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★★★★☆

人生論 (トルストイ[著]、原卓也[訳]/新潮文庫)

投稿日:2018年8月16日 更新日:

  • 悩める30代以降に
  • トルストイの「幸福論」
  • 難解だが私は腑に落ちた
  • おススメ度:★★★★☆

怖い本のサイトととはいえ、時々(結構?)管理人の趣味でそれ以外のジャンルの本にも手を伸ばす本サイト。今回はロシアの文豪・トルストイが語る「世の中」の話だ。もし、読者の方が20代以前、あるいは幸福に満ち溢れた生活をしているのなら、ここから先のレビューは「電波」記事に見え、面白くもなく、役にも立たないかも知れない。ただ、人生に何らかの迷いがある人には、鋭い示唆を与えてくれると思う。私はそうだ。ちなみに人生論というタイトルだが、訳者のあとがきを見ると「生命論」とする方がしっくりくるとのこと。

そもそも前提条件として「生きることの難しさ」を経験していないと、実感としてはこの本の思想は理解できないだろう。ただ、賢い学生の方なら世の中の真理として理解できるかもしれないが。また、私が大学生の時に哲学の先生に聞いた「哲学を学んでも生きるのが楽になるわけではない」という、ある種、狙いすました一言を最初に書いておきたい。ただ、哲学書としては難解な方ではなく、十分理解できる範疇である。純粋理性批判(カント)で挫折したので、比べると素晴らしく読みやすい。

【概要】人生は困苦に満ちている。現に今も苦しみ、もがいている人が多数いる。では、彼らは幸せになれないのであろうか。いや、実は彼らは誤った人生(生命)の見方をしているために、何千年も前から示されている真理を理解できず、苦しんでいるに過ぎない。彼らは誤った生命への価値観を捨て、正しい真理にこそ価値を見出すべきである。

トルストイは最初に、その真理の例として、

「生命とは、人々の幸福のために天から人々のうちにくだった光の伝播である(孔子)」
「生命とは、ますます大きな幸福を得ようとする魂の遍歴であり、感性である(バラモン教徒の教義)」
「生命とは、至福の涅槃に到達するためにおのれを捨てることである(仏陀)」※涅槃(ねはん)……一切の煩悩から解脱した、不生不滅の高い境地。
「生命とは幸福を得るための謙遜と卑下の道である(老子)」
「生命とは、人が神のおきてをはたしながら幸福を得るために、神が人の鼻孔に吹き込んだものである」
「生命とは、人に幸福をもたらす、理性への従属である」
「生命とは、神と隣人に対する愛であり、人に幸福をもたらす愛である(キリスト)」

と、列挙している。古今東西、言い回しは違えど、どれも生命の真理を示していると著者はいう。そして、なぜ、こんなにも明白な真理があるのに、人々は目先の快楽を追い求めて苦しんでいるのか、という論旨に繋がっていくのである。

ここからは複雑な論理が展開されるので、実際に読んでもらうしかないのであるが、私程度で理解したところによると、人間の動物的な快楽への欲求(動物的個我と表現される)は、そもそもそれ自体を目的として生きるのは間違っているし、また、どれだけ追い求めても満たされることは無いという。

食欲、睡眠欲、性欲、物欲、権力欲など、数多の俗世の欲望はそもそもだれでも持っているものであるが、それは生きるための当然の欲求であって、生きている以上(最低限は)満たされている(満たされるべき)ものであり、それそのものを生きる目的とした場合、決して幸福にはなれないと、説いている。「そんなことあるか。現にうまいものを食ったら幸せだし、欲しいものを買ったら嬉しいじゃないか」と思われるかも知れない。しかし、それは「果てしない」ものであり、それ自体を目的としても決して真の幸福には至らない。ひたすら物欲に満たされたとしても、待っているのは死の恐怖である。それが本当の幸福と言えるだろうか、という問いかけがある。

私の場合もまさにそうだ。表面上は物欲はないようなフリはしているが、あれが欲しい、人に愛されたい、楽な仕事をしたい、勝手気ままに生きたい、と、常に何かに「飢えて」生きているのである。結果、朝起きると「今日も仕事か」となり、何かを手に入れても「無くなるのではないか」とおびえたり、人に好かれても「心変わりするのではないか」と、不安になるのである。こんな毎日は、幸福とは程遠い。全てとは言わないが、そう思って生きている人も多いような気がする。

では、それらの動物的個我を無視すればいいのかというとそれも違う。トルストイは、次のように結論付けている。

要求されるのは個我の否定ではなく、理性的な意識に個我を従属させることである(第21章)

この中で、「人間の生存の不幸は、人がそれぞれ個我であることから生ずるのではなく、人が自己の個我の生存を生命の幸福と認めることから生ずる。その時はじめて、一人の人間の矛盾や分裂や苦悩が生まれるのだ。」と解説されている。

大丈夫だろうか? 私のつたない解説で「?」という状況になっていないだろうか。要するに、我々が幸福と呼んでいる一般的な快楽への追及は、苦しみを増やすばかりで、本当の幸福とは全く別物だ、という話である。また、別の章で「自分の快楽とはすなわち他人の苦痛の上に成り立っているのではないか」という問いかけもある。私はここで腑に落ちた。目先の幸せっぽい何かをいくら追及しても幻を追うようなもので、追いついたとたんに消えてしまう。あとに残るのは虚無である。それは真の幸福を知らないからだ。では、真の幸福とは何か?

苦しんでいる者に対する直接の愛の奉仕と、苦しみの共通の原因である迷いの根絶とに向けられる活動こそ、人間の直面する唯一の喜ばしい仕事であり、それが人間の生命の存する、奪われることのない幸福を与えてくれるのである。(第35章)

つまり、最初に戻るが、他者への愛と奉仕こそが真の幸福であり、それに動物的個我を従属させることが人が幸福に生きる道だと言っているのである。うーむ。

「そんなことは出来っこない」とか「宗教じゃあるまいし、家族の幸福の方が大事だろ」とか、思われた方もいるかも知れないが、私のこれまでの経験上、この言葉は正しい。肉体的な疲れはある。精神的な苦痛もある。しかし、自分以外の誰かの役に立つときだけ、そして、役に立ち続けているときだけ、人は幸福なのではないだろうか。それは別に仕事だけではない。家族や隣人に対するささやかな愛情でも同じだろう。「俺が、私が、自分の個我が!」と叫び続けている状態こそ、まさに不幸だという気がする。

しかし、現実は厳しく、体は疲れて、この「真理」にいつも異議申し立てをしているのも事実だが、こういう見方をすれば、それすらも幸福への道のりではないか。些事に惑わされず、ひたすら人間の困苦に立ち向かうことこそ、幸福への唯一の道なのかもしれない、と思うのである。

ここまで読まれた方はどう思われたか分からないが、私はこの本を読んで少し気が楽になった。トルストイイズムとあとがきでは語られているが、よく考えると、私が人生の指針と思う本は、言葉が違うだけで同じことを言っているのである。V.E.フランクルも岡本太郎も結局は、個人に蓄積される幸福などというものを否定し、真の幸福はよりダイナミックな他者への愛だと語っている。トルストイはさらに、この論理を進め、死の恐怖からの解放も論じているので、興味があれば是非一読を。

「幸せ」など陳腐な言葉ではあるが、真の「幸せ」はゆるぎないものであり、何物にも侵されない絶対的なものである。私にはまだないが、そんな幸福に至ればいいな、というお話だ。

(きうら)


-★★★★☆
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