- 宗教が支配するディストピア世界。
- 謎めいた単語の数々。
- 主人公のアティが、国の実態を知っていく流れ。
- おススメ度:★★★★☆
著者のサンサルは「アルジェリア在住のアルジェリア人」で、フランスの出版社から作品を発表しています。彼の著作のいくつかは(体制批判を主に扱っているため)、アルジェリア本国で発禁になっているようです。本作は特にフランスで重く受け止められたようです。近年、ミシェル・ウエルベックの『服従』でも描かれたように、何らかの宗教(『服従』ではイスラーム教)が一元的に世界を支配するという構図は、ヨーロッパではかなりアクチュアルなものとして捉えられているのでしょう。ちなみに、中国(China)でもサンサルは翻訳されているようです。中国もイスラーム過激派によるテロの脅威(と中国当局が主張するもの)があるからでしょうか(しかし、この作品はその内容からして中国では翻訳されていないでしょうね)。日本では、この『2084世界の終わり』がサンサル作品ではじめての翻訳です。
「大聖戦」を経た後のアビスタンという国を舞台に物語はすすみます。その聖戦とはどのようなものだったのかは後になって読者に明らかになりますが、それによって世界は荒廃します。そして、今でも謎の敵との「不可思議な戦争」を繰り返しているというのです。主人公のアティは、山地にあるサナトリウムで静養しているのですが、首都より離れたことと、そこでの様々な出会い・出来事により、この国のシステムの裏に何があるか気付くようになります。それは、(宗教が支配する全体主義的な国家への)服従からの解放を意味する「自由」に対するものにつながっていくことになります。アティがサナトリウから首都へと帰還するまでにあたる「第一巻」では、アビスタンへの彼の疑問が語られます。
このアビスタンは、国民にとっては他の世界から隔絶されているとされていて、偉大な神「ヨラー」とその代理人である「アビ」のもと統治されています。また「V」という謎めいた監視者もいるのですが、これは「諦めと服従と」を国民自身に内面化させるためのものでしょうか。実際は、信徒たちを「検査」する組織があり、それにより「信徒の信仰とモラル」が評価されています。タイトルからもわかるように、本作はオーウェルの『1984』からインスパイアされていますが(作中でも1984の文字が出るところや、スピーカーから日々流される朗唱の場面があります)、この国のシステムはもっと巧妙です。それは偉大なる神とその代理人が存在するからです。「ヨラーによって着想され、アビによって作成され、正義の同胞団によって適用され、誤りを犯さぬ執行部によって隙間なく見張られているシステム」なので、そこでは一切が無謬性のもとにあるとされているのです。しかし、この世界にも裏切り者(「背教者」)とされるものはいるのですが、そう認定されたものの末路は書かなくとも分かるでしょう。
アティはサナトリウムからの帰りに出会った考古学者の「ナース」から、この世界に関わる不安を聞き、首都に戻ってから日常に埋没しつつも、その不安に触発されこの国の実情を知ろうとします。そして、偉大な祖父を持つ「コア」という人物と共に、首都を出立します。彼らはシステムやそれに服従する人を嫌悪しつつ、この国のことを知ろうとするのです。「第三巻」以降は、アティの前に広がるアビスタンという国の雑多さや、支配システムの複雑さなどがあらわれ(支配者たちの多彩さもまた見どころ)、目まぐるしく展開していきます。そうしたことを知ったうえでアティの光明を探す旅は続いていくのです。
ウエルベック『服従』の先を予言したような本書は、著者の前書きに従うと、「完全に想像の産物」であり、現実にも未来にも存在しないとのことです。このような世界の到来がないことを願いつつ、どこか地球に似た遠い星でおこったフィクションとして読むと楽しめるのではないかと思います。「本物の宗教とはきちんと抑制され、一本柱にまとめられ、偏在する恐怖によって維持される狂信に他ならない」というおそろしげな一文は頭の片隅に入れつつも、この作品をどこかの実在の国でのことなどといった、矮小化するような読み方は、決してしない方が面白く読めるかと思います。
(成城比丘太郎)