- 大西巨人の大作の漫画化作品。
- 軍隊内の克明な記録。
- 主人公東堂太郎の博覧強記ぶり。
- おススメ度:★★★★☆
今回取り上げる本は、大西巨人(wiki)が執筆に25年もかけた大作『神聖喜劇』の漫画化作品です。本来ならこちらの小説の方を紹介したいのですが、長編の上に、非常に読みにくいものなので、なかなか簡単に読んでほしいとはいえません。私も読むのに骨が折れました(特に漢文古文の引用が多く、辞書などを引かないと読み通せませんでした)。ですので、まずはこの漫画版の方を読んでもらいたいです。この漫画を読んで面白ければ、是非小説版(光文社文庫)も読んでほしいです。
簡単に1巻のあらすじを紹介したいと思います。1942年(昭和16年)1月、主人公の東堂太郎は、「対馬要塞重砲兵聯隊」の補充兵として、教育召集という形で、対馬へ配属されます。この東堂は、自らを虚無主義者と任じ、自分はこの戦争に死すべきであるという思想の持ち主です。その彼が、兵営内で行う、様々な上官たちとの論理的な対話や、過去の回想などを通して、軍隊内の実態を知っていくのが、この第1巻の大まかな流れです。
本書は、戦争(詳しくは徴兵-兵役)を書いたものとはいえ、ほとんど戦場の場面は出てきません。1巻では、第三内務班長「大前田文七(軍曹)」の、大陸での所業が語られるくらいです。この大前田はかなり強烈なキャラクターをしていて、当作品のもう一人の主役ともいえる存在です。東堂が論理的な世界を代表している一方、大前田は時に非論理的な口舌をふるうのですが、単に無茶苦茶な人物ではありません。彼が体現しているのは、軍隊という複雑な組織の奇妙さであって、悪役であるように見えて、人間臭い存在にも感じます。確か、遠藤周作の『海と毒薬』でも語られていましたが、普通の人間が(憲兵として)戦時中に一体どれほどの悪を(庶民に)なしたのか、そういうものにも通じるものがあります。しかし、大前田はそう単純なものではないように思います。そのことはこの後、巻がすすむと明らかになります。
この1巻の見どころとしては、東堂の博覧強記ぶりや、論理的に相手を追いつめていくところでしょうか。「個性は不必要」とされる軍隊という非日常。そこで通用する日常性に対して、「地方(=普通の生活の場)」の論理と、軍隊内務書などの規定にある論理性を持って、対抗していくのです。彼は、特にヒーローというものではありません。虚無主義者であった彼が、軍隊の複雑怪奇さを肌に感じて、その態度を変えていこうとする、そのあたりが読みどころです。その彼に、冬木という同僚(?)の二等兵、「神山上等兵」、「村崎古兵」など個性的な人物たちが関わって、人間ドラマが展開されます。
漫画の絵としては、それほどうまいわけではなく(泥臭い感じ)、タッチも古くさいように感じるかもしれませんが、読んでいくと、この感じが『神聖喜劇』の世界にあっているように思います。漫画化にあたって、うまく人間ドラマに落とし込めそうな部分を選んでいるように思います。あと、後半になって、東堂の学生時代の回想が中心になり、論争部分の吹き出しが多くなるのですが、そこはじっくり読んでもらいたいです。
(成城比丘太郎)