★★★☆☆

アンダーグラウンド(村上春樹/講談社文庫)

投稿日:2018年10月3日 更新日:

  • 地下鉄サリン事件の被害者のインタービュー集
  • 多くのどこにでもいる人を襲う奇禍
  • 村上春樹っぽさは随所に感じる
  • おススメ度:★★★☆☆

【はじめに】
今年、平成30年はご存知の通りオウム真理教の教祖であった麻原彰晃(松本智津夫)はじめ、一連のオウム関連事件の死刑囚の刑が執行された。それが本書を読むきっかけではないが、何となく引っ掛かりのようなものはあった。その一つは、地震に台風、酷暑など、厳しい気候で多くの人が亡くなった本年をして、「麻原の呪い」などとジョークにされていることに、酷く違和感があったこと。確かに私は呪いの話や幽霊の話などは大好きだが、そうやって「悪の権化」として、「呪い」という言葉を使ってある種神格化していることには嫌悪を感じる。調べてみると、マグニチュード8の地震のエネルギーは63095734448019432ジュールであり、台風は180 EJ(エクサジュール/エクサ10の18乗)だそうで、人間一人がそんなエネルギーを生み出せるわけがない。ばかばかしい話である。しかし、このサリン事件はバカバカしいでは済まなかった。実に約23年前の出来事だ。13人の方が亡くなって6000名近い方が重軽傷を負った。

もう一つは、最近フェイク・ドキュメンタリーモノを読んでいたので、一度、腰を据えてノンフィクションを読んでみようと思ったこと。これは純粋な読書的視点から。あと、付け加えるとすれば村上春樹がどのように事件を捉えているかにも興味があった。

【記憶としての地下鉄サリン事件】
私もいい年なので、事件当時は既に20歳(大学生)だったことになる。当時は三重県に住んでいたので、阪神淡路大震災と共に「酷い年だった」という記憶がある。ところが、流石にもの知らずの20歳というべきで、大事件という認識はあったが、それほど深くは考えていなかった。「東京の事件」という印象だ。携帯も普及していない時代、朝から晩までテレビで報道されていたことは覚えているが、いわゆる他人事、それが正直な記憶だ。ただ、大阪の大学に通っていたので、よく日本橋の電気街に遊びに行ったのだが、そこで、オウム真理教のパソコンショップ「マハーポーシャ」の宣伝を信者(と思われる)人がやっていたのを克明に覚えている。何しろ、真夏だろうが真冬だろうが、地下鉄の出口でパソコンの被り物をして、ひたすら「マハーポーシャ」を朝から晩まで連呼していた。確かに異様だったのだ。幸か不幸か、その店には行かなかったが、こんな関西圏で住んでいても接触があったのだから、オウム真理教の影響力はやはり大きかったのだろう。あと、オウムに狙われた小林よしのりの漫画を熱心に読んでいた記憶もある。

そして、現在、人生を一回りしてみて思うのは、想像以上に恐ろしい事件だったということ。二つの大震災、911テロと同クラスの衝撃だったと思う。

【本書の内容】
これは非常にシンプルで、村上春樹が事件の関係者(被害者・被害者の家族・医者など)62人にインタビューを行ってそれを文字として起こしているというもの。なので、とにかく長い。文庫で777ページで終わっているので、単純に平均すると一人当たり約12.5ページという内容で、しかも、最初の数ページの人物紹介は8ポイント位の大きさの文字だと思うのだが、実際のインタビューはさらに小さいフォントでしかも2段組み。大変興味深い内容だが、それでも読むのには非常に骨が折れた。久しぶりに4日位かかってしまった。

まえがき→(村上春樹の前文→人物紹介+インタビュー>これがループ)→あとがきという流れになっている。これだけ被害者の方が多いにも拘らず、積極的に語ってくれる人が少なかったという前書きは印象的だ。それだけ悪夢的な出来事だったのだ。PTSDなどにも触れられている。

【感想】
私は本紹介をもって事の善悪を断じる気はない。というか、できない。先に書いたようにリアルタイムで経験しているものの、実感としての恐怖も社会的な義憤も感じていないからだ。もうオウム真理教を茶化すほど若くはないし、かと言って論理的に批判できる知識もない。よって、感じたことを正直に書くと、

こんなにも多くの「普通の人々」の人生を読んだのは始めてだ、

という、実にあっけないものだった。インタビューはほとんど、当日どのようにして事件に遭ったかということから語られるので、自然と、職業や生い立ちが分かる。大体家族がだれで、何時に起きたとか、何の仕事をしていて地下鉄に乗ったとか、ほとんどがそうだ。学生は一人だけで、ほとんどは社会人の方。そういう視点で見ると、自分と同じく、様々な職業で平凡に生きている人のなんと多いことか、そして、それを文字で読むというのは実に不思議だ、という事だった。驚いたことに、社会人の方はほとんどサリン中毒の症状が出ても、会社に向かっているのである。日常を保とうとする意思問うものが想像以上に強い、あるいはそれだけ前代未聞の出来事だったということか。

まあ、そういう印象が強いのには他にも訳があって、大体、実際にサリンの被害に遭うと、症状の軽重は別として大体同じ症状をたどるので、途中からインタビューは類型化する。もちろん、個性はあるのだが、体調不良(鼻水、頭痛、視界が暗くなる(縮瞳)、意識の混濁)が起こると病院に搬送され、そのあとは回復して、職場なり家庭に戻るということになるのだが、回復後は皆あっさりしている。怒りを覚えている人もいるが、印象としては「どうしてこんな事態になったのか分からない」という人も多いようだ。強い後遺症などを発症していない方ほど、自然災害と同レベルでとらえられている方も割合に多かった。

そんな中で、やはり印象的なのは酷い後遺症で苦しんでおられる女性とその兄のエピソード、松本サリン事件を取材していた弁護士、実際に亡くなられた被害者の方の家族の話だ。特にサリンの後遺症から必死に立ち直ろうとリハビリされる女性のエピソードは印象的だ。ただ、こうやって物語としてみていいのかどうかは抵抗がある。多分に偽善的な意見だが。

と、いうわけで、最後まで読み通してみて、村上春樹の言う「オウムに感じる嫌悪は、自分の中にある一面としてのオウム的邪悪さの裏返し」という意見も分かるのだが、それでも私には遠い事件のままだった。これは何だろう。滑稽なことだが、私が感じたのは平凡と言われる人生への憧憬であった。結果として、それらを壊された人々のインタビューなのだが、それでもその向こうに透ける仕事への確信のようなものが眩しく思えた。自分は、それでも職場に向かうだろうか?

【怖い本として】
などと、腑抜けた感想であるので、いっそ割り切って怖いかどうかも書いておこう。正直、サリン中毒の症状は恐ろしいが、殆どの人があっけらかんとして語っていることもあり、直接的な恐怖感はないだろう。もちろん、その背景を考えれば底知れぬ闇があるのだが、それはもちろんホラーではない。淡々とした事件のインタビュー、それが全てだろう。と、いうわけで、何らかの恐怖を追体験したいという目的であれば、あまりにも現実的過ぎてかえって恐怖がない。風化もあるだろう。いや、私の感性の劣化かもしれない。とにかく、日本史に残る稀代のテロ事件を知る一つの切り口として読まれるのであれば、何らかの意味はあるとは思う。

(きうら)



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