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最近読んだ本【2019年2月】~読書メモ(30)

投稿日:2019年3月6日 更新日:

  • 読書メモ(030)
  • 2月に読んだ本
  • 生物学(遺伝学)、文学、歴史の新書、エッセイについての感想
  • おススメ度:それぞれ

【読んだ本について】

・デイヴィッド・ライク『交雑する人類』(日向やよい・訳、NHK出版)
[「千夜千冊」を見ていたら、松岡正剛が、『サピエンス全史』が日本でベストセラーになっているのに、この『交雑する人類』が評判になっていないというのは、「お里が知れている」とかいていたので、ちょうど『ホモ・デウス』を読み終えたということもあって、本書を読んでみた次第。それはそうと、『サピエンス全史』はともかく、『ホモ・デウス』の下巻は不要じゃないだろうか。せいぜい、下巻の内容を数十ページにまとめて上巻に付け加えたらそれで十分といったものだった。
それはおいといて、この『交雑する人類』は『サピエンス全史』の後に読むといいのではないかと思った。詳しい内容は自分のノートにメモしたので、ここには簡単に書きます。日本語版の副題は「古代DNAが解き明かす新サピエンス史」とあり、原著は2018年刊行。同じく2018年に日本語版が出された理由は、遺伝学の知見の更新がはやいこともあるだろうし、おそらく『サピエンス全史』のヒットにあてこんだものもあるだろう(原著にはサピエンスの文字はなさそうだから)。
本書で書かれるのは、著者が強調する古代DNA革命について。古代の人骨からDNAを取り出して全ゲノム解析をし、まずは遙か過去の人類の歴史が解き明かされる。アフリカ大陸を出た現生人類(非アフリカ人)たちが、ネアンデルタール人といった旧人類といつ出会ったのか、またそいつらとの交雑した証拠が明かされる。あるいは、一度アフリカを出た現生人類がもう一度アフリカに戻ったシナリオもあるそう。おもしろいのが、ゲノムワイドなデータ解析から、人類と交雑したけれども未だその証拠(現物としての人骨)が見つかっていない「ゴースト集団」の存在が割り出されたこと(そしてその後その人骨が見つかったものもある)。多様な人類が過去に存在して、それらが現在の人類に繋がっていることが分かる。情報量が多い本なので、実際に読んでみて下さいとしか言いようがない。
また、世界各地の人類拡散の様子や交雑の様子も分かる。とくにヨーロッパはDNAのサンプルが豊富なので、古代から最近までのことなど色んなことが分かってきている。一方、アメリカ先住民とのその人らの遺骨とされるものをめぐるトラブルが書かれているけれど、それらは主に白人主体の研究者に対して先住民が抱く「不信感」からくるものだが、抱かせた方が悪いとしか言いようがない。ほんで、その他にも、世界各地の人類拡散(や言語)の歴史が分かるようになってきている。
全ゲノムデータ解析により、期待されるのは、おそらくとある集団内に見られる遺伝的な疾患に対して有効な手が打てるということなのだろう。その一方で、著者は集団間に差異があることから目をそらさずに認めた上で、研究者(や一般人も)は、きちんと客観的にデータを扱うように注意を促す。しかし、そうして、これからどんどんデータが出てくるなかで色んなことが明らかになると、従来とは違う意味での人種に替わる差別的な見方が出てこないとも限らない。そう考えると、なんかおそろしい感じもする。杞憂であればいいが。
さて、ここで、日本のことを考えてみる。本書ではほんの少ししか述べられていない。それはひとつには、中国や日本では、DNAデータの持ち出し規制や国内研究事情のためとしている。中国は、これから国内で大規模な研究機関が出来るそうなので、日本人のルーツも詳しく分かるかもしれない。日本でも最新技術や様々な発掘品のデータ解析により、「縄文人の歴史」が色々分かるだろう。日本では、役に立たないと思われてる研究は(研究費として)ないがしろにされる向きもあるけれど、医療の観点や歴史ロマン(?)といった点から、研究が進むことが期待される。しかしこの先、解析技術が進展しまくると、日本人のルーツはおろか、現代人の来歴も分かるようになるので、そうなると、一部墳墓(陵墓)はますます発掘調査できないだろうし、一部現代人から古代の日本人のことを知ることにも制限がかかるかもしれない。そうなったら、日本はゲノム解析の分野では、世界でもっとも遅れた国になるかもしれない(し、ならないかもしれない)。とはいえ、抜け道ができそうな気もする。
さて、書いていて長くなりましたが、簡単に言うと本書は、

「多様な集団の大規模な混じり合いと広範囲の集団置換と拡散に満ちた物語」(p58)

