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2010年代アニメまとめ(2)

投稿日:2019年10月4日 更新日:

  • 「10年代」のアニメ総評(2)
  • シャフトと京アニ
  • 2011年のことを中心に
  • おススメ度:特になし

【深夜アニメの行末】

石岡良治は『現代アニメ「超」講義』(PLANETS)において、「今世紀の深夜アニメ表現」について書いています。前世紀の『エヴァ』からはじまった(もしくは『機動戦艦ナデシコ』にもうかがえる)と個人的には思われる「深夜アニメ」のテイストは、今世紀になってから視聴者層の差別化とともに、放送時間を深夜に移してから色んな「深夜放送の表現」を追求してきたようです。

石岡は、「ノイタミナ枠」が、一般視聴者層の取り込みに貢献したのではないかとしています。著者は「ノイタミナ的なもの」がライトな視聴者層を取り込んだとしています。その中で代表的な作品が、2011年に様々な分野でヒットした『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない(あの花)』としています。この『あの花』とともに、監督・脚本・キャラデザトリオによる秩父を舞台にした作品はそれ以降も制作され、それなりのヒットを記録しているようです。

私としては、一番ヒットした『あの花』がなぜあれほど受けたのか分かりません。なんとなく一般受けしそうな感じではありましたが。しかし私は、最終回のラストに向かうに従って白けて観ていました。アニメーションの出来は良かったのですが、なぜか入りこむことができなかった。まあ私のことはどうでもいいんですが、このアニメの最大の功績は「あ○る、あ○る」と叫んでも、それ以来恥ずかしさを感じさせなくなったところにあるでしょう。それにしても「超平和バスターズ」とは何でしょうか。『あの花』で子どもたちが言う分には何とも思いませんが、それを制作のチーム名にするのは個人的には恥ずかしい。そもそも、「超-平和バスターズ」なのか、「超平和-バスターズ」なのか。「平和」をバスターした昔を超えるという意味なら分かりますが、それだと作品の主旨的に意味が通らない。よくわからない造語ではあります。

このフジテレビノイタミナ枠がライトな視聴層の取り込みに成功したように、日テレやがオシャレ深夜アニメをいくつか製作したのもまた同様かもしれません。TBS(MBS)に関しては、時に『けいおん!』(2009)や『まど☆マギ』(2011)といった大ヒット作に関わったものの、総じて、時に制作費のかからないいわゆる「クソアニメ愛好者」御用達向けのアニメが多い印象です(個人的にはそれらは好きです。例えば、2015年の『銃皇無尽のファフニール』なんかはOP・ED含めて、ディオメディアがいい感じでテンプレクソアニメにしてくれました。一応総監督は草川啓造だけどもどれだけ関わったかは知らない)。

ところで著者が書くように、「[主に男性視聴者向けとしての]深夜アニメでは性的な表現がひとつの売り」になっていることは否めないでしょうが、これに関しては、今世紀に入ってからの特徴だけではないので慎重に見ていかなければいけないので、今のところ保留です。個人的にはエロ要素があったからその作品の評価が上がることはあまりないです。例えば、『AIR』(2005)では監督がコメンタリで、「ヒロインの観鈴にパンチラをさせるかどうか迷った」というようなことを言っていたのですが、もしそんなことされてたら長く観続けることはなかったかもしれません。それと、キャラデザ次第でキャラクターを「性的」に見させることがないとは言えませんし、そもそも原作がそういうものであるなら仕方ない部分もあります。それに、以前あったXEBECの制作作品のようにエロ要素が強く出るものもあれば、逆に、JCSTAFFのように、一部の作品を除いてそういったものが強くでない制作会社もあります。要は、これら「性的な表現」については個別アニメで考えていって、その結果何か一般論が語れるかもしれませんが、今は分かりません。

この10年代は色んなアニメ表現が模索されてきたと思いますが、「深夜アニメ」のテイストはこの後もしばらくは維持されてほしいと思います。時間帯という意味での「深夜アニメ」はほぼなくなると思いますが(配信や録画などで観るため)、そのせいで「深夜番組のテイスト」はなくなってほしくないものです。

