(異例の編者冒頭注)今回は詩集ということで、一般の読者の方には敷居が高いと思われるが、この紹介文を書いた私の盟友の文章も相当ぶっ飛んでいる。どこからどこまでが原典で、どこからが感想なのかが良くわからない。正直、少々狂気も感じる。しかしこの狂気こそまさに「怖い」もの。お時間が有れば、ぜひこの恐怖を……。
- 吉増剛造(Wiki)の、90年代までの仕事から抜粋。
- とにかく読み、発声(して何かを発生)することだ!
- 私の感想と、詩的で恣意的な読解。
- おススメ度:★★★★☆
私は詩を読む。冒頭詩の「朝狂って」を読む。
「朝狂って」
ぼくは詩を書く
第一行目を書く
彫刻刀が、朝狂って、立ちあがる
それがぼくの正義だ!朝焼けや乳房が美しいとはかぎらない
美が第一とはかぎらない
全音楽はウソッぱちだ!
ああ なによりも、花という、花を閉鎖して、転落することだ!一九六六年九月二十四日朝
ぼくは親しい友人に手紙を書いた
原罪について
完全犯罪と知識の絶滅法についてアア コレワ
なんという、薄紅色の掌にころがる水滴
珈琲皿に映ル乳房ヨ!
転落デキナイヨー!
剣の上をツツッと走ったが、消えないぞ世界!(詩集『黄金詩篇』より)
これから詩を書くぞという決意、やるぞという決意、僕ではなく、ぼく、それは若さのあかしだ!
第二行目に第一行目を書く、つまりぼくの決意に、詩を書く行為が遅れてついて来ている、ついてこい詩文よ!
ぼくの彫刻刀が朝に勃つ、朝だつ彫刻刀は世界に切りつけ、何かをうみだす、もたらす、それが朝(はじまりのとき)に狂う、通常でないと人が言う状態で、ぼくの正義は、ある意味相対的なものとして立ちあがる。
朝焼けは自然のもの、乳房は人体のもの、どちらも神の生みだしたもの、それらが美しくないとはかぎらない、美しいことが第一でないとはかぎらない、どちらでもいいじゃあないか、音楽ではなく、全音楽、それは世界を満たすすべてのもの、全宇宙にみちる、全音楽、すべてまやかしという発見!
花はなんだ、裂け目の美なのか、これも世界をうみだすものか、それを閉じる、そして転落、楽園から転げ落ちる、疾走して失踪、どこへ?
美という、ことばのいらない世界?
日時をつけて、立ち止まろう、ぼくのセーブポイント、ぼくの親しい友人は、親しくない友人とは違うもの、手紙を書いた、書き文字にして伝えることだ、原罪という、この世にすでにみちている(はじまりの罪という)とりきめについて、完全犯罪、吉増剛造には「完全犯罪への熱望」がある、「完全犯罪は一つの、つけいるすきのない観念の存在を明示してい」て、「そこには完全な夢があ」り、「完全犯罪イコール詩という図式は、美の意識の発生を含んでいるようにおもう。」という、美は完全犯罪のように一つの完結した世界、しかしカインの殺人は、神にはお見通し、どうすれば完全犯罪はうまれるのか、知識の絶滅法とはどうする、知識の獲得は不可逆のものか。(それにしても、完全犯罪と知識の両方の絶滅法なのかどうか、よくわからない。)
アア コレワ、なんという、考える先に声から発したコトバ、血の通った手のひら、私の手のひらは時々薬疹が躍進してあかくなる、せいなる水滴は完結した世界、すべてを映す、すべてを宿す、泡立つ世界のイメージ、珈琲皿の乳房、なんてオシャレなかたち、転落デキナイと嘆く必要はない、そんなことしなくてイイノダ、くるくるまわって、ツツッと軽く、危険な剣の上を走る疾走感、<!>(原文だと!は斜めになっている)というぼくの彫刻刀、剣という形象をとったもの、『創世記』にあらわれた「燃える(炎の)剣」は、神の<正義>と<罰>、ぼくの正義はここにおいて絶対的になる、ぼくはその上を走りぬける、世界が消えないのはあたりまえ、それはここでぼくがつくりだしたもの、ぼくとともにあるもの、だからぼくが詩をうみだすかぎり、世界からすれば、消エテタマルカ、だ!
引用文献:「危機感について」(『吉増剛造詩集』思潮社現代詩文庫)
(成城比丘太郎)