- 「コラム」という名の穴埋め企画
- 私が読んだ中で、一般的には使えない新書を紹介(弱気)
- 一部読まなくていい新書も含まれます
- おススメ度:特になし
【はじめに】
岩波新書創刊80年記念として、「はじめての新書」という小冊子が出されています。たくさんの読書人(作家や学者など)たちが、それぞれ、自分が初めて読んだ新書、自分が初めて書いた新書、初めて読むのに適切な新書を紹介しているという内容です。まだ新書を読んだことない人や、何から読んでいいのか分からない人には丁度良い選書になっていると思われます。と、ここで、どこかでこのような企画を見たおぼえがあるなと思ったら、5年前に岩波書店創業百年記念フェアとして、「読者が選ぶこの1冊」という小冊子がありました。そこでは、一般読者の投票から選ばれたものが載っていたので、基本的には売れている岩波新書ラインナップがそのままランキングされたような感じでした。
その一方、今回の「はじめての新書」は、岩波新書だけでなく、他の出版社の新書も載っているので、一応多様性(?)はあります。このなかで、何人かが『無限論の教室』(野矢茂樹・著、講談社現代新書(Ama))を推薦しています。私的には、これは10代で出会いたかった本。その他にも、いろいろ興味深いラインナップはあります。しかしですね、三木清の新書をあげるのはまだ分かりますが、二人ほど廣松渉の新書を紹介している人がいます。「新書をまだ読んだことがない人」にお薦めするということは、未だ知的体力がついていない人に向けての選書だと思うのですが、そんな人に廣松渉をお薦めするって、どういうつもりなんだろう。何の予備知識もなしに読めるような代物ではないと思うのですがね。いやがらせかなにかだろうか。
【私にとって新書とは】
さて、私が初めて読んだ新書は、『ギリシア神話』(中村善也/中務哲郎・著、岩波ジュニア新書(Ama))です。中学生の時に、ブルフィンチ「ギリシア・ローマ神話」を読んだあとに、親に別のギリシア神話の本をたのんだところ買ってきてくれたのがこの本。ノベルス以外で新書を手にとったことがなかったので新鮮でした。まだ本棚に置いてあるこの新書は、印刷が精興社なので今でも読みやすいですね。
その後、10代後半から、20代にかけては新書を読みまくりました。20代の時は、一年で100冊以上読んだ年もあるほどです。私のようにあまり頭のよくない人間にとって、新書とは小賢しい知恵を手に入れるのに最も適切なメディアだったのです。こうして浅薄な知識を頭に詰め込んだ私は、文字どおり「薄識(うすいちしき)」の持ち主となったのです。現在は月に4~5冊くらい読みますが、これからも新書は私の隣にあり続けるでしょう。そんな私にとって新書のいいところは、何といっても、図書館で借りて簡単に読める、古本で買ってきて大量に読める、トイレで簡単に読めるといったところでしょうか(もちろん新刊で買うこともあります)。
【私がとくにお薦めすることのない新書一覧】
初心者(?)にお薦めする新書については、出版社を問わずに、この小冊子に載っているので、私がそれに付け加えるものはありません。元来ヒネクレ者の私なので、ここでは、一般的な知識を身につけるにはあまり役立たないであろう新書を書きたいと思います。どれもこれも、興味を持っている人以外には全く役に立たない新書ばかりなので、読んでも無駄なだけですので(大事なことなので二回)。
では、以下にいくつか書きだしたいと思います。
・『古代出雲への旅』(関和彦・著、中公新書)
〔幕末に出雲国(島根半島のあたり)を旅した人物の「風土記社参詣記」をもとに、現在の状況を写真付きで巡る内容。一応、出雲大社などの有名な場所が出てくるものの、ほとんどがローカルで地味な場所ばかり。ちょっとした旅行者には、ガイド的に全く役に立たない。私もこれをカバンに入れて十数箇所まわりましたが本当に地味な場所ばかり。マニアックすぎてコアな出雲ファン以外役に立たない。こんな本を出版するところに、新書というものの懐の深さを感じます。類書として、『古代出雲を歩く』(岩波新書(Ama))がありますが、こちらは残念ながら旅行ガイドとして役に立ちます〕
・『偶然性と運命』(木田元・著、岩波新書(Ama))
[「恋人たちはなぜ、偶然にすぎない出遭いに運命を感じるのか?」といわれると、何か面白そうですが、著者の情熱が空回りしてうまくまとまっていません。合理性だけを重んじる人にはまったくお薦めできません。しかし、ここから何かをくみ取れる、そういう人だけが、本書と運命的な絆を結ぶことができるかもしれません]