【2011年のアニメ概論】

さて、ノイタミナ枠はもともと女性向けを意識して作られたものであるようなのですが、2011年にはノイタミナの『あの花』だけでなく、いろんな分野で女子ファン向けアニメも制作されています。その代表的なものが『うたの☆プリンスさまっ♪マジLOVE1000%(うたプリ)』でしょう。これはもともと女性向けの恋愛AVGだったもののアニメ化ですが、たぶんアニメによってブームに火がついたと思います。私は第一話を視聴し始めた時、タイトルを「プリンセス」だと勘違いしてしまい、「プリンセスにしては地味やなぁ」と思いました。詳しいことは分かりませんが、ゼロ年代からもたくさんのイケメンが出る恋愛SLGのアニメ化はあったなかで、このシリーズは男性アイドルグループ(?)を扱った10年代アニメの嚆矢になったかと思われます。これ以降男性イケメンがたくさん登場してなんやかんやするアニメは多く制作されましたが、個人的には一部作品を除き、ほとんどキャラの区別がつきません。興味がないからかもしれませんが、それでも時に「判子絵」を通り越したような同じキャラ造型に見えなくもない。まあそれは美少女キャラも同様なんですが。

女性向けコンテンツとしてもうひとつ個人的に挙げるなら、2010年からはじまった『薄桜鬼』シリーズでしょうか。10年代でもたくさんの歴史改変(?)ものや、女性向け歴史アニメはありましたが、10年代のなかで、今でもふと思い浮かべるのはこのシリーズでしょう。内容は、新撰組の中に男装の少女が入りこみチヤホヤされるという恋愛もので、そこに吸血鬼要素も入れ込んで、アニメとしてはいい出来だったと思います。というかこういうアニメは女性主人公の視点で、そこへ感情移入できるかどうかが個人的には楽しめるかどうかの分かれ目。

それから『TIGER&BUNNY(タイバニ)』もまた、結果的には女性ファンの獲得に貢献したかと思います。内容としてはよくあるバディヒーローものなんですが、放送当時はそのヒーローたちが宣伝媒体になるという発想はなかなかおもしろいなと思うともに、「これは海外市場を意識してるのかな」と思いながら観ていました。今では『ラブライブ』一本やりのサンライズですが、この後『ダグ&キリル』(2018)という『タイバニ』の劣化版のような作品も作りましたけども、これはあんまり人気が出たという話を聞かない。

さて、2011年というと「東日本大震災」の年でもありますが、このことがアニメ制作にどのような影響を与えたかのかは、この記事の範囲を超えているのであまり書きません。ただ、同年放送された、『UN-GO』(ノイタミナ)や、『ギルティクラウン』(ノイタミナ)には何らかの震災後の世界を意識して描きだした作品として観られないこともないので、もしそうなら、いち早く震災後を意識したのはノイタミナだといえるかもしれません。それから『COPPELION』(2013)は、直接震災とは関係ないでしょうが、アニメ放送時には震災後の日本を連想せざるを得ないような内容でした。

ただひとつ言っておくと、震災直後にはじまった春アニメには個人的に癒されたというか、精神的に支えられた部分はあります。なんだかんだ文句言った『あの花』をはじめ、『日常』や『Aチャンネル』や『電波女と青春男』といった日常系に、『神のみぞ知るセカイ(二期)』、『シュタインズゲート』、『花咲くいろは』などなど、本来ならそのアニメ本体で楽しめるものばかりだった。今ではこのラインナップを見ても震災直後の放送だとは思わないものばかりです。そういう意味でいうと、『まど☆マギ』は中断期間があったとはいえ予見的な作品だったでしょう。

【シャフトと10年代】

さて、その『魔法少女まどか☆マギカ』を制作したシャフト(と新房昭之監督)です。シャフトについては、本書『現代アニメ「超」講義』に書かれてますので、私が何かとやかく言うことはないです。著者が書いているように、シャフトが作り上げた「現代アニメの定式」は非常に重要だと思います(詳しくは本書で)。しかし、個人的には、『さよなら絶望先生』シリーズと『まりあほりっく』シリーズから、『偽物語』(2012)までが頂点だったと思わないこともない。なぜかは分かりません。『ニセコイ』シリーズや『3月のライオン』シリーズも悪くないのですが、少々食傷気味になったのかもしれません。というか、『幸腹グラフィティ』(2015)という『ひだまりスケッチ』シリーズを狙ったかのような作品では、とにかく登場人物が食べまくるので、そのせいで食傷気味になったのかもしれません。

