- 全年齢向けの「異世界ファンタジー」。
- 鏡の中に入りこんだ「ぼく」が出会う不思議なものたち。
- 漫画的なイラスト付きで、子供でも楽しめる。
- おススメ度:★★★☆☆
本書は、イタリアの作家ボンテンペッリの幻想小説です。イタリアの作家というと、本サイトでも取り上げたカルヴィーノ(まっぷたつの子爵/むずかしい愛)もそうですが、なかなか個性的な人が多い印象です。機会があれば、まだ読んだことのない作家もいるので、色々取り上げたいなぁと思います。
本書のあらすじは非常に簡単です。しかも短い内容なので、すぐに読めるかもしれません。しかし、内容は何度もの鑑賞に堪えうるものかともいます。まず、語り手の「ぼく」が、十歳の頃に鏡のある部屋に閉じ込められたところから話がはじまります。その鏡の前に置いてあったのはチェス盤です。鏡に映ったチェスの駒が「ぼく」に話しかけ、「ぼく」は「白の王」に導かれて鏡の中に入りこみます。この王は、チェスの駒こそ、人間より古い存在だと言います。
導かれて入った鏡の世界には、王の他の駒がいました。王が言うには、鏡に映った世界の奥にも(現実のものとは違った)世界が広がっており、一度でも鏡に映った人がそこに居るのだそうです。そこには駒たちの他に、若い頃の「ぼく」のお婆さんや、家に侵入した泥棒など色んな人たちがいたのです。しかし、彼らはその世界に映った時のままで、未来もないしすることもなくただ存在するだけのものです。ここから何か戯画化された人間の姿を読み取ることもできるでしょう。「ぼく」はこの世界の虚しい暮らしを思うとゾッとするのです。
世界の住人たちがダンスをしたり、取っ組み合いを始めたりするのをよそに、「ぼく」は一人で探検に出ますが、広がっている世界は平面で単調なもので、どこか抽象的でもあります。そんな殺風景な世界を歩くうち、「ぼく」は、籐(とう/ラタン)でできたマネキンに出会い、そいつからまた新たな世界の事実を聞きます。マネキンこそが、人間の理想像だということに関する話だったのです。その後、「ぼく」が、マネキンのもとを去り、どのようにして鏡の世界から脱出したかが描かれます。
この作品は一見児童向けかと思われるかも知れませんが、『不思議の国のアリス(Wiki)』がそうであるように、大人でも楽しめます。鏡の中がどうなっているかという想像をふくらまして創りあげた作品と捉えることもできるかもしれません。ところで、鏡という左右が別に映る性質はどうなるのでしょうか。やはり(?)、映ったその姿ではなく、自分の身体そのものが入りこむから左右別にならないのでしょうか。まあそれはいいとして、人間は完全には左右対称ではないので、だからこそマネキンが理想の(イデア的)人間像となるのも道理ということになるのでしょうか。また、ラストから推測すると、夢の中の出来事と捉えることもできるかもしれません(世界把握の手掛かりのなさなど)。それと、鏡の世界にシニカルさも感じるなどの他、色々な読解の余地がありそうで面白いです。
(追記)本書がイタリアで刊行されたのが丁度「ムッソリーニのファシズム政権が成立」した時のようですが、それがこの作品(誕生)に何か影響があったのでしょうか。今回は「~でしょうか」ばかりで申し訳ないです。
(成城比丘太郎)