- 暗くて生硬な文章。
- ちょっとしたユーモア(のある作品)もある。
- 面白い本を読みたい人には、おススメしない。
- おススメ度:★★☆☆☆
中村文則の作品を最初に読んだのは、芥川賞受賞作『土の中の子供』で、一読して、なんだこのつまらないのは、暗いイメージだけで何もない、なんで受賞したのか、私には読み取れないものがあるのかと、とくに悩んだりはしなかったが、その後、しばらくして初期作品をいくつか読み、その時はまあまあだと思った。私にあれらより面白いものが書けるか、ということを考えて、それと比較すると、本書は小説(文学)として、(金銭を出して)なんとか読める出来になっている。
というわけで、本書は、著者の初期作を集めた初の短篇集。重々しそうな雰囲気が全体を包んでいて、暗いテーマやストーリーもあるが、何より文章が喚起するイメージが暗い。私は暗い小説が好きだが、この暗さは、ラーメンでいうと、文章という麺に絡みついているスープや具材(=要素)が暗いという、そんな感じだ。暗さをただトッピングしただけという感じ。独特といえばそれまでだが、この暗さは、私が好きな福永武彦の小説とはまた違う暗さ。中村文則の最近の作品は読んでないのでわからないが、本書はその暗さが自慢の、味はいまいちな食堂の一品という印象。
前置きは措いて、中身について。まず、冒頭の「月の下の子供」であるが、これは、なんというか、これだけ淡々とした筆致は他にない。だからか、どんな情景も胸に迫らない。話のあらすじは、何度か印象的な場面で、幽霊を見た「僕」が紆余曲折を経て、不動産業に就職してからの、あれこれ。これがまあ、すべてがモノローグのように進み、私には、登場人物が明晰な意識で、意味のなさそうな絵柄のジグソーバズルを組み上げているのを、傍から見せられているようにしか読めなかった。これがもし、オムニバス映画の冒頭で流されたら、観客は寝るか、席を立つだろう。なぜ、これをはじめにもってきたのか疑問。
二作目の「ゴミ屋敷」は少しコミカル。妻が不慮の死を遂げ、それから全く動かなくなってしまった男の話。その後動き出した男は自宅にゴミを集めだし、それに巻き込まれた男の弟と、ヘルパーの女性との騒動を描く、どこかシュルレアリスティックな作品。作中で女性が安部公房を読んでいるが、この一編もそれ風でもあり、ちょっと大江健三郎っぽいところもある。男が建てようとする、バベルの塔じみた鉄屑の山は、何かの限界を打ち破ろうとしたものか。「その限界の中で何かをつくったら、範囲内なのになぜか限界を超えてるような、そんな恐ろしい文字の組み合わせがあるかもしれない」と言う女のセリフは、これを読むにあたっての何らかの指標になりそう。とはいえ、これって俳句のことを言っているように思えた。
三作目の「戦争日和」は、戦争日和のような青空の下、生きあがいている卑小な生の営み。それは、本当の戦争(?)を知らないから書けることか。四作目の「夜のざわめき」は、夢の中の出来事をうまくまとめたような幻想小説っぽい感じ。
最後の「世界の果て」は、5つの短編連作からなる。全編通して暗いが、ここまで順番通り読んでくれば、もうフツーに読めると思う。詳しい内容説明は省きます。「(1)」は、家に死んだ犬を見つけて、それを捨てるべく夜の街を自転車を押して徘徊する「僕」の話で、ここから何を読み取るかは、どうでもいい。「(3)」は、ある高校生が包丁を購入し、自分の葛藤みたいなものを抱えて、どうのこうのする話。「(4)」は、ミステリっぽいが、これこそ安部公房風である。
特におススメしないが、私としてはこういう暗さは嫌いじゃないので、これからも引き続き別の作品を読みたいと思う。
(成城比丘太郎)