個人的にシャフトの画面設定に注目し始めたのは、『月詠』(2004-2005)だったと思います。画面設定としては、建物が舞台劇のように設定されていたのですが、それは『ひだまりスケッチ』にも受け継がれていると思います。『ひだまりスケッチ』シリーズでは、室内の状況が時にパースが狂ったようにフラットに描かれていることがあります。登場人物たちを囲む壁や床や家具などがすべて同一平面上に描かれているように見えるのです。その結果、いくつかのレイヤーが重ねられるアニメーションの表現が際立つこともあります。これが何を指すのかという専門的なことは言えませんが、何度もその場面を見ていると、ある感想を持つにいたるのです。それは、線でかたどられて色付けされたアニメの記号的表現を意識せざるを得ないということです。つまり、アニメという二次元の表現を、いくらパースをもって描こうともそれは結局記号でしかない、ということをそのフラットな画面設定によって(再)認識させられるということです。

『化物語』から『まど☆マギ』において頂点を極めた感のあるシャフトですが、やはり『まど☆マギ』の10年代にはたした貢献は大きいでしょう。私は本放送を観はじめた時には、「シャフト専属声優?ばかりで、ゆのっちのいないひだまり荘か」みたいな感じで観ていて、物語としては単純な構造かなとか、空間設定(建物の窓の大きさ)はやはり独特だなとか思っていました。採光のよすぎる窓の大きさとほむらちゃん登場時の暗さの対照が印象的でした。そして、特に注目すべきなのは異空間設計をした「劇団イヌカレー」なんですが、個人的にはこの名前には怖さしか感じない。もしこのアニメを観て日本語をおぼえた海外のファンがいたとして、「劇団イヌカレーってなんだろ、牛カレー、鶏カレー、豚カレー・・・」と考えてきて、「日本人は、イヌをカレーにいれるのか!?」と思い至る人が出るのではないかと思うと、気が気ではありませんでした。しかし、そういう人はいなさそうではありますが。

まとめでいうと、シャフトのブランドはまだまだありそうなので、何かと期待はしています。

余談。シャフト作品でいうと、『それでも町は廻っている』(2010)では、櫻井孝宏がばあちゃん役をやっていましたけど、ここらあたりから『あの花』に続いてなんか単なるイケメンだけではなくて、変な(?)イケメン役が増えた印象です。

【10年代の京都アニメーション】

本書では、京アニについても色々書かれているので、私が書くことはあまりないのです。ただし、本書で書かれた京アニへ作品への評価の一部に関しては、素直にはうなずけないものがあります。たとえば、『聲の形』(2016)を、ふたりのカップルが「違うものを見続けながら、なおも恋愛を継続できるような作品」として、同作を監督作品の中でも、「題材の広がりという点においては現時点での達成を示す作品」という「暫定的な判断」としているのですが、これについては異論はないと言いたいところですが、(原作の)内容がイマイチなのでそこまで言い切ることができない。つまり、同作の内容においては、「聴覚障害者」と彼女をいじめていた張本人とのふつうの交流がなぜ生じたのかということと、障害者と健常者との付き合い一般というものとの整合がうまくとれていない節があるので、簡単に著者の言うことに賛同するわけにはいかないのです。なぜ西宮が主人公へ想いを抱いたのかという特殊性が、(原作や)映画で示されていなければ(というか一般の障害者にも納得できるだけの理由がなければ)、著者の意見にすんなりと賛成はできないのです。

