもなにかをしただけでも音楽性に触れざるを得ない。では既成の曲すなわち人口に膾炙したような曲で必聴のものはあるだろうか。これもジャンルを絞ればあるかもしれない。たとえばジャズでいうと、チャーリー・パーカーもセロニアス・モンクも聴いたことのないジャズ好きはいないだろう。もしそんなひとがいたら、そのひとが言ってるジャズとはなんなのかきいてみたい。もしかしたらそういう人はいるかもしれないけど、なにか特別の理由でもない限り、パーカーを聴かないことはありえない。他の音楽ジャンルでもなにかあるかもしれないので、考えてみるとおもろいかもしれない。
まとめ。必読の本や必聴の曲はないのかもしれないけど、本は読んだ方がいいだろうし、なにかの曲は人生にとってとても重要であることは間違いない、という深みもなにもない結論でした。
(成城比丘太郎)