- 極限のサバイバルを描く一級のサスペンス
- 洗練された読みやすい文章
- 哲学的な世界観に圧倒される
- おススメ度:★★★★☆
敗戦間近のフィリピンの戦線で、肺病を患った下級兵卒・田村の厳しい逃走生活を描く。逃走と書いたが、ほとんど避けきれない死と隣り合わせの状態で、田村は迷走する。極限の飢餓状態の中での異様な体験を経て、田村はどう変わっていくのか。戦記文学の傑作だが、素直に「読んで面白い」内容だ。また、極めて不謹慎だがホラー・サスペンスとしても読める。
文学にありがちな読みにくさは全くなく、圧倒的に読みやすいのである。頭の中は、あっという間に現代から、戦中のフィリピンへ移動する。描かれている情景は、過酷な前線兵士の敗走である。しかし、その一つひとつの文章が磨かれていて非常に正確だ。
例えば、ある村を訪れると、村人から叩き殺された日本兵の死体が転がっていて、しかも腐ってガスで膨らんでいる。これらの描写が克明に描かれるのであるが、作者は無闇に煽ったりしない。むしろあっさりと正確に描いている。しかし、これがジワジワ効いて来る。なまじ読み易いだけに、異常な世界にいる兵士の心境に次第にシンクロしていく。これがかなり怖い。
作品中では二つの視点があると感じた。主人公・田村のフィリピンでのサバイバルを描く現実面の視点と、田村の内面の変化を作者の哲学を軸に描く視点だ。言うまでもなく、この二つの視点は互いに深く交錯している。極限状態の描写も怖いが、それ以上に内面の変化はかなりの圧迫感を持って読者に迫ってくる。次第に壊れていく田村の内面、その中で次第に深まっていく人間・田村の葛藤が圧巻だ。
かつて小林多喜二の「蟹工船」を読んだ時も、同様の文章の確かさ、情景の恐ろしさ、人間の描写の鋭さを感じた。イデオロギーを排して、小説としても面白いのである。ただ、例えば中学生の課題図書として読まされたらどうだろう。多分「暗い鬱陶しい小説」だと思ったはずだ。こういった作品は自ら進んで読むときに、本来持っている輝きを放つと思う。取っ掛かりは何であれ、こんな面白い「一級のサバイバルサスペンス」を読まないのは勿体ないと思う。
(きうら)