・『アトランティス大陸の謎』(金子史朗・著、講談社現代新書(Ama))
[地質学者の著者が当時(昭和40年代)の科学的知見と、プラトンの著作からアトランティス大陸の謎を追うという結構おもしろい本。しかし現在(の知識)を重んじる人には読む価値はあまりない。ちなみに、「アトランティスの謎」という面白いゲームがありましたが、それとは関係ないと思います]
・『絶滅危惧の地味な虫たち』(小松貴・著、ちくま新書)
[これは今年出版された本で、このブログでも紹介しました。これを読んだからといって、一般的な昆虫の知識が得られるわけではありません]
・『マルクス』(小牧治・著、人と思想20(Ama))
[清水書院から出版されているシリーズの一冊。私は、このシリーズでマルクスや釈迦やパウロや道元など色んな人物のひととなりを知りました。しかし、このシリーズの最初期のものは、あまりにも初版出版年が古くて内容も改訂されていないので(おそらく)、参考資料的には全く使えません。マルクス関係の新書は他にも出ていますが、その人物像を初めて知ったのがこの新書でした]
・『吉岡実散文抄』(吉岡実・著、思潮社詩の森文庫(Ama))
・『我が詩的自伝』(吉増剛造・著、講談社現代新書(Ama))
[どちらも現代詩の詩人によるエッセイです。これらの詩人に興味のない人には全く意味のない本です。とくに吉増剛造のものは、この詩人のファンでない限り読んでも全くおもしろくない]
・『古本買い十八番勝負』(嵐山光三郎・著、集英社新書(Ama))
・『関西赤貧古本道』(山本善行・著、新潮新書(Ama))
[この二冊は、古本買いに血道を上げる人の、古本買いだけを記した内容。山本善行のものは、まだ使い道はありますが、嵐山光三郎のものは、ただおっさんたちが「あの古本買った、この古本買った」という買い物自慢を羅列しているだけで、その道に興味のない人には全くおもしろくない本。これを読んで、「わたしはその本をもっと安く買ったで」と、ほくそ笑むことのできる人だけが楽しめる本です。ちなみに、古本についての新書というと、『随筆本が崩れる』(草森紳一・著、文春新書(Ama))の方が一般人的には楽しめます]
・『大和石仏巡礼』(高階茂章・著、駸々堂ユニコンカラー双書(Ama))
[今はなき出版社が出していたシリーズの一冊。40年前の本なのに、ものすごく写真がきれい。これを手にして、私は奈良周辺の石仏を巡ったことがありますが、なかなか見つけられないものもありました。石仏に興味のない人には全くどうしようもない本。私は胸がもしゃもしゃしたときにこれを取り出して眺めます]
・『装束の日本史』(近藤好和・著、平凡社新書(Ama))
[「平安貴族は何を着ていたのか」ということに少しでも興味がなければ、おそろしいほどに無味乾燥な本。おそらく日本の装束本は、他にもたくさんあると思いますが、それを読んだ方がいいでしょう。私がこれを所持しているのは、これしか装束関係の本を持っていないからです]
・『柳田國男』(牧田茂・著、中公新書(Ama))
[著者は、柳田國男に私淑していた人物。昔古本で買って読んだものの、柳田民俗学入門としては使えなかった。内容的には、「柳田翁スバラシー、ビバ國男」といったもののオンパレードで、笑ってしまった記憶がある。まあ、古書なので現在読む必要はないですが]
・『大和三山の古代』(上野誠・著、講談社現代新書(Ama))
[二流の学者に、思いつきだけで一冊の本を書かせるとどうなるか、ということを示した好例。読まなくていい本の典型。愚にもつかない妄想の産物ですが、毒にもならないので、読んでも何の影響も受けないでしょう。もちろん、旅行ガイドとしても使えない]
・『武士の日本史』(高橋昌明・著、岩波新書(Ama))
[今年もまだ二カ月以上ありますが、文句なく今年のワースト新書。自らのイデオロギー的言説を述べたいがために「武士」をダシに使ったとしか言いようのない代物。今年出版された新書のうち、私が読んだなかでは最もヒドイ。買ってはいけない、読んではいけない、タイトル詐欺、という堂々のトリプルクラウン。これを買わなくて本当によかったとこころから思えた新書。この著者のものは二度と読みたくない]
【さいごに】
私が書いてきたことは、すべて私がそう思っただけのことなので、岩波が配布している「はじめての新書」とは全く関係ないということを、一応記しておきます。
(成城比丘太郎)