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最近読んだ本【2019年3月】~読書メモ(32)

投稿日:2019年4月3日 更新日:

  • 読書メモ(032)
  • 3月に読んだ本
  • 文学、評伝、詩、評論など
  • おススメ度:それぞれ

【はじめに】

今月は本格的な花粉症のため、あまり読書にいそしめなかった。ここに感想を書く本は、一部を除いて、図書館で借りてきたもの。来月(4月)はもっと症状がひどくなるので、どれだけ読めるか。

【読んだ本の感想】

・福永武彦『忘却の河』(新潮文庫)
[去年は、福永武彦(1918-1979)の生誕100周年であり、今年は没後40年です。もう40年経ったのかというかんじ。もちろんその時のことは知らないです。最近は色々と復刊されてるし、電子書籍でも全集が出版されているようです。はたして、どれくらい新規の読者が生まれたのか知らないけど、広く読まれたらいいなとひそかに願っています。
本書『忘却の河』は昭和39年発表の長編小説です。福永の長編小説では一、二を争うくらい好きですが、読むのは久しぶり。今回再読して、読みだしてからすぐに、ああこれは福永武彦の文章だと感慨にふけるくらいの福永感。これはもう読まなければ分からない。おそらく、人によっては受け付けない部分もあるだろうけれど、内省的でいて、ある意味陰にこもったような甘さがある文章が好きな人にはたまらないでしょう。
本書の内容ですが、簡単に言うと、戦後のとある家族をめぐる愛と死の物語です。父(語り手の男)は戦地から帰還して社長になった人物。彼には愛した人をなかば裏切って自死させた過去があり、そのことが彼におよぼした陰影は、作中現在の家族へ何らかの影響を及ぼしていると読めます。一方の、男の妻にしても、ある不倫のような経験があり、その後作中の時間では病の床についています。このふたりには、幼くして亡くなった長男がいました。母の世話をする長女と、少し現代的な感覚をもつ次女がいます。基本的には、この家族とこの家族にまつわる人たちの話が作中で繰り広げられるわけです。
この小説は再読して、やや古いなという印象を持ちました。それは、時代的なものではなくて、作品の構成によるものです。おそらく今では、もっと複雑な構造を持つ長編はあるので、どうしても古く感じてしまう。とはいえ、だめなわけではないです。
章立てとしての内容は、それぞれの章で、登場人物たちの視点となり、それらの人物たちが過去を振り返りつつ己の独白的心境を述べるのみとなります。皆が、「宙ぶらりんのまま」で、惰性に生きているような感じで、家族同士(特に父に対するその他の家族)が何らかの不信を抱いている様子が描かれます。それぞれがスノードームに閉じこもったまま己の心象に淫するというか、あるいはモナド的な世界にふけりつつお互いの気持ちをやり取りしているのです。まあ要は、一緒に住んでいるのに、まったくお互いの気持ちを素直にやり取りできていないように読めるのです。とはいえ、そのせいで、最後に訪れるちょっとした和解が、感動を呼びはするのですが。
ここで不思議なのが、母(妻)の立ち位置です。彼女は、物語のはじめから原因不明の病気にかかっていることが示されます。家に寝たきりのままで、なぜか彼女は病院にいくことを拒否しているのです。ふつうならば、男は社長であるので、病院で検査入院なり何なりをするのが当たり前なのでしょうが、ここでは全くといっていいほど彼女の病気に関しては原因究明がなされません。ここだけが作品中で欠点といえるでしょう。なぜかというと、こうすることで家庭だけを舞台にできますし、長女だけが母の世話をするという役割を負うことが焦点化されるわけで、さらにいうと、身動きの取れない母はそれだけのために存在させられているともとれるからです。この母を中心にして、現在の父に対する一家の何らかの不満を描いている部分もあり、そうするために母はこうした設定に追いやられたととれなくもありません。やがて死ぬだけを待つ母は、実際に病床にあった作者の分身なのかもしれませんが、なんとなくここだけがおかしいかなと再読して、そう思いました。
さて、今の若者がこれを読んでどう思うか知りたいところです、と書いていて、私がこれを読んだのも若かった時と気付いた。その時に、他人に福永武彦読んでいるといったら、「暗いな」と言われた。これは、作品が暗いという意味だったと思うけれど、そんなに暗くはありません。でも、ちょっと「愛愛愛愛」言いまくりなのですが。本来なら、「愛」を言いまくる作品は敬遠しがちなんですが、福永作品における「愛」は、単なる「愛」ではなくて、哀(悲哀や哀切)に通じるものでもあるのが、私にはいいのです。福永の他作品である『海市』という小説は、日本に数ある恋愛小説では一番といっていいくらい好きですし〕