が味わえます。そこには、訳者あとがきにあるように「ミステリー小説を読むようなスリル」があります。いやそれ以上といっていいでしょう。〕

・パオロ・コニェッティ『帰れない山』(関口英子・訳、新潮クレスト・ブックス)
[著者は、現代イタリアの文学者。原著は2016年刊行。この小説を簡単に言うと、「二人の男と山の物語」です。都会(ミラノ)から来た少年ピエトロと、北イタリアの山あいの村に住む少年ブルーノとの山での出会いと、それから二人が中年になり再会し、そこからまた山の物語がはじまります。日本語訳版を読んだ印象としては、とても素朴なものなのですが、技巧をこらしただけのような小説にはない、しっかりと山を登る時の足元のように、一歩一歩着実に文章を紡いでいくような、堅実さが本書にはあります。それと、作品内の季節は色々あるのですが、個人的には冬の光景が非常に印象に残りました。それは、冬に読んだからですが。
物語の筋はとくにこれといったものはないですが、ブルーノと父親との三人で山登りをしていた少年ピエトロが、ある日自分の父親に反抗して山登りを止めて、都会暮らしに戻って大人になり、父親が亡くなってからまた村に行くことになります。亡き父が、ピエトロのために遺した土地がそこにあったからです。そこで大人になったブルーノと再会します。時に、大人になったピエトロは独りで山に登るのですが、そこで彼は父親が残した数々のメモ書きを見るのです。時を越えて、テンションの高くなっていた過去の父との対面には、少なからず感動を覚えます。
ここで描かれるのは、抽象としての「自然」ではなくて、名前のある渓流や岩や木々なのです。これを読んでいる間、私は、母親の故郷である山陰地方の山間部にある集落のことを思い出していました。作者にも本書のような経験があるらしいのですが、しかし、彼は本書のようには田舎で親しい友人は作れなかったそうです(私もです)。作者はそのことが心残りだったそうです。それはそうとして、私が思い浮かべていた故郷の景色には本書のような高峰は出てきません。それでも夏の夜には街灯もないので真っ暗闇の中でまぶしいほどの星空を見たり、家の裏に流れる小川で山椒魚を見たり、川沿いの道で大量のヘビの行進を見たり、私が幼い頃にはまだゴエモン風呂で、トイレはもちろんくみ取りと、そんな中で、夏の朝には早起きをして昆虫(カブトムシとか)をつかまえたり、たまに遠戚の者が持って来てくれた山羊の乳の野性味に驚いたりしたものです。冬になると、時には1メートル以上もの降雪量で、都会育ちの私からしたら毎日が天国でした。残念ながら(?)、私の母はピエトロの母のようには、山あいの集落に愛着は覚えていなかった。私も都会育ちだったから、たまに過ごす田舎の暮らしがまぶしかっただけです。
本書には、ブルーノが勉強のために読む本が出てきます。「スティーブンスン、ジュール・ベルヌ、マーク・トウェイン、ジャック・ロンドン・・・・・・」といったあたりです。なんかよくわかる。
ピエトロの赴くネパールの現状と、現代イタリアの経済状況の悪化と、ブルーノが経営する農場の行末と、ブルーノ自身の白い闇に溶け込んでいくさまが、なんとなく身につまされる。そのブルーノが、最後に見つけ出した以下の答えがイイ。

「人は誰しも人生で身につけたことをするしかないのさ。まだ若いうちなら、別の道を行くこともできるかもしれない。だけど、ある程度の年齢に差しかかったら、立ち止まって自分に言い聞かせるしかない。よし、自分はこれならできるけれど、別のことは無理だってね。だから俺も、どうしたいのか自分に問いかけてみた。俺は山でなら生きていかれる。この山奥に独り残されても、生き延びる自信がある。捨てたもんじゃないだろう?なのに、そのことになんらかの価値があると気づくまでに、四十年もの歳月を要したんだ」(p255)

この物語に女性はそれなりに出てくるのですが、一部を除いてメインに出てくることはあまりないです。二人の男(とピエトロの父親)がメインです。本書は、山と山登りを愛する人向けの小説といえるのではないでしょうか。〕

・池上俊一『情熱でたどるスペイン史』(岩波ジュニア新書)
[ようやく出ました。好評の(?)「○○でたどる××史」のスペイン版。タイトルを見て、やはりスペインは「情熱」かぁ、と思ったが、他にこれといって何かキャッチーで統一的なフレーズもないしなぁ。他のシリーズは、「パスタ」に「お菓子」に「森と山と川」といった具合に具体的なものだが、「情熱」とはこれまた抽象的だし、スペインといっても一枚岩ではないから、全部を「情熱」でまとめるのもなんだかなぁと思ったが、でもそれしかないかなぁと思いながら読みすすめた。でもなあ、たとえばアメリカ大陸への侵略を「情熱」で捉えるのはなぁ。もちろん、それは著者も注意して書いてるのだけれど、その外世界への冒険が、後にアフリカ大陸(やアジア)収奪へヨーロッパ諸国を導いた契機になったのかもしれないと思うと、なんだかなと思うのである。それが歴史なのだからしょうがないけど。それと、レコンキスタからその後の異端審問所を通してのカトリックの排外的な思想というのはおそろしいなと思う。イスラーム時代のイベリア半島では異教徒は混在していたが、領土回復によってその地からユダヤ人が各地に散っていったことが、今の(ユダヤ人がおかれる)状況になった一因なのかもしれない。ちょうど『ユダヤ人とユダヤ教』と並べて読んでいたので、その様子が分かった。
さて、ちょっと悪く書いた部分もあるけど、それが歴史なのでしょうがない(とは言いたくないけど)。まあ、ローマ時代から現代までのスペインを、歴史や「情熱としての名誉」や芸術などの文化を通してみていくので、スペインをざっと知りたい人には丁度良い本かもしれない。]

