完結したらどこかで感想を書こうと思っていたら、2020年になってしまった。本作「アカギ」は、大体の方がご存じの通り「カイジ」などで有名な福本伸行の麻雀漫画である。連載は1992に始まり、2018年に終わっている。26年に及ぶ長期連載ギャンブル漫画であるが、構成が極端に偏っていることでも有名だ。
アカギという男は、著者の別の漫画(天 天和通りの快男児)に出てくる「伝説の麻雀打ちの老人」であり、この作品はスピンオフという位置づけ。人気があったので、少年時代~青年時代が描かれているが、通常の麻雀漫画の「テンポ」として進行するのは6巻までで、7巻からラストまでは、いわゆる「鷲巣麻雀編」として知られるとてつもなく長い半荘(6局)が描かれている。
「鷲巣麻雀編」は負けたらアカギの血液を抜かれるというルールで50億円以上をかけた狂ったギャンブルだが、とにかく長い。一打打つのに1巻費やすなんてざらで、後半は敵である鷲巣が地獄で革命を起こしすなど、訳が分からない部分も多い。その過剰とも言える心理描写が肝で、それゆえ、勝負を決した時の快感はすごいが、リアルタイムで読むのは非常につらい作品とはいえる。とはいえ、完結してくれたのはうれしい。うれしいと思いつつ、22巻でストップし、10年以上放置して、結局今日まで読まず、一気読みしたという次第である。
ただ、1~6巻だけとってみれば、まぎれもなく傑作麻雀漫画で、とにかくアカギが恰好いい。その無頼ぶりは、男であれば一度はあこがれる天性の勝負師として描かれている。展開もスリリングで、当時人気が爆発したのもよくわかる気がする。
しかし、このテンポのいい展開が「鷲巣編」で急にストップし、とにかく、20年にわたって一つの勝負を続けるという、一種異様な展開をする漫画である。竜頭蛇尾という言葉があるが竜頭のまま、しっぽがとんでもなく長いような漫画になっている。
麻雀漫画の醍醐味は意外な勝負の行方とそのロジカルな思考、そして運が絡み合う展開だと思う。鷲巣麻雀も最初はそういう展開だが、徐々に心理描写が増えていき、ほとんど、禅問答のようなシーンが繰り返されることも多い。最後はロジックも消え、運だの天命だの、そんな話に流れていく。それゆえ、私は一度、脱落してしまったのだ。
改めて一気読みしてみると分かるが、ちゃんと起伏はあるのである。ただ、これだけ長い期間にわたると、もう少し圧縮できたのではないかとは思ってしまう。「鷲巣の地獄編」などは、蛇足だと思うが、作者も乗ってきて歯止めが聞かなかったのだろう。
この漫画では、ギャンブルの持つ怖さも十分に味わうことができる。ただ、全巻を読み通すと、それ以上に奇妙な感慨がある。結局、生きるとはギャンブルではないか、という、作者の哲学のようなものを感じることができるだろう。それについては特別な人生観ではないし、概ね共感できるので、私は満足している。
こうして積み上げてみるとなかなか愉快だ。20年間、ずっと同じ対戦相手と戦ってきた物語である。最後、敵である鷲巣がアカギを失うことに涙するシーンがあるが、なるほど、その歳月の積み重ねを思うと、そういう境地に至るのもわかる気がする。このわかる気がするという点が重要で、それがつまりこの漫画の面白さなのだ。
個人的には6巻で読むのをやめても十分楽しめると思っている。もちろん全館通して「死ねば助かるのに」「狂気の沙汰ほど面白い」など、この漫画でしか聞けない名台詞に酔いしれるもいい。
胡乱な話になるが、結局、生きているということはこういう作品を最後まで読めた、ということであるのかも知れない。そして、その作品で得た「明日はどうとでも変わりうる」という感想こそ、私が得た重要なものだろう。ま、ホラーでないのは申し訳ないが、広義のホラーっぽいシーンは随所に出てくるのも確か。ギャンブルは怖いね。
(きうら)