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★★★★☆

杳子・妻隠(古井由吉/新潮文庫)

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  • 世間から閉じこもりがちの、一組の男女の奇妙な恋愛。
  • 病の物語といえる。
  • 匂い立つようなエロスが少々。
  • おススメ度:★★★★☆

『杳子』は、古井由吉の芥川賞受賞作品です。粗筋としてはこれといった複雑なものはなく、杳子と彼との恋愛関係のようなものを中心に話は進みます。彼は、「神経病み」とされる杳子の不安定な精神状態を見つめようと苦心します。その視線と同調するかのように、文体も揺れ動いているような感じがします。

彼は杳子と山の「深い谷底」で出会うのですが、うずくまったままの彼女は「人の顔でないように飛びこんできて、それでいて人の顔だけがもつ気味の悪さ」を彼に感じさせます。得体の知れない<他者>に遭った具合です。彼は杳子に「漠とした不安」を感じ、手探りでその姿を確かめるように彼女に関わっていきます。それはまるでリハビリに付き添う作業療法士のようです。時にはやさしく接したり、あるいはとまどい気味に厳しく接したりします。

彼自身も杳子の「病気」にあてられたのか、彼女への認識についての描写も、所々ゆれているかのように読めます。杳子の存在がつかみにくくなってくるのです。彼女自体の身体も「素肌まで触れ合っていながら杳子をつかみ取れない」ようになって、「遠いようなものに」なるとあります。

「杳」とは『新字源』で引くと「くらい(暗い)」とあります。杳子自身には陰にこもっているような暗さはそれなりにあるものの、ただ暗いだけではありません。杳子の姉に対して、自身の分析を披露するのは(多少ヒステリックながら)結構冷静です。また自分のこともよく分かっています。「病気の中へ坐りこんでしまいたくないのよ。あたしはいつも境い目にいて、薄い膜みたいなの。薄い膜みたいに顫(ふる)えて、それで生きていることを感じてるの。」という杳子には、自分の存在の置き場所を模索している姿が見えます。この時の彼と杳子との健康談議めいたやりとりは、ふっ切った明るさを感じました。

登場人物の一人である彼は、後半になって「S」という名が(イニシャルで)明かされます。特にこれに意味はないと思いますが、無理に「S」を<sickness>の頭文字と読むと、「健康人」を自任する彼も杳子と近しい存在であることを表しているのでしょうか。彼女に引き付けられる彼は、「健康」か「病気」であるのか判然とせず曖昧になるのです。

『妻隠』は、寿夫と礼子の夫婦の「隠(こも)」る生活を描いたもの。『杳子』の二人のその後といえなくもないが、人物の性質などは違っている。内容は簡単です。病気(高熱)で仕事を休んで部屋に臥せる寿夫が、礼子とともに暮らすアパートの近所にいる「婆さん」や「職人」たちとのおかしな交流を通して、二人の関係や普段の生活への変化に気づきはじめます。二人の関係に何かが波立つような恐ろしさが押し寄せてくるのです。

ホラーやサスペンスの要素は特にないのですが、多少怖いところはあります。「礼子」の「真剣なまなざし」に「彼(寿夫)はまた軽い戦慄を感じ」る場面。また、寿夫が早退したのを知らずに帰宅した礼子が、部屋に見知らぬ男が寝込んでいると思って動揺したりする場面などは、滑稽でありながらも怖さがあります。彼が礼子のことを「いますぐ家が燃え上がって、空がぱあっと赤く焼けて、皆死んでしまえばいい、それとも自分のほうが一人で遠くへ行ってしまおうか、とそんな事を考える少女の姿に似ていた。」と幻視するのは、何度読んでも空恐ろしいです。

(成城比丘太郎)



(楽天)

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