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2020夏アニメの感想と、2010年代アニメまとめ番外編

投稿日:2020年10月9日 更新日:

  • 「2020夏アニメ」感想
  • 2010年代アニメ番外編
  • アニメにみる異界性
  • オススメ度:特になし

【夏アニメ感想】

もうすでに新クールに入っているテレビアニメだけど、いまのところ事前情報的な内容説明をあまりチェックしていない。とりあえず録画はしてるけど、それらを観る前に個人的な区切りとして、夏アニメの感想とかを書いておきます。

・『無限の住人 新アニメ』
春からの2クールがテレビ放送で終わった。原作にそれほど思い入れはないからか、悪かったとは思わない。あのような原作をアニメ化するにはどうしても技術的に限界があると思う。その点では、良くできていたと思う。個人的によかったのは、尸良の最期だろう。とても美しく人間らしい最期だった。尸良というのは、主人公にもライバルにもなれないなんともかなしくそれだけに愛すべき人間だった。自分、ああいうかませ犬的な日陰者?が好きなだけなんだけども。ところで、尸良の演技を聞いてるとたまに、「肉まんくん(←ちはやふるのキャラ)・・・やさぐれたなぁ」と思うのは自分だけだろうか。

・『俺ガイル 完』
本来なら、なにか色々書こうと思ったけど、原作終了時点で気持ちが切れてしまい、今回のアニメに特に感慨はない。ファンムービーをみた気分。まあすぐれた作品はだいたいファンムービー的なところがあると思うけど、今回のはシナリオがブツ切りなのでよけいにそう思えるのかもしれない。もう一度通して観ることで何かおもろいことが発見できるかもしれない。なんというか、3人の関係性には、どうしても『きまぐれオレンジロード』のそれをオーバーラップしてしまうんだが、俺ガイルは『きまオレ』には勝てないなぁ、自分のなかで。もし今10代なら俺ガイルにどはまりしてただろうけど。

・『宇崎ちゃんは遊びたい!』
放送前になにかとあった作品。まあそれはどーでもいいけど、肝心の宇崎ちゃんはそれほどうざくなかった。むしろ先輩の方のへんなツン(?)の方がおもろかった。それを引き出した宇崎ちゃんの演技がよかったからかな。舞台設定は神戸と仙台のようだけどあまり神戸感はなかったような。それよりも、謎の鳥取推し回はなんだったんだろうか。コラボにもほどがある。鳥取県に興味がない人にとってはウザかったのかもなぁ。このアニメ、続編やるみたいだけどこのノリなら特に観たいとは思わないのはなぜ? もしかして次は島根県とコラボしたりして(しない)。

・『デカダンス』
これは今期一番面白いといわれた作品。とくに序盤は色んなネタを詰め込んでいて、視聴者を飽きさせないつくりになっていた。個人的にはメインのふたりがグレンラガンのような関係性をつくりあげるのかなとおもったけど、上位システムという運営?を設定したため、カブラギの存在がそこへ回収され、実体的な人間像としては何もないのかなと思ったら、最終回で粋な設定を盛り込んで、キレイに終わった。エンド後のイラストは在りし日のふたりの理想像をこれからの展開として描いたのかな。一方で、ナツメはバグとしてはあまりうまく機能しなかったのかなぁ。ここらへんはもう一度見返してみよう。ナツメという(システムにはむしろ必要ともいえる)バグは、設定的にうまく作品上機能したのかなぁ。どうしても様々な世界像の設定説明をしなけりゃならんので、ナツメ自体の存在感が薄れてしまったような。そういう意味だと、このアニメは重層的な構造にとらわれた人間のいる、この現実社会そのものをあらわしてるのかもな。この作品からはいろんな派生ストーリーが期待できる気がする。このアニメについては後ほど別テーマで少し語る予定。

・『ジビエート』
久しぶりに実況をまじえて観た作品。こういうアニメがたまに制作されるからアニメ視聴はやめられない。これをマジメにつくったと思いながら観ると、ほんとに泣けるほどおもしろかった。ただし、リアタイで実況しながら観るからおもろかっただけかもしれんが、それでもヘタなクソアニメより充分に観られた。享受層(オタク)を飽きさせずに視聴を完走させるというのは、立派なもん(それほど皮肉ではない)。やはり、アニメというのは元気をくれるいいものですねぇ。

