- 老人の孤独と葛藤と後悔
- 残酷で痛ましい
- それでも人間の生命力を感じる
- おススメ度:★★★★☆
先ごろ、何かのネットニュースで「読まなくてもいいアメリカ文学」という恐ろしく下らない企画で腐されていたのが、この作品だった。中身には触れていなかったが、どっちみち「陰鬱で退屈」などと書かれていたのではないかと思う。それはとんでもない誤解で、短い物語の中に、人生の持つ深みと恐怖が凝縮された傑作だと思っている。
(あらすじ)キューバで漁師をする老人サンチャゴは、84日間にわたる不漁によって疲れ切り、弟子の少年も彼の元を離れていっていた。それでも彼は諦めず、たった一人で小舟に乗り、漁に出る。そこで彼は、巨大な巨大なカジキマグロと遭遇し、その「彼」との死闘が始まるのだった。しかし、老人を待っていたのは残酷な運命だった。
新潮文庫のあおり文には「徹底した外面描写を用い、大魚を相手に雄々しく闘う老人の姿を通して自然の厳粛さと人間の勇気を謳う名作」と書かれているが、私の解釈では彼はまたしても「負けた」のであり、老骨に鞭打って戦った末、疲労と絶望を胸に「ライオンの夢を見る」という結末で終わっている。ラストシーン、ひょっとしたら彼はもう、召されているのではないかと思うような描写もある。
ホラー的に読み解くと、私が好きな「労働者ホラー」というジャンルで、「高熱隧道」「蟹工船」「サンマイ崩れ」「お初の繭」等を紹介してきたが、何らかの労働とその過酷さが組み合わさった実感のある恐怖を感じる作品群に入ると思う。
老人は、年老いている。しかし、その中には長年海で培った不屈の闘志と独特の優しさがある。私は序盤にあるこの文章に心打たれた。
「鳥ってやつは俺たちより辛い生活を送っている。鳥泥棒は別だがな。それにでかくて強いやつはべつだ。けれど、なんだって、海燕みたいな、ひよわで、きゃしゃな鳥を造ったんだろう、この残酷な海にさ? なるほど海はやさしくて、とてもきれいだ。だが、残酷になってなれる。そうだ、急にそうなるんだ。それなのに、悲しい小さな声をたてながら、水をかすめて餌をあさりまわるあの小鳥たちは、あまりひよわに造られすぎているというもんだ」
海燕への同情心が綴られているが、これはそのまま、彼自身のことだと感じた。そして、それは広く世界中で報われない仕事をしている人間たちへの行き場のない悲しみでもあるのだ。さらに恐ろしい事に、この一文は今後の彼の運命を暗示しているともいえる。我知らず、海という人生そのものの真理を見抜き、また、真理を知りつつそこから容易に抜け出すことができないのだ。
たしかに、物語の中盤、カジキマグロが釣り針にかかってからの戦いは、老人の闘志を感じる描写が多い。これで、港に凱旋し、もと弟子の少年(彼が愛して止まない)の尊敬を勝ち得ていたらどんなにか素晴らしかっただろう。
だが、現実という怪物はそんな老人のささやかな期待を粉々に打ち砕くのである。そして、残されたのは、力なく眠り、虚しい夢を見ることだけ。「自然の厳粛さ」というよりはもはやあまりの残酷さ、「人間の勇気」というよりは「戦わざるを得ない悲哀」を感じずにはいられない。
ヘミングウェイの乾いた文章は、極度に感情的にならず、老人の心情を飄々と語るところに好感が持てる。それだけに、喜びも悲しみも乾いた調子で綴られている。
最後に、印象に残っているシーンとして、老人が星を見上げ、
「そうだ魚だって友だちだ」と彼は大声をあげていった。「こんな魚は見たことも聞いたこともない。けれど、おれはやつを殺さなければならないだ。ありがたいことに、星は殺さなくてもいい」
という場面だ。星は殺さなくてもいいが、魚は殺さないと生きていけない老人。私も、空を見上げ、同じようなことを思う。時代や仕事は変わっても、生きる本質と残酷さはこんなところにあるのではないかと思う。
少々ひねくれた感想になってしまったが、読みやすい小説であるし、展開も面白い。冒頭のコラムにあるような退屈な話ではないのは間違いない。ただ、社会に出て、一通りいろんなことを経験してから読むと、学生時代に読むより色んなことが見えてくるだろう。ちなみに、「小舟で残酷な世界と立ち向かう」というテーマではより娯楽寄り、SF寄りの椎名誠の「水域」もお勧めしたい。
(きうら)