- 不気味な存在が跋扈する、ポスト・アポカリプスもの。
- 荒廃した世界での、命をかけたサバイバル。
- 自分は何者なのか、ということに苦悩する少女。
おススメ度:★★★★☆
世界は「<大崩壊>」という人類の危機を経験し、生き残った人々は、作品舞台であるイギリスで、ロンドンから離れた場所に「ビーコン」という大都市を建設し、そこで大勢の人が生活しています。「ビーコン」の外には、「<飢えた奴ら>(ハングリーズ)」と呼ばれる人のなれの果てと、「ビーコン」に避難することを拒んだ「<廃品漁り>(ジャンカーズ)」という連中であふれているのです。おおまかな世界観はこれだけです。
物語は、その「ビーコン」から離れたある軍事基地からはじまります。そこには、多くの子どもたちが集められ、日々何らかの授業を受けたりしているのです。子どもたちは、なぜか全身を拘束され、移動する時も車椅子に縛られ、兵士たちに付き添われているのです。なぜ、そんなに慎重に子どもたちを扱うのか、その詳細はすぐに明らかになるのですが、簡単に言うとこの子たちは、人類の危機を脅かす「<飢えた奴ら>」の生態を解き明かすための実験体として、この基地に囲われているのです。
この「<飢えた奴ら>」とは何なのかということですが、これは、上巻の早い段階で明らかにされます。正体をここで書いてもいいのですが、そのヒントだけ書いておくと、前にブログで取り上げた『ゾンビ・パラサイト』の一節と関係があるとだけ言っておきます。隠すようことではないので、書いてもいいのですが、この作品はあまり肝心なネタを見ずに読んだ方がいいと思ったのでやめておきます。ところで、「<飢えた奴ら>」とは、一般にゾンビ的な存在と呼ばれるものかとは思うのですが、私が読んだ限りでは、本書には「ゾンビ」という文言はなかったように思います。
本作の主人公は、基地に閉じ込められた子供の一人である少女の「メラニー」です。彼女は先生の一人である「ヘレン・ジャスティノー」に親近感を覚え、先生の授業をいつも楽しみにしているのです。「ジャスティノー」は生徒である子どもたちに「<大崩壊>」前の世界のことや文学のことなど様々な内容を教えるのですが、「ジャスティノー」は、一番利発な「メラニー」にかなりの愛着をみせます。そのことは、基地付の科学者「コールドウェル」の行う実験の時などをみれば分かります。そして、その実験中に基地は襲撃を受けます。基地の人間はほとんどが殺害され、「ジャスティノー」も危ういところを「メラニー」に救われるのですが、その時に「メラニー」の身に重大な変化が起き、そのことが彼女に自分の存在を自ら問わせることの契機となるのです。
ここまでで、本書の約四分の一くらいですが、このあとは基地を脱出して「ビーコン」へと向かう5人のサバイバル的行軍がメインとなります。「メラニー」と「ジャスティノー」と科学者の「コールドウェル」を助け、彼らを冷静に導こうとする「パークス軍曹」。そして軍曹の部下である「ギャラガー」。最初は「メラニー」の存在をめぐって、「ジャスティノー」とその他のメンバーの間で悶着が起こります。特に「ジャスティノー」は異様な執着を「メラニー」に見せるので、「コールドウェル」との間の確執は隠しようのないものとなります。一方、「メラニー」を警戒していた「パークス」や「ギャラガー」には、次第に「メラニー」との間にある程度の信頼関係が生まれてきます。この辺りが分かりやすくてよいところです。まあ、軍人らしい冷徹な関係ですが、それもよいです。
彼女は、道中、はじめてみる世界の有りようと、授業で見聞きしたものとを見比べ、感激するのです。そのなかで、「<飢えた奴ら>」の集団との遭遇を通して、「メラニー」は、自らが何者かを確信していくのですが、それでも基地のメンバーを一つの仲間ととらえ、助けようとする。そこが後半の見所のひとつでしょう。もう一つの見所は、「<飢えた奴ら>」との知恵をだした戦いでしょう。基本はどのように奴らと戦わずに済ませるか、ということに主眼がおかれます。一方、「<廃品漁り>」はある意味「<飢えた奴ら>」より危険な連中なので、遭遇すると一行では勝ち目も、逃げきることもできないであろうことから、「<廃品漁り>」と出くわすことは、ほとんどありません。
最後に行き着いた先で「コールドウェル」が明かした、この世界に蔓延する病気の真相、または人類の一つの到達点をどのように考えるかが、この作品に対する評価となるでしょうか。つまり、作品の終わらせ方ということについての評価です。個人的にはこういうのは好きです。絶望だけでもないし、希望のみというわけでもない、ありていに言うと物語はこれからだということですが、そもそも「コールドウェル」の狂気じみた探究心から分かった新たな真相なのです。この科学者の死をかけた追究心があればこそなのです。自らの「パンドラ」をあけようとする少女が病原体側の主人公なら、同じく「パンドラ」をあけてしまった科学者も、もうひとりの主人公だと思われます。それが、たとえ名誉欲のためだったとしても、一定の敬意を払いたいキャラクターです。
2017年7月には、本書をもとにした映画が日本でも公開されたようです。それは未見ですが、この小説だけでもエンターテインメントとして十分楽しめます。ゾンビものとか、そういうものが好きならなおさらです。
(成城比丘太郎)