- とあるマンションに引っ越してきた若夫婦の受難
- ド直球オカルトかつモダンホラー的
- 流石栗本薫というべきか、やはり栗本薫というべきか
- おススメ度:★★★☆☆
前回のグインサーガ概論で触れたが、本作も後期・栗本薫の特徴がよく表れている。それは過剰な登場人物の心情描写であり、一向に進まない物語であり、それでいて「読める」という剛腕の文章力が凝縮されている。あらすじは次の通り。
(あらすじ)結婚3年目を迎えた主人公の主婦・登志子は、もっと広い部屋を求めていたところ、格安で好条件のマンションを見つけた。ところが、実際に引っ越してみると、マンションには不気味な気配が満ちていた。霊感のある親友の育子は、新居を訪ねた途端に不穏な霊的な気配を感じ取り、そこでの宿泊をキャンセルする。一方、登志子は、そのマンションで信じられないような怪奇体験をする。やがて、彼女の母親も訪ねてくるが、やがて登志子は……。
あらすじに見るように、正調屋敷型怪談のフォーマットに則って書かれている正真正銘のオカルトホラー小説。2002年の書き下ろしなので、作者が亡くなる7年前の作品ということになる。文章の特徴は、前述の通り、とにかく登場人物の心情描写が多い。これは、後期グイン・サーガに見られるのと同様の手法で、キャラクターが確立すると、ひたすらそのキャラクターの自分語りで物語が進行する。本作も、前半は主人公の登志子、中盤は登志子の母親、後半は親友の育子の視点で物語られる。何か起こりそうで起こらない、そんな状況がひたすら続く。
それにしても、栗本薫らしいというか、他の作家では絶対に実現できないような構成の小説だ。有体に言えば、これだけ有り触れた題材で、一冊の本にしてしまう、もっとはっきり言えば、大したオチもないのに雰囲気だけで一冊の小説を書いてしまう栗本薫はやはり天才だろう。これは、私が基本的に栗本薫ファンだということを差し引いて読んで貰って構わないが、著者には愛憎半ばする私ですら、よくこんな本を書いたな、と思ってしまう。
はっきり言って、ホラーや小説的巧緻さを求める人には絶対に勧められない。しかし、新人作家では絶対に書き得ないベテラン作家ならではの小説的技術が込められた作品だ。いや、私自身が栗本薫に取り込まれているのかも知れない。もし、無名の新人作家の作品だと言われればもっと酷評したことだろう。とにかく、向上心に富んだ若手作家ならこんな終わり方は怖くて絶対に書けないはずだ。これは、書いた文字が着実に本になることを知っているベテランだけができる手法だ。
不気味な築40年のマンション、壁のシミ、もとは刑場や墓場という立地、見え隠れする霊体……なんという陳腐な題材だ。しかも、話を落とすことを最初から放棄している姿勢、角川春樹を気安く呼べる巨匠作家、それでいてねちっこくてしつこい描写の続く明瞭な文章。あまりに栗本薫過ぎて、私はラストで軽く笑ってしまった。
もし、栗本薫の作品をある程度読んでいるのなら、この作品は「あり」だと思うが、いきなり現代的なホラーを期待すると、絶対に肩透かし食らう、そんな作品である。個人的には、グイン・サーガ以外で、久しぶりに栗本薫の作品に触れ、何とも言えない郷愁と安心感、ある種の脱力感を感じた。小説の世界は広い。こういう書き方もあるのか、という意味では一読の価値がある。ただし、モヤモヤすることは必至なので、その点はご注意を。
(きうら)