- 読書メモ(15)
- テクノロジーから歴史書関係の対談本まで
- 暇つぶし用に読んだもの
- おススメ度:★★★☆☆
【はじめに】
八月下旬から九月上旬にかけては、いつもなんやかんやとあって、ややこしい本やホラーといったものを読むことができないので、基本的には何も読まないか、読むとしても暇つぶし用のものを適当に消費するのみ。なので、今回取り上げるものも、暇つぶし用に図書館で借りてきたものばかり。本来なら、この記事を書かないでお休みするつもりだったが、まあ備忘録として記します。しかし、備忘録をネットにわざわざあげるという言い訳をするのはどうなのだろうかと自嘲気味につぶやいてみる。
※編者注・と、著者は韜晦しているが、ルパンの話とか最後の批判は面白いと思います(きうら)
【テクノロジーとルパン三世】
まず読んだのは、『100年後の世界(Ama)』(鈴木貴之・著、化学同人)です。これの副題は「SF映画から考えるテクノロジーと社会の未来」ということで、映画がメインかなと思ったところ、映画はモノを考える上でのスパイス程度のものでした。生殖医療技術、遺伝子テクノロジー、バイオテクノロジー、サイボーグ技術、不老長寿テクノロジー、人工知能、ロボット・テクノロジー、ビッグデータに関することなどなど、様々なテクノロジーが取り上げられています。100年後の未来ではなく、現在の社会でもその技術の先鞭はつけられており、これらの是非について簡単に述べられています。肯定派、否定派の意見などを取り上げ、倫理的な問題としてこれらをどう考えるかに焦点があてられます。著者は、これを大学の授業を基にして書いたので、基本的な教科書といった感じの本でした。なので、映画の内容が詳しく述べられることは、ほとんどない。
この本に関連しておもしろいのが、現在放送中のアニメ『ルパン三世part5(Ama/第5集)』(21話)とのそれでしょう。今回の『ルパン三世』には、数多くのデジタルガジェットが登場します。その中で、IT企業創設者が開発したとあるシステムが、近未来の世界像を描いているようでなかなか興味深い。そのシステムとは、「ヒトログ」と呼ばれるもので、「AIの解析で膨大なデータからあらゆる人間に関する情報を割り出す革命的SNS」(「ルパン三世part5」ウィキペディア)です。ビッグデータと人工知能を活用して、携帯電話(スマホ)に写した人物のパーソナルデータや、その人物の行動予測などを割り出すという、ある意味おそろしい技術なのです。これは、「AR(拡張現実)」に通じるものがあるでしょうか。
この技術によりルパンたちの変装もばれ、居場所も特定され、世界中の人々によりルパンの様子が実況され、さらなるルパンの情報がネット上に上積みされることになるのです。このシリーズでおもしろいのは、一応最新のテクノロジーを用いていると思われるルパンが、ネットのテクノロジーには対処できずに、結構アナログな面を残しているところでしょうか。そのルパンたちを援けるために(時々)登場するのが「アミ」という天才ハッカー少女です。このアミは、ルパンに好意を抱いており、その分峰不二子の影が薄くなっているような気もしないでもない。
アミの姿には、どうしても『カリオストロの城(Ama)』のクラリスのそれが被ります。アミは、『カリオストロ』では付いていけずに見送るだけだったクラリスが、もしルパンに付いていっていたとしたらどうなっていたかという、その後の姿として描き出したものと思えなくもありません。ルパン一味とアミによって、おそらくはこの不利な状況は打開できるとは思うのですが、現実にこのような(あるいみ不可逆的な)システムが実装されたらどうなるのでしょうか。
【その他の本について】
次に読んだのが、『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦(Ama)』(高野秀行×清水克行、集英社インターナショナル)です。ノンフィクション作家である高野と、日本中世史専攻の清水のふたりが、いろんな本を取り上げてあれやこれやと語りあう書物。どうやらこの二人の対談本には前編にあたるものがあるようですが(未読)、とくにそれを読んでいなければならないということはなさそう。ここで、対談用に取り上げられた本はいずれも興味深いばかり。『ゾミア』、『大旅行記』『将門記』、ある少数民族のことを記した『ピダハン』などのほかに、世界史から見る日本の戦国や、日本語の本などについて語っていく。この中で一番の大物は、やはりイブン・バットゥータ『大旅行記(Ama/1巻)
』全八巻でしょう。もちろん私はこれを読んだことはないですが、これを読んだふたりの語り口からして相当のスケールだと分かります。この中でも語っていましたが、いかに日本史がちまちましているか思い知らされます。いつか私も死ぬまでに『大旅行記』を読んでみたい。高野は「辺境」に興味があり、清水は中世史専攻なので、どうしても話はそちら方面に脱線(?)します。時に単純化した比較や、その例えは適切なのかなぁ、といった面も感じますが、まあ、さらさらと読みとばすにはちょうど良い本だった。
最後に、『21世紀の楕円幻想論(Ama)』(平川克美・著、ミシマ社)。これの内容についてはとくに書くことがない。全財産を失ったという著者による語り下ろしのようですが、この本自体が財産になってはいないのだろうか。財産を失い、肺がんで右肺の三分の一失ったとされる著者だが、こうして本を上梓できるだけのものは残っていた、のか?内容としては、「貨幣」が「非同期的交換を可能にした」ということや、「貨幣交換」や等価交換や贈与交換についてなどあれこれ述べられているが、とくにこれといって書くこともない。全体で250ページある本なのだが、内容的には半分以下に縮小できるでしょう。かなり水増しされた本といった感じ。同じことを何度も言っている。
それより、気になったことを書いておきたい。本書では、政治家に対する批判も書かれているのだが、唯一実名で(元)政治家を非難した相手がいて、それは橋下徹。しかも、たいしたことのない発言をあげつらって。著者は内田樹の友人ということで、おそらく内田樹から何らかの悪影響を受けたと思われる。橋下徹が大阪市長になってから急激に口汚く橋下を罵るようになった内田。彼の意図が奈辺になるのかは知りませんが(すっとぼけ)、この橋下嫌いは今でもかなりの影響を及ぼしているよう。まあそれはいいのだが、著者は本書で、「どうして、自分と出自や価値観の異なる人々と共生しようと工夫しないのでしょううね」と書いているのになぁ。もしかして、その範囲に入らない例外があるといいたいのだろうか、あるいは、自らのことは棚に上げて、批判対象者に関して語っているだけなのだろうか。
(成城比丘太郎)