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無人島本(1)~古井由吉『楽天の日々』(キノブックス)

投稿日:2021年2月4日 更新日:

  • 無人島本について(1)
  • 古井由吉の落穂拾い
  • もうすぐ没後1年
  • オススメ度:特になし

作家の古井由吉が亡くなってからもうすぐ1年になる。この1年は新型コロナウイルス騒動にあけくれ、今年もまだ続きそうな世相に、思わず天を仰ぐと空は薄い水色から暗い紫色に転じはじめ、誰そ彼時のさらにすすんだ気配を思わせた。繁華街にはそれでも人の流れはあるようで、それでも裏の路地にひとつ逸れると、くらい通りには人の姿は全く見えなくて、似たような建物の並ぶのと直列する電信柱とが、まるで異世界か無人街か何かに迷いこんだことを思わせた。

てなわけで、これから数回にかけて無人島本すなわち無人島に持っていきたい本について書いてみようと思いますけど、まず現代日本文学についていうと、もうこれは古井由吉一択でいいのではないかと思われ、まだ読んでいなかった『楽天の日々』(2017)を開いてのち、先ほど読み終えた。没後1年を迎えるこの時期に集中的に古井由吉の本が出版されようとしていて、これは落穂拾いになるかと思われた。古井の小説はほとんど読んだけれども、エッセイに関しては未だに読んでないものもあり、とはいえ古井のエッセイはどれも同じような内容であるけれど、いくら同じものを読んでも不思議とそれらは、いつも違う面相でこちらを覗きこんでくるので、読んでるこちらもまた物凄い顔つきになる。

無人島に持っていく古井由吉作品をひとつだけ選ぶことはかなり難しいことではあるけれど、いずれにせよ電子書籍を選ぶことはない。そもそも無人島に電子書籍を持っていっても仕方無いではないかと、書いていて自ら笑ってしまった。なるほど、電子書籍は便利であるけれど無人島に持っていくにはまだまだであると、つぶやいてみた。紙の本であれば無人島でも何かと役に立つではないか、それに、無人島ならば手持ちぶさたであるときに、ふと開いた本の素敵な一節が、まるで一期一会の最高な贈り物のように思えることもある。それが電子書籍にはあるだろうか。

『楽天の日々』とはもちろん、世の人が知る「楽天」とは何の関わりもないものだが、無人島において日々の楽天を思うとは、自らの楽しみがすべての人に通じることを願う心か。無人の地においてひとりぼっちでも自分の楽しみを忘れることなくあるべきか。そこでの楽天とは、もちろん楽観とは違うだろう。楽観にはまだ人の意識という恣意が紛れ込むように思う。お気楽極楽と、でたとこ任せでなんとかなるなるどうにかなるなるの、ケセラセラの精神でケラケラゲラゲラしていれば、そちらを見るこちらもおのずと楽しみに口元がほころぶものか。するとおそらくそこではもう、唐突な笑いというものがないのかもしれない。すべての笑いは既に見知ったものになるか。

無人島で暮らすという想像の埒外においては、いずれ全ての起こることが既知へと溶け込んで、唐突さを思うことはなくなるかもしれない。古井由吉自身は先の戦争の空襲の記憶や、その後のいくつかの震災や津波被害を思ってエッセイを綴ってきたのであろうが、そこでは唐突さを通り越した我が国の災厄の記録が目を剥いてこちらを睨んでいる。そこにはもう既知も未知もないはずだろう。

唐突さは、未知が既知へと転ずるその過程においてある実相を実装させるわけだけども、私自身は過去において、未知に遭うことでかえって既知のことが未知になったことがある。それは火災現場に出あったときであった。あまりの唐突さに茫然としてしまい、そうすると最初に感じたはずの胸のドキドキもなぜかしずまり、すぐに消防署に通報することが頭に浮かんだまではいいものの、どうしても番号がしばらく浮かばなかった。しばらくの間、消防車を呼ぶのは117かそれとも177であったかと見当違いの番号ばかりを口に繰り返したものだった。数十秒後に正式な番号をようやくダイヤルしたあとに、その番号が既知であったはずなのにまるで未知のものであったことを思わせた。ようやく消防車のサイレンを遠くに感じはじめて人心地ついたときに、さきほどのあの「177」とはどこにつながるかと怪しんで、後に他人にきいたところ、「177」とは天気予報であると知らされ、 晴れた空を見ながらひそやかにほんのりと笑った。まだ私が中学生の時であった。