・佐藤康宏『若冲伝』(河出書房新社)
[若冲の生涯を、作品制作時の状況などから見ていく内容。若冲の画集を横に置いて読むとちょうどよいかもしれない。作品群に、若冲の置かれた状況や、彼の精神状態や、理想の現れなどとして見ていく。初期の「模写と写生」の時代では、中国画の模写をしつつ独自の画風に昇華している。単なる模写ではなく臨場感が生まれている。

「自然の形象がどれほど図案化されても、どこかに写実的な傾向をとどめているのが若冲の絵画であり、水墨画においても彼の作品と亜流のそれとを区別する指標でもある」(P156-157)

若冲の水墨画のよさについては、「淡墨のにじみを使って動植物の質感を表現することと、濃墨の面と白い紙とのコントラストによって眼に心地よいデザインを作ること。そのふたつを同時に実現しているのが若冲のすぐれた水墨画である」(P165)のとおり。また、「若冲は、きちょうめんな描写と幾何学的な形態の好みを一貫して持っていた画家」でもあった。
その他、若冲の版画や晩年の作品のことなど、色々分かったのでよかった。若冲には大典という詩人の禅僧がアドバイザーとしてついていたのだが、彼が作品制作に大きく関わっていたみたいだ。
さいごに。若冲の絵画を美術館で実際に見たのは一度だけ。今でもあまり積極的に観ようとは思わないが、これ読んでメインの作品をじっくり見たくなった。それと、若冲の作品は天明の大火で作品が焼けたそうで、また、戦前には確認されている作品には所在不明のものがあるらしい。おそらく戦災で焼けたのかもな。
それにしても、最近は若冲とあの時代の画家関連の本がよく出てる。図書館にも色々納入されてたし。若冲に関しては来年が没後220年なので、各地でも展覧会してほしい〕

・後藤明生『笑いの方法あるいはニコライ・ゴーゴリ(増補新装版)』(つかだま書房)
[本書は、後藤明生のゴーゴリ論と、自身が訳した(共訳含む)ゴーゴリの作品とを収める。ほとんどの内容をはじめて読んだ。「笑いの方法」だけなら電子書籍でも読めるよう。ゴーゴリのことは詳しくないが、これを読むと、後藤明生にとって書くとは読むことなんだなということがよく分かる。「ゴーゴリの笑い」というものをグロテスクな謎として読み解いていく。その「笑い」とは「諷刺」の笑いではなくて、「関係」と文体からくるものだというところは、後藤明生自身の作品にもいかされていのだろう。ちょうど『挟み撃ち』執筆時に書いたものもあるので、また『挟み撃ち』を読み返してみよう。実際にゴーゴリのものを読むと、人物の会話における関係(文体)や、現実(リアリズム)そのものが幻想であるというのは分かる。分からないのは、後藤が書く「ゴーゴリの怪奇性」というところ。ペテルブルグの怪奇性ということでよいのだろうか。たしかに地方民からすると都会(首都)の迷路のような場所は奇怪な「怪奇性」があるのだろうか?ということか。もしくは幻想性。
本書に収められている後藤明生訳のゴーゴリは、初めて読むと思うが、おもろいのが再確認できた。とくに『鼻』。これこそ、現代的な幻想文学ですね。最近読みはじめているローズマリー・ジャクスン『幻想文学』でいうと、大都市からの「疎外の感覚」を描いたといえるでしょうか。ゴーゴリだけでも、どの翻訳でもいいので広く読まれてほしい]


・『吉野弘詩集』(小池昌代[編]、岩波文庫)
[最新の『三省堂現代新国語辞典-第六版』にも項目として載っている吉野弘の詩集。ところで、先日の新聞書評にこの辞典について書かれていたけど、確かに文学関係の項目は恵まれている。とくに詩人・歌人関係の項目は多い。びっくりしたのが、大岡信の評論「紀貫之」はおろか、詩人清岡卓行の名エッセイ「手の変幻」までもが項目として載っていたこと。これを見た時思わず噴き出した。高校教科書に載っているからだろうか。まあ、これだけでこの辞典を購入した元は取れたといえる。それから、この辞典には他にも現代語として、「フラグ」や「積ん読」や「真逆(まぎゃく)」や「独壇場(本来は、独擅場)」が載っている。しかしまだ、ツンデレや黒歴史や中二病(厨二病)や異世界といった項目はなかった。次の版で載るかどうか。
さて、吉野弘の詩集について。久しぶりに吉野弘を読む。なぜかこの詩人は苦手だった。それは「夕焼け」という詩だけが苦手だったからだ。でも今読むとそう悪くはない。若い頃はこういう説教臭く見える詩がだめだったのだろう。すくなくともACジャパンのCMよりましだが、「受難者」という言葉には引っかかる。この「夕焼け」は次の二篇の詩に通じるものがあるように思う。