【異世界やオカルトものなどにみる異界性】

『竹取物語』は周知の通り、平安時代にうまれたとされる物語で、さらにいうと、日本最古の異世界転生ものかもしれない。かぐや姫が天上界から地上に降りてきたという内容で、現在の日本で流行っている転生ものとはベクトルが違うかもしれないけど。

そのかぐや姫がいた天上界というのは、ある意味「異界」といえるかもしれない。ここで、これから用いる「異界」について簡単に定義すると、それは「任意のある世界があり、そことは違う原理でできている世界」としておきます。まあ簡単にいうと別世界つまり異世界ということです。

2010年代のアニメ作品をみてもなにかとあると思います。というか、この「異界」にあてはまるものを適当にあてはめただけでも、色々あると思うので、作品としてはなるべくオカルトっぽいものや、それに準じるものだけに限定したいと思います。

まずあげられるのは、『世紀末オカルト学院』(2010)でしょう。『怪異の表象空間』という本では学校という舞台が、ラノベ作品などにおいて「異界」を内包したものとされていました。『オカルト学院』では、まさに学院そのものが異界化されていました。そのさまは、まるで隠れ里のような感じです。1970~1990年代の日本を席巻したあらゆるメディアの、オカルトを詰め込んだ作品です。スプーン曲げとかUMAとかノストラダムスとか。その他にも幽霊なども出てきました。そして、未来から来たという人物自体が、未到来の隔絶された世界という異界性を帯びていました。

幽霊というと『あの花』とか『パパ聞き』(2012)とか山ほどあります。他方、『エロマンガ先生』では亡くなった両親が過去の映像として挿入されることで、過去という「異界」めいたものが現在へと浸出してして、ここらへんは演出としてはすぐれたものでした。『angel beats!』(2010)では、死後の世界における舞台として学校(という異界)が設定されていました。学校が「異界」につながる場であることが多いなか(学校の怪談など)、この作品では学校全体が異界化されていて、その隔絶された世界から抜け出すことが何らかの脱-異界化を示していました。

ここで書いている「異界」という概念は、世界の二重化を示してもいます。ふたつの世界が重なったり、あるいは一方の世界が別の世界を包摂していたりといった具合です。たとえば、『ノラガミ』(2014他)における日常と神々の存在する世界との二層世界。『ノラガミ』では、主人公が意識を失い幽体離脱?することで神のいる世界すなわち現実とは違う「異界」へと侵入するわけです。さらにおもしろいのは、『ノラガミ(二期)』において、島根県にある黄泉比良坂という「異界」への境界が出てくることで、これにより二重化された世界がさらに二重化されるという構造を持ちます。

『ノラガミ』では現実世界から「異界」へと侵入するわけですが、それとは逆に、「異界」そのものが現実となっている作品として『このはな綺譚』(2017)があげられます。『このはな』では、主人公のいる舞台そのものが人間世界から隔絶された「異界」なのですが、そこへ侵入してくる人間側の存在がむしろ異界性を帯びたものとしてみえます。舞台である旅館?は、その他にも多様な存在を受け入れる場として、けっこう多層的な舞台でもあるので、なかなか複雑で、それが時に思いもよらぬホラー感覚を与えてくれてました。

『このはな』のように「異界」というものへの感受とその表現をうまくいかした作品もあるなか、それとは逆に、ただたんに異界の存在を出して何らかの異界性をうみだそうとする安直な作品も色々ありました。それらの具体例はあげませんが、まだましなのは『マギアレコード』です。それと、『屍鬼』なんかはギャグにしてしまったせいか、異界性がうまくいかされなかった。というか、きちんと?制作されていてもどうなっていたか。

『マギレコ』では都市伝説のようなものが、「異界」への標識として機能していたかのようでした。その『マギレコ』以上に、舞台の中に「異界」を埋め込んでいたのが、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(2018)でしょう。『スタァライト』での地下空間は、生命力をうみだすものとして表象されるのでしょう。そう考えると、あのキリンとともに、その空間設定(とそこへと至る過程の表現)が何を示しているのかは、なんとなく納得できます。