今年明けてからの天候は、日本海側においては大雪に見舞われた所もあり、かと思うと1月末には全国的に暖かくなりもし、晴れの日もいくつかあった。古井由吉は金沢の大学に赴任途中の昭和38年に、記録的な大雪被害に逢い、その時の最大積雪は180㎝に届くものであったという。その時のことは古井自身も小説やエッセイに書きもしたが、そこに書かれた光景はまさに現在の巣ごもりを思わせる。その現行の巣ごもりは3月まで続くそうであるが、私などはとくに巣ごもることなどないと思いつつ、ようやく今月中に初詣へとどこかの神社に足を向けているでしょう。

『人生の色気』という著書にも書かれているように、古井由吉の書くものにはエロスがにじむことがある。現代日本文学において古井由吉ほど文章から「色気」を感じる作家はいない。特に壮年期の作品もそうであるけど、老いてから病に襲われながらも人生を楽しむという意味での色気を感じる。古井由吉の朗読は直に聴いたことはないけれども、画面越しに見るその語りには、訥々としたものでありつつ、人生を重ねてきたものの持つ穏やかで素敵な色気があった。画面越しでも色気を感じるというのはなかなかのものでございます。

そんな古井由吉は、趣味というものをあまり持たなかったそうだけども、おそらく競馬は趣味といえるほど好きであったであろう。そんな古井由吉が『ウマ娘』を観たことがあるかどうかは分からないけど、おそらく観たことはないであろう。もし古井由吉に会う機会があったとしてもおそらく私はそんなことを尋ねないであったろう。そんな競馬も緊急事態宣言で無観客になり、去年のような光景になってしまったけれども、サラブレッドたちは寒風や春一番だけを観客にして元気にターフを駆け抜けるであろう。そんなときの私は、寒さや乾燥で手やくるぶしや肘などの肌が乾燥しがちで痒くなっては就寝中にひっかいてしまうので、そこへ馬油を塗ることになる。競馬好きな者が馬の油を使うことには、これといって後ろめたさはないのかと問われてもそんなものはない。そもそも馬刺しすら平然と食べてしまう。馬油は人に教えてもらって使いだしたけれども、まあまあ重宝しております。乾燥の緊急事態宣言は、それにしてもいつものことですが。

では、この度の緊急事態とは、いったい何の緊急なのかと人に問われ、やはり医療体制のことかと答えたものの、そこを重点的にケアするべきであるのにそうしていないように見える、と返されて、では緊急事態に緊急的な対応をとろうとしてこなかった中央がこれはよほど緊急的な処置の対象ではと答えると、相手はそれはそうかもしれないがそのことはお前たち国民やマスメディアもそうではないかと詰問され、こちらが返答に困っていると、そう問うた人の姿はいつの間にか消え去っていた。あれは私の後ろめたさが見せたもうひとりの私だったのかもしれない。

古井由吉作品は、この度の災いを災いとして捉える限りにおいて、やはり読むべきものだろうと思われた。では、無人島に持っていくにはどの本がよいかということですが、もうこの際全ての作品を持っていけばよいではないかと、ひとまず結論づけておきます。どの本の、どのページを開いても似たようなことが書かれているならば、これはもう全てがひとつの本ではないだろうか。古井由吉という人物の一生が綴られた本。それは何十もの作品で完結をみたわけか。

というわけで、無人島に持っていくべき現代日本文学は古井由吉だけでよいということが、長々と書いてきてここに導きたされました。

余談です。もし、未来から来た某猫型ロボットに、ひとつだけ秘密道具をもらえるとしたら、おそらく「おざしきつりぼり」を所望することでしょう。海に囲まれた無人島で、その海を眺めながら島の片隅で、こせこせと釣糸を垂らすというのも、これはこれで乙なものではないでしょうか。まさに自演乙。

(成城比丘太郎)


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