「他人の時間を小作する者が/おのれに帰ろうとする/時刻だ。//他人の時間を耕すものが/おのれの時間の耕し方について/考えようとする/時刻だ。//荒れ果てたおのれを/思い出す/時刻だ。//臍を噛む/時刻だ。//他人の時間を耕す者が/おのれの時間を耕さねばならぬと/心に思う/時刻だ。//そうして/納屋の隅の/光の失せた鍬を/思い出す/時刻だ。」(「たそがれ」)

「あまりに明るく/すべてが見えすぎる昼。/かえって/みずからを無みする者が/空にはある。//有能であるよりほかに/ありようのない/サラリーマンの一人は/職場で/心を/無用な心を/昼の星のようにかくして/一日を耐える。」(「星」)

吉野弘の詩は一読して簡単そうだけど、よく読む必要があるように思う。書かれているものをすなおな眼でその対象に寄り添うように読むといいと思う。現代詩になれていない人には入門としていいと思う。〕

・松永伸太朗『アニメーターの社会学』(三重大学出版会)
〔副題は、「職業規範と労働問題」というもの。著者の修士論文を元に書かれたものなので、ちょっと学術書寄りかもしれない。でも読みにくくはない。内容としては、「アニメーターの労働を成り立たせている論理」を、アニメーター自身に「共有されている規範」に着目して、その内実を、アニメーターへのインタビューの「[著者自身を含む]語られ方」を通して探っていくというもの。アニメーターによるアニメ制作工程と、アニメ製作の流れが、大まかに分かる本。インタビューの期間は、2013年から2014年までなので、すこし古いものになっているけど、今でもそんなに状況は変わってないかもしれない。
まず、本書で定義される労働者としてのアニメーターとは次のようなもの。
「アニメーターとは、制作会社で商業的に放映・販売される映像作品を作る目的のもとにあり、原則として手書きで鉛筆を使って紙の上で、工程間分業に基づいて、静止画を描いたり、描かれた静止画を修正したり、どのような静止画を描けばよいかに関する指示を与える労働者である」
本書で述べられるアニメーターとは、狭義でいう、原画担当者や動画担当者とそれらに付随する作業工程に従事する者とされる。要は、紙に手書きで絵を描いてそれを修正する作業者のことですね。
アニメーターの業務内容や勤務形態や平均的な収入を、実際のアニメーターとのインタビューを通してその「語られ方」に注目して見ていくのだが、その過程で、世間でよく言われるアニメーターの厳しい労働条件を、なぜアニメーター自身が受け入れているのかということが浮き彫りにされる。
まず、アニメーター自身が口にする、職業的な規範があるという。それは、「職人」としての規範と、「クリエーター」としての規範。上からの指示通りに作業を進めるという意味でアニメーターは「職人」なのだが、一方で、ある程度の裁量性が求められる場合には「クリエーター」としてのクリエイティビティ(創造性・独創性)を発揮できる余地はある。これらにはどちらにせよ、高い技術が必要で、どちらも排斥しあうものではけっしてない。調査サンプルが少ないのでなんともいえないが、高い技術があれば、ある程度のフレキシブルな労働環境のおかげで、アニメーター本人の仕事には、それに比例してある程度の「やりがい」が生まれることになる。この「やりがい」という著者の概念規定は分かるようで分かりにくいが、要は、絵を描くだけである程度の収入が得られ、その技術を高める環境にあればあるほどキャリア的にも上を望めるわけで、その意味では著者の言う「やりがい」を伴う職業というわけだろう。
もちろん「職人」に甘んじることなく、「クリエーター」としての役割をアニメ制作現場において求めるアニメーターもいるだろうが、それも人次第かもしれない。問題は、たとえば加齢とともにおとずれる技術力の低下なのかもしれないが、そこについても業界内でサポートする体制をととのえるべきなのだろう。
さて、アニメーターとして「キャリア継続を優先する規範」が、「低労働条件」を許容するとしても、それを解決するには業界自体の構造を変えなければならないのかもしれないけれど、それは本書の範囲を越えているので、私が書くことはとりあえず、ない。
一般的に、アニメーターの不満としては、「一般的な賃金体系である完全出来高制」と「初期キャリアにおける賃金の低さ」であるという。前者は、原画担当者がどの場面の絵を描こうが金額が一律という作業量の多寡が賃金に反映されていないことで、後者は、動画としてはじまるキャリア初期における賃金の低さということ。これらの問題、とくに後者については、できれば何らかの機関で初期の育成を目指すべきなのだろう。
