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★★★★☆

忘れられた巨人(カズオ・イシグロ[著]・土屋 政雄 [翻訳]/ハヤカワepi文庫) ~あらましと中程度のネタバレ

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  • 竜も騎士も出てくる正統派ファンタジー
  • 戦争と平和、死と復讐への意味深な警鐘
  • スロースタートだが面白い読み物
  • おススメ度:★★★★☆

世の中には「にわかファン」という言葉があって、例えば本のジャンルで、大きな賞を受賞すると、普段その作家の小説を読んでいない人間がいきなりその本を読んで、さも、良く知っているかのように語りだすという蔑視的意味合いで使われる。そういう意味で、私は「にわか」以外の何者でもない。ただ、私が読書に目覚めたのはファンタジー小説の面白さからなので、今回はノーベル文学賞云々ではなく、純粋にファンタジーファンとして読んだ感想を書いてみたい。

(あらすじ)アーサー王(5世紀末から6世紀初頭の「伝説」の君主)が没した後の古いブリテン島(イギリス)が舞台。ある寒村に住む老夫婦(アクセルとベアトリアス)は、その惨めな暮らしに耐えながら日々を過ごしていたが、不可解なことがあった。それは、謎の霧によって村人がすぐに過去の出来事を忘れてしまうことだった。二人は消えゆく記憶に思い悩みながらも、確かにいたはずの息子の村へ旅立つことを決意する。その途上でサクソン人の戦士、鬼に噛まれたと言われる少年と出会い、同行することになる。また、国を脅かす竜クエリグ退治を担ったアーサー王の老騎士(いわゆる円卓の騎士)のガウェイン卿とも交わる。老夫婦は妻の病の件で途中、ある修道院に向かうことになる。

物語の焦点は、ブリテン人とサクソン人の関係にある。歴史に詳しい方には余計な解説だが、簡単に言うとブリテン人の住む島にサクソン人が移住してくるが、そこで争いが起こっている。サクソン人は一般的に虐げられる立場になっている。物語開始直後では、この均衡が危うい状態にあるようなバックボーンとして描かれている。あまり比べたくはないのだが、世界中で起こっている戦争の縮図と見ることができる。

なぜ、均衡が保たれているか。それは前述の霧によって、人々が過去を忘れているからではないか……ということが、中盤まで読むとだんだん分かってくる。復讐の連鎖には過去の忘却しかないのか? と、いう一つの提示があるのだが、それは物語後半でさらに別の意味合いを持って描かれる。ただ、それがまさに「オチ」なので、ここで完全にネタバレすることは避けたい。

物語としてはどうか。最初の20%くらいは、世界の状況の説明と、老夫婦の関係が丹念に描かれるのだが、正直に言って少々忍耐が必要だ。何しろ主人公が老夫婦なので華やかさはないし、舞台は霧に覆われた寒村だ。ファンタジー小説は、どうしてもその設定した世界を説明しないといけないので、前半の展開がスローになるケースがある。語り口も上品なので、エンタメ小説のような奇をてらった展開はしない。丁寧な世界設定と後々への伏線が張られる。

ただ、老夫婦が旅に出るあたりから、俄然面白くなって来る。物語は、上記の記憶を失った老夫婦の他に、サクソン人の強靭な戦士ウィスタン、鬼に噛まれ村を追われる同じくサクソン人のエドウィン、老いてもなお誇り高い騎士であるガウェイン卿を中心に展開する。というか、ほとんどこの5人によって話は完結する。特にガウェイン卿のキャラクター造形は、ドン・キホーテを彷彿とさせるユーモアもあり、非常に魅力的な人物として描かれている。

さらに、戦闘シーンや魔物との闘い、地下トンネルなど、ファンタジーではおなじみの場面も、リアリティたっぷりに描かれる。橋の上でのウィスタンと追っ手とのやり取り、不気味な修道院の秘密など、舞台設定も興味をそそられる。安直なファンタジーにありがちな「愛と友情とバトル」は極力避けつつも、その神髄たる戦闘の興奮や、魔所へ潜入するドキドキ感と言ったものは十分味わえる。要するに最初を乗り越えれば、老夫婦が主人公と思えない、波乱万丈の娯楽性のある物語が待っている。

文章(翻訳)は非常に丁寧で、読みやすさは問題ない。ただ、ずっとアクセルが、妻である老女を「お姫様」と呼び続けるのは、翻訳物ならではの違和感があった。原文ではこの辺の微妙なニュアンスが違うのだろう。また、鬼や妖精なども登場するのだが、それまでの描写があまりにもリアルなので、一瞬、置いていかれたような気分になるかも知れない。なぜなら筆致が確かなので、ある種の歴史小説を読んでいるような気分になるからだ。この辺は、普段、ファンタジーを読みなれていないと戸惑われる可能性がある。

終始、それこそ「霧にかすんだ」ようなイメージが支配する世界で、時々、精緻でタクティカルな戦闘シーンやファンタジー的描写が挟まれる。グロテスクな描写は少ないが、必要であればためらいなく書かれている。竜退治を主題にしながら、その裏に数々の見えない問題を提起している。読んでいて面白いが、時々、知らない場所に連れていかれる、そんな小説である。

そういえば、ファンタジーものにつきものの「お姫様」要素が殆ど無いのが象徴的だ。アクセルは妻をそう呼ぶが実際は老女。登場する女性は、ほとんど老人か子どもで、ヒロインと位置づけられる存在が不在なのだ。下賤な話をすると萌え要素は全くない(何人か少女も登場するが短いやり取りがあるだけ)。なので、やはりこれは読みやすい文学であって、決して、娯楽小説ではないのだろう。

修道院のシーンなどは結構ホラーとしても通用する場面で、怖い話を期待して読まれるのなら、ある程度満足できるのではないか。これしか著者の作品を知らないので、他の作品の事は分からないが、少なくとも、読んで退屈するような物語作家でないのは間違いないだろう。

それにしても、だ。現実の世界で起こっている憎しみと殺戮を考えると、この物語の提示する問題は根深い。ある種の絶望すら感じる。いや、世界ではなく、自分たち自身を振り返ってみても、年齢を重ねると過去と現在の折り合いをどうつけるのかということに悩まされる。振り切れない苦い過去、まだまだ続く日常、そして、待ち受ける死という運命……。著者はファンタジーの姿を借りて、この普遍的なテーマを掘り下げたかったのではないかと思う。そして、その結論は当然、とてつもなく重い。読書後も残る精神的な葛藤こそ、この作品の本質と思える。

(きうら)



忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫) [ カズオ・イシグロ ]

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