東京と神戸に核ミサイルが落ちたとき所沢と大阪はどうなる(兵頭二十八/講談社+α新書)
- 今週読んだ本の簡単なまとめ感想。
- 日本に対する核攻撃の標的と、その防護はどうなっているか(一冊目)。
- ソクラテスなら(現代的問題を)どう考えるか(二冊目)。
- おススメ度:それぞれ
今週読んだ本の簡単なまとめという形で取り上げたいと思います。まず、『東京と神戸に核ミサイルが落ちたとき所沢と大阪はどうなる』です。図書館の新刊コーナーでこのタイトルをみかけて、なんじゃこりゃと借りてきた本です。たぶん書店ではスルーして中身すら見もしない本でしょうね。ざっと読んだ印象では、日本に核攻撃をおこなう主体として中共(中華人民共和国)があげられていますが(北朝鮮も)、どういった(政治的などの)過程を経て日本に核攻撃に至るのかはとくにくわしくは書かれておらず、ただ対米戦争時の先制攻撃的に日本に爆撃するのと、「核のドゥームズデイ(=自国政体の壊滅危機に際してのやけっぱち的核攻撃)」の時に、日本のどこの(軍事関連)施設や軍事拠点などが攻撃対象になるかなどが書かれています。中共が実際に核ミサイルを飛ばす可能性がどれくらいあるのかも書かれていないのですが、逆に言うと、実際に日本のどこが攻撃対象(場所や人的資源の密集地)になりやすいのかがわかり、日本の都市の核攻撃に対する不備がわかるということです。まあ著者が訴えているのは核攻撃に対する意識の低さでしょうかね。ここで書かれているのはあくまでもシミュレーションとしてのものなので、必要に怖がるものではないでしょうが、知識として、核ミサイル爆発時の高度の違いによる被害のでかたや、核災害の実態などを知っておくに越したことはないでしょう。そういった意味では、書名ほどのすごい物騒な本というかんじはないです。おススメ度としては★3つです(興味があるなら、という程度です)。
二冊目は『新哲学対話――ソクラテスならどう考える?』(オモシロ度:★★★★☆)です。著者の飯田隆は言語哲学者です。これまでに読んだ著作の『規則と意味のパラドックス(ちくま学芸文庫)』などは〔私には〕難しくてきちんと理解できているか自信がないのですが、この『新哲学対話』は非常に読みやすいです。というか、プラトンの対話篇の形式をかりて創作されたものなので、読みやすいのは当たり前ですが。しかし、読みやすいからといって内容が簡単なわけではないです。
まず冒頭の「アガトン」は、プラトンの『饗宴』で書かれたことを、想像として膨らませたものです。「いいワイン」とはどういうことかについての対話です。「いいワイン」とは個人の嗜好によって決められるのか(相対的)、それとも何か客観的な基準(金銭に還元できるものか)があるのかについて議論されます。最終的に「いいワイン」とは、その味の良さについて詳しい人たちによって、ある程度の基準は見つけ出せるのではないかということへ落ち着きます。
さてここで脱線して、「いい本」というのは何だろうかと〔このブログの趣旨として〕考えてみると、まずは、「おもしろい(怖い)本」という価値判断から選ばれるかもしれませんし、「よく売れている本」といわれるかもしれません。とはいえ、その判断の中身も千差万別でしょう。結局は、「いい本」を知っている人は、経験が豊富(=読書量が豊富)で、どんな本が「いい本」であるかを〔多角的に〕ずっと考えてきている人であることに落ち着くのは否定しないところでしょう。その経験というのも歴史的に積み重ねたものだろうから、(比較的)古典が多く選ばれるのは当然でしょうし、よく「名作100品」などを斯界の権威(?)に選んでもらうと似たような選出になるのも当然ということになるのでしょうか。でもまあ、「いい本」が「おもしろい本」と被るところが多いことだけは〔経験からは〕言えそうです。
次の対話篇である「ケベス」は、ソクラテス、ケベス、シミアスの三人が20世紀の世界(アメリカのようです)にタイムスリップしたという形をとっていて、その設定だけでまずおもしろい。ソクラテスがシャツにパンツ姿で講演したりテレビ出演したりするんですが、できればそこでの詳しい話も書いてもらいたい(本題からはずれますが)。この対話篇の副題は「AIの臨界」で、初出の時期が1990年なので、今では古い部分はあります。計算機の計算と、人間が計算することが同じことを意味しているかどうかを話し合っていくという簡単な内容。個人的には、ソクラテスが現代の思想的潮流に目を配っていると思われるところがあっておもしろい。
その他の二篇は『テアイテトス』から題材をとってきたもの。この二つでは、意味の理解のことや、「知者のパラドックス」について語りあいます。
(成城比丘太郎)