さて、先にも書いたけど、本書でおこなわれたインタビューの対象者は少ないので、どれくらいの実態を現わしているのかはなんともいえない。これをもって、アニメーターの平均化された実情をあらわしているわけでは必ずしもないだろうし。それに、一部にあると思われる優良な労働環境にある制作スタジオのことには具体的には触れられていない。とはいえ、ある程度のアニメーターの置かれた現状と、その労働環境の受容は分かる。対象者にはキャリア豊富な人もいるが、大体が厳しいと思われる条件にあると思われる。著者も書くように、アニメーターとは原画と動画とそのほか一部の業務を示すだけで、それ以外にもアニメ制作に関わる人は多くいる。おそらくその多くはそれほど恵まれた状況にはないだろう。そのなかで現在のアニメ産業は、多額の資本が集中しやすい傾向にあるアニメーション映画や、ゲーム(やパチスロ等)の宣伝用(もしくは税金対策)アニメや、一部の(制作費的に優遇される)アニメでは、参加アニメーターはそれなりの収入が得られるだろうが、それは高い技術力をもった一握りのアニメーターのみと思われる。ほとんどのフリーランスのアニメーターは、そのような仕事に関わることができないと思われる。ではその人たちをどのようにサポートするべきなのか。「クール・ジャパン」が、どの程度重要なものとして考えられているのか分からないけど、制作現場の実情を読む限り、本当に制作現場としてはピンキリだなぁというかんじ。これはテレビアニメを観ているとよく分かる。動画作業は今でもほとんどを海外に発注してるし、今みたいに制作数が週に数十本にも及ぶと、(テレビ放送においては)質が下がるのは必至だろう。制作費が潤沢にあるアニメとそうではないものとの差が、放送クールの最終話近くになると顕著になる。ほとんどが低予算で、ある程度の宣伝だけを見込んだコンテンツであふれている印象。これを改善する手立てはなさそうなので、これからも自転車操業が続くところは増えるだろうし。これから先は、海外資本(とくに中国)がさらにアニメ制作現場にどんどん流れ込んでくるかもしれないので、そうなると、クールじゃないジャパンになるかもしれない。
というか、海外に作業を発注せざるを得ない時点で、これからも日本での作業量と人件費との差は開くばかりと思われる(今のままの手描きアニメのままだと)。本書で、印象的だったインタビューに、「月15万もらえたら生活していける」という趣旨の発言があるが、これは色んな意味を含んでいる。まずそれだけしかフリーランスのアニメーターには支払われていない(もしくはそれにも達していない人がいる)ということ。そして、東京で生活するにはそれだけでやっていけるということ(都会は、ある程度物価が安くて生活費もかからないということ、すなわち人件費が上がらないこと)を示してもいる。こういった状況は、なにもアニメーターに限らないと思う。しかし、アニメーターとは、下手の横好きで絵を描くこともある私からすると、誰にでも従事できる職種ではない。ある意味非常に特殊な技能が必要な職種だともいえる(ピンキリだが)。なぜかというと、本書で述べられるように、ある程度の厳しい労働環境(と特殊な作業工程)を甘受できる何らかの「規範」を持つものにしか、アニメーターは勤まらない部分もあるだろうからだ。そうした中では、この先アニメ産業の経済的なパイが大きくなっても、それが現場の作業担当者へと還流する頃には、従前通りのものになっているだけかもしれない。
というか、これだけテレビアニメを放映しているのに、文化としてのテレビアニメが全く根付いてないのでしょうがないかもしれない。たとえば、(大手の)一般メディアなどで、テレビアニメを定期的に評しているようなところがあるかというと、おそらくないだろう。こうした点では、アニメーション映画やマンガといったレベルでは、テレビアニメは全く同一には語られていない。まあ、私の偏見かもしれないけど、テレビアニメは製作サイドからすらも軽んじられていることがあるので、その最底辺で制作を支えているアニメーターに、一般的な配慮が払われているとは思えない。そうすると、低予算で制作しなければならない元請けや下請けが、アニメーターを正規的に雇えるわけもないということになってしまう。
というわけで最後は、本書に書かれていないことにまで言及してしまったが、ちょっと逸脱してきたのでこの辺でやめます。ちなみに、ここで書いている「制作」とは実際にアニメーションをつくっているスタジオやアニメーターを含むもので、「製作」とはアニメーション等のコンテンツの企画立ち上げをしたり出資金を募ったりしてその作品に最終的な責任を負うところのもの全般のことです〕

(成城比丘太郎)





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