それと、『リズと青い鳥』(2018)の評に関しても、たしかに男性の「百合」ファンに受けたという著者の評は一定の説得性を持ちますが、あの作品を単なる「百合もの」としてみているようでは、大事なものをとりこぼすおそれが無きにしもあらずではないかと思います。問題なのは、この映画の「百合」要素に見えるものには必然性があるのかどうかということなのです。もしあるのであれば、それを「百合もの」と呼ぶことにはあまり意味がないと思います。この映画に女性ファンが少ない(?)のは、『響け!ユーフォニアム』自体の問題かもしれません(思ったよりも内容がマニアックなので人気がないのだろうか)。というか「百合」がだめなのなら、同じ論法で『Free!』批判もできると思うのですが(『Free』ファンは圧倒的に女性が多いと思うのですが)。あと、私の乏しい経験だけから言うと、吹奏楽部は体力が必要なところもあるのですが、普段の部員同士の関係性は文科系のノリですので、とくにこの映画で描かれている関係性自体におかしなところはそれほどないと思います。というか、全国大会を目指している高校にしてはゆるいように見えますけど。ちなみに、『ユーフォニアム』で描かれた思わせぶりな「百合」表現には、映画とは逆で、私には違和感があります(原作ではどうなっているのだろうか)。

さて、著者は、京アニは「巨大なもの」が苦手だと書いています。「巨大なもの」とは、ロボットものなどといった「ヒューマンスケール」を越えたスケールのでかさを持つ作品のことです。たしかにそれはそうです。まあそれはひとつの特徴なので、べつに苦手でもいいのですが。一応、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(2018)では、それなりにでかい世界のことを描こうとしていますが、焦点は主人公が中心なので、それほどのスケールは持っていないようです。ヴァイオレットがたたずんでいる世界こそ、著者が言う「彼岸」と「此岸」とに別れています。ヴァイオレットちゃんは「此岸」にいながら「彼岸」の少佐の言葉に捉われているのですが、彼女はその言葉の意味を現実の世界への適応にも求めています。そう考えると、彼女の存在こそが、この両者によって断絶したふたつの側(川)を表しているようです。

この「川」とは著者が言う、ふたつの世界を隔てるシンボリックな存在だとするなら、京アニ作品に「川」が時に重要な役割を果たしているように見えるのもうなずけます。ちなみにこの「川」とはあくまで比喩なので、それが海でも湖でもプールでもいいわけです。『中二病でも恋がしたい!』(2012、2014)は卑近な関係性を描きながら、妄想においてバトルシーンが展開されていましたけども、こういうところにふたつの世界の「乖離」描写のうまい京アニの特徴があるかと思われます。『境界の彼方』(2013)は逆にあまりうまくいかなかった印象です。

著者は、京アニの「ルックの累積性」について書いています。これは、先行作品のキャラデザや空間設定や色彩設定や仕上げや美術や撮影なんかのトータルが、財産として積み重なっているということだろうと思います。個人的には、『涼宮ハルヒの消失』や『日常』のふたつがそれ以降の作品に生かされていると思います。『消失』のラインからは、『氷菓』(2012)や『ユーフォニアム』や『ヴァイオレット』や『聲の形』などにつながり、『日常』からは『中二病』や『小林さんちのメイドラゴン』(2017)などへとつながっているように思います。しかし、個人的には、『Free!』シリーズや『聲の形』は別として、『けいおん!!』以降の京アニ作品に特別な大ヒット作は生まれませんでした。といっても質が悪いわけではありません。これについては個別アニメごとに書かないといけないので、今は書く余裕がありません。まあひとつ言えるのは、もっと面白い原作をアニメ化すればいいのになと、ずっと思ってました。『氷菓』の原作は読んでいませんが、あれだけの映像表現であれだけ面白くないのは原作のせいでしかないと勝手に思ってしまいます。もし『ハルヒ』や『けいおん』を、他のスタジオがふつうに制作していたら、あれほど面白くはなっていなかったかもしれないと思うからこそなのですが、これについては私が言ってもしょうがない。

【続きは次回】

本書の大半は、「今世紀のロボットアニメ」と、「キッズアニメ」に費やされているのですが、キッズアニメについては詳しくないので語ることはありません。むしろ本書から教わったことが多いです。10年代のロボットアニメについて書こうと思いましたが、それを書く余裕がなくなったので、次回か次々回にでも回したいと思います。

(成城比丘太郎)


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