・平野啓一郎『考える葦』(キノブックス)
[図書館で著者の新刊小説を借りようとしたが、ものすごい予約待ちだったので予約入れるのやめた(順番来るまで半年以上かかるだろうし、かといって何でもかんでも買うだけの金銭的余裕もなし)。なので、これを借りてきた。エッセイは順番待ちないのはなぜだろう。
本書には、あちこちの媒体で書き散らした64の論考が収められている。文学論から芸術論からエンタメ論から時事問題までと幅広い内容。軽く読める態になっている。文学論や芸術エンタメに関しての話題はそれなりにおもろく読める箇所もあるのだが、時事問題になると、とたんにダメになる。なんというか、新聞の社説以下である。常々、文学者には、新聞の社説よりももっとおもろいというか、変な視点からちょっとそれは穿ちすぎじゃないか、といったものを書いてほしいと思っているのだが、これはおもろくない。というか、為政者(の政策)などへの批判になると、一意的な見方しかできていない。というか、「多様性」をうしなう。
著者は、本書でちょこちょこ「多様(性)」を謳い上げるのだが、自らが批判する対象に関してはその者がもっているはずの「多様(性)」などないかのように語る(印象)。それが戦略ならいいのだが、そういうのでもなさそう。まあ、文学者にはよくありがちなものかもしれないので、どうでもいいのだが、ちょっと見逃せないものが他にあった。
著者は「排外主義」についてもなんやかんやと書いている。たとえば、「アーレントの『反ユダヤ主義』を読みながら」という論考で、「『例外』というのは、差別主義者が、自らのステレオタイプな偏見と合致しない、現実の人間に対して用いるお決まりの言葉」(p98)と書いて、日本の「排外主義(外国嫌い)」を糾弾するのだが、別の箇所で著者は、「オタクっぽいディスコミュニケーションの弊」(p55)と無造作に書くのである。これこそ「ステレオタイプな偏見」に通じる一般化ではないだろか。そもそも「ディスコミュニケーション」は「オタク」の専売特許ではない。もちろん、「ディスコミュニケーション」が「オタク」の構成要素(もしくは必要条件?)であることは否めないのだが、それは、どの分野の「オタク」にでも当てはまるものだろう(著者はそれを述べたかったのだろう)。しかし、そうすると「オタクっぽいディスコミュニケーション」とはトートロジーになるかもしれない(しかもあまり意味のない)。それに加えて、「っぽい」と形容するのがなんかズルイ書き方。この「オタク」とはもちろん何か特定の分野に限定されるものではないから、こういう書き方になったのだろうが、この「っぽい」というのはやはり「排外」的な感じがする。例えば、「日本人(○○人)っぽい言動」や「女(男)っぽい考え方」といった命題があったとして、これらがいともたやすく(排外主義的)差別的な言辞に堕しがちなことを著者は考えたことがあるのだろうか。おそらくこういった論考で自らの見解を述べる時には、こうは書かないであろう。それにしても「っぽい」という、そこに何らかの属性を付与させようとするあいまいな表現はとても便利だなぁと思うのである。
著者は、「[自分が]基本的に寛容で、固陋な考え方に立たない」(p252)と書いているのに、自著(共著)の装丁を相談なく勝手に決められて立腹している(気持ちは分かるが、どちらかというとあまり寛容ではない私からしたら、「寛容」とは思えない書き方をしている)。もしかして、これが著者の言う「分人主義」のあらわれなのだろうか。だとしたら、「分人」とは便利な概念だなぁ。
なんというか、これを読み終わって、日本という国はとても平和だなと思った。というか、もうちょっと自らが受け付けたくないであろう他者を知ろうとしてもらいたい(ブーメラン)。なんというか、著者の経歴は知らないが、一度超絶ブラックな労働環境で一年間くらい搾取されてきてほしい(提案)。
「日本は、健全な自己批判機能を維持するために、内的に異質な他者を共存させつつ、外的な他者との関係性を通じて、謙虚に、柔軟に自らを省みなければなるまい。」(p258)
う~ん、著者が猛省を促す、この「日本」とは一体なんだろうか。どこにまでその対象を含めるのだろうか。もちろん自分のことも含めているのかもしれない(←そうでなければ、ものすごい傲慢)。著者が言う、偏狭で「ナルシスティックな自画自賛」を垂れ流すメディアに対してだろうが(そんなメディアがあるのか、あったとしてなぜそれを一方的に断罪できるのか)、これはものすごい「ステレオタイプ」な見方だな(ここらへんが平和な考え方)。新聞の読者投稿欄ではあるまいし、(影響力のある)ベストセラー作家が、一般的なことを書こうとすると、こんな凡庸なことしか書けないとは・・・ほんま、かなしくなってくる。

(成城比丘太郎)




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