- 「壊滅」の予感を三人称で書く。
- 「私」が妻の墓に供えた花と、その後の惨禍と。
- 「廃墟」になった街を歩き回る「私」。
- おススメ度:★★★★☆
この集英社文庫版には、『夏の花』三部作が収められています。ちなみに青空文庫でも、これらの三作は読むことができます。それぞれ特徴のある作品です。一つずつ紹介していきたいと思います。
最初の「壊滅の序曲」は、冒頭の部分で、ある「旅人」が、広島に住む友人へと手紙を送り、立ち去るところからはじまります。その手紙には、おそろしい悲劇の予兆が書かれていたのでしょう。受けとった友人は、その手紙の中の「ある戦慄」を思い浮かべます。この箇所は導入部となっていて短いのですが、ある象徴として、この一編をあらわしています。本編の主人公である「正三」は、実家のある広島に帰ってきました。全体に、実家の工場をめぐる戦時下の日常やら、町の人々の不安などが、緊迫感をもって描かれています。タイトル通り、不穏な空気が作品から伝わってきます。この頃はまだ原子爆弾の知識もなく、ただ本土決戦の時に、この地がその「牙城」になるだろうという不安を抱いているだけです。もちろん、「正三」ほかの人物は原爆の威力など想像の埒外ですが、広島の在りし日の情景を詩的に描いたところや、書かれた人物はそのことを知らなくとも、広島の人々のその後を(作者や読者は)知っているという前提に立って読むと、その差がこの一編に奥行きを与えているように思えます。
表題作の「夏の花」は、この中でも一番短いですが、密度の濃いものです。「私」が厠の中にいるときに原爆の投下に遭い、頭から血を流した「私」は「全裸体」だったので、慌てて着る物を身につけると屋外に飛び出します。もちろん、何が起こったかまだ分かりませんが、「惨劇の舞台の中に立っているような気持ち」で、「遂に来たるべきものが、来た」と、最初はおそらく大空襲に遭ったと思ったことが示唆されます。その後、火の手に包まれる街をかいくぐり、川へと向かうのですが、その途中には光線によって大火傷を負った人々の姿など、凄惨な光景が待っていたのです。河原の地獄のような光景に過去のその場の光景などをだぶらせたりします。それから見るものは、「精密巧緻な方法で実現された新地獄に違いなく」、人間の屍体なども「何か模型的な機械的なものに置換えられている」というように、たんたんとした惨状のレポートのようで、幾枚かの絵画を見るような感じもします。しかし、避難途中に自分の甥の変わり果てた姿を見つけるシーンは、「涙も乾きはてた遭遇」とあるものの、読んでいる方は胸が裂けるような気持ちに襲われます。この一編は小説というより記録のような感じです。
「廃墟から」は、様々な「いくつも転がっている」悲劇を描いたものです。大火傷を負った人たち、被爆した人たちの、原爆投下後の呻吟が描かれます。また、「私」の脳裏には、8月6日前にあった知り合いとのやり取りや、在りし日の姿が浮かび、その後の(おそらく助かってはいない)運命をも想像裏に重ねます。そうすることで、この一編には深みがあるように思います。「私」は、廃墟と化した広島の街を、親戚のもとを訪ねるために歩きまわるのですが、そこで悲劇に苦しむ人々の姿に出会うのです。
(成城比丘太郎)