『スタァライト』では、別世界への転出装置が、ギミックになるように演出的にうまく考えられていたのに比べて、『さらざんまい』では、皿からカッバを連想しそこからキュウリや尻子玉やさらに直截的なBL表現へと至ってしまった。そこには何の象徴性もない(全くないわけではないけど)。『ユリ熊嵐』(2015)では学校という「異界」めいた場において象徴性をそれなりに表現していたのに比べると、なんだかなぁという感じ。でもまあ、『ゆゆゆ』(2014他)のように世界のなかに無理矢理「異界」めいた日常を閉じ込めるよりかはましなのかなぁ。『ゆゆゆ』の主要人物は、ある異能力をさずけられた?存在として、ある意味「異界 」のなかでの異界化された存在だとも言えるかもしれない。この点でいうと、『約束のネバーランド』はまさに隔絶された小世界だけど、主な登場人物は一応フツーの子供たちに見えるので、そのことによってかえって、外界と隔絶された場であることが発覚したときの衝撃はでかいかもしれない。

さて、なんらかの能力をその身に宿したというものなら、『モブサイコ』なんかは完全に超能力者を描いたものですが、その一方で霊能力をもたない人物をトリックスターのように出すことで、オカルトものを脱臼させているような印象です。ここらへんは、『幻魔大戦』や『AKIRA』なんかと比べると、超能力そのものへの信憑に対しての、時代が進むことによる差ができたのだとなぁと思わなくもない。現代は、オカルト文化に冷めた眼でみているということなのか。ここらへんは、まだわからん。

異世界ものについては、少しだけ。『GATE 自衛隊彼の地にて、斯く戦えり』(2015)なんかは、「異界」そのものが直接現実に影響を及ぼしていたけど、その異世界じたいは地球の埒外なので、自衛隊のやりたい放題だったようなきがする。この作品では「異界」というものを強く感じなかったので、作中の自衛隊無双にどうしても違和感があった。いやまあ、別にどーでもええんやけどね。それよりも、この作品にはアメリカ大統領が出てくる。その姿はどう見ても、トランプ大統領にしかみえない。もし制作スタッフが未来を予見していたなら、慧眼というしかない(だぶん違うかなどうかな)。

【2020年アニメにみる異界性】

2020年にテレビ放送されたものから異界性を少しみていきます。

まず『無限の住人』です。万次が長命を保ったまま新時代を迎えて終幕しましたが、そこで描かれていたのは、江戸時代から遠く隔たった世界のようです。まさに、江戸という旧来のシステムから、別世界ともいえる異界化した明治日本への移行といえるでしょう。

『デカダンス』の序盤では、地球というひとつのシステムから、別の新たなそれを見つめる視点へと移行していきます。その視点の移動と、上位システム世界の住人?の描かれ方に作品自体の特徴がありました。バグを内在化している世界にはふたつの世界の論理があり、それを統括する世界にもさらにそれぞれの論理を代表する立場があるように見えました。まあそこらへんはもう一度見返してみるつもりですが、とりあえず(私が思う)「異界」といものが構造化されているように思いました。それと、バグという存在はこの後別の役割として必要になるのかもしれない。盲腸が今では重要な役割を果たしているとされるように、もしくは一部の病人が特別な存在として社会システムに必要とされたように。まあ、よーわからんのだけども。

その他について。『SAO』の新作は、異世界が現実世界と接点を持っているようですが、『Re:ゼロ』の新作ではそれがあるのかないのかよくわかりませんでした。実はリゼロは途中で観るのをやめてしまいました。録画してるので観るかもしれめせんが。とりあえず言えるのは、『SAO』では現実が異界化しているように思えますが、『リゼロ』に関しては異界そのものが現実化しているように思えます。違ってるかもしれんけど。

【まとめ】

書き終わって、「異界」というのは、なんとでも説明できるなぁというのが、率直な感想です。こういうのって、どんなものにでもあてはめようと思えばできてしまいそうなので、もうちょっと範囲を狭めなければなと思いましたとさ。

(成城比丘太郎)


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