- 短い自殺への考察
- 論調は自殺の賛美
- 特に深い示唆はない
- おススメ度:★★✩✩✩
ショウペンハウエル(アルトゥル・ショーペンハウアー)は、Wikipediaの受け売りで書くと、ドイツの哲学者。仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家であり、その哲学は多くの哲学者、芸術家、作家に重要な影響を与え、生の哲学、実存主義の先駆と見ることもできる(Wiki)。
自殺に関する論稿5篇を収める短編論文集。人生とは「裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ちの連続にほかならない」など、冷めた洞察を分かりやすい言葉で説明されている。
表題作だけに限れば、自殺が不当に貶められているというような趣旨が述べられており、あたかも自殺を賛美しているように見える。最後の最後に、こんな皮肉めいた言葉を引いている。
自殺はまた一種の実験(中略)しかしこの実験は手際が悪い、ーー何故というに、肝心の解答を聞き問るべきはずの意思の同一性を、この実験は殺してしまうのだから
私自身も死の影が過ぎることはよくあるが、やはり諸々の関係性がそれを押しとどめる。例えば、一週間前は、不眠の為に二週間まともに眠れず、それが原因で消化不良を起こし食事がとれず、不眠を原因とする目眩が激しく、かつ想像を絶する倦怠感が覆っていた。おまけに蕁麻疹を発症し、たまに寝付けても悪夢しか見ない。故郷の川を眺めつつ、身を投じれば「何もかも解決する」と、思わないでもなかった。
ところが、私の祖母の末期の言葉を聞いてそれは止めた。もう13年も経つが、当時痴呆が入り、施設に入所していた祖母が、レナードの朝のように、時折正気に戻り、こんなことを母に言ったらしい。
このような生き恥をさらすぐらいならいっそ死んでしまったほうがマシだと心から思う。しかし、それはだめだ。私が自殺することによって子孫に多大な迷惑がかかる。自殺者を家系から出すことは、その子孫に祟るからだ。だから、天寿を全うするまで、どんなにつらくても生きることにする。
私も幸か不幸か子孫を残してしまった。彼らに「死の呪い」をかけることはできない。
考えてみれば、死ぬくらいなら適当に生きればいいのである。今のモットーはこうだ。
1.生きる
2.目一杯やらない
3.目の前の課題に淡々と答える。
それでも幸せとは程遠いが、まあ、死ななくてよかった程度の感慨はある。くれぐれもこの本に感化されないように。
(きうら)