- 「老人問題」をテーマにしたアニメーション
- 1991年公開映画なので少し古いけど、おもしろい
- この映画に続く現代版を誰かに制作してもらいたい
- おススメ度:★★★★☆
【「はじめに」の前に】
本記事を書いた翌日(7/18)に、京都アニメーションの第1スタジオで大変ショッキングな放火事件が起こりました。現在(7/23)、どなたが犠牲になられたのかはまだわかりませんが、亡くなられた方々(やその関係者の方)にはお悔やみの言葉を、ケガをされた方々にはお見舞いを申し上げます。とは言うものの、個人的には、お悔やみの言葉がむなしく響いてしまうほどの、深い喪失感しかない。
報道では、犯行の動機(の解明)やその事件前後の行動についていろいろ語られていますが、今のところ個人的にはその容疑者とされる人物には何の感情も湧かない。ただただ犠牲になったことへの深い悲しみしかありません。私自身はそれほど京アニの大ファンというわけでもありませんが、失われたもののあまりの大きさや、これからの京アニのことを思うと、暗澹たる気持ちしかない。とはいえ、沈んでいてもしょうがないので、これから私にできる範囲内で支援していこうかなと思っています。それよりも、なにより残念なのは、こういう形で京アニの名前が有名になったことでしょう。もっと良い形で有名になってほしかった。
さて、京アニ作品のよいところは、作品とクリエーターとの距離が近いところでしょう。つまり作品のひとコマひとコマから、時として個性的な作り手の息遣いが感じられるところがあって、それがひとつの魅力でした。だからこれから過去の作品を見るときには、ちょっとつらいものがあるかもしれない。これから本格的な夏を迎えるということで、久々に『AIR』を見返そうかなと思いますが、もしかしたらつらくて見られなくなるかもしれない。
では、ひとまず、京アニの話はこれで。
【はじめに】
最近、『未来の地図帳(Ama)』という例のシリーズ(になっていると思われる)最新刊を読んだ。そこでは、人口減少や少子高齢化に関することが書かれてあるのだけども、それを読み終わったときにこの映画のことをふと思い出した。ところでどうでもいいことだけど(本当にどうでもいいことですが)、「地図帳」のことを「ちずちょう」と打つべきところを、「ちづちょう」と打ってしまい「智頭町」と変換されたので、鳥取県の人口減少のことを連想してしまった。
さて冗談はさておき、その本の後に読んだ、清水義範の「自選恐怖小説集」の『黄昏の悪夢(Ama)』では、認知症におかされていく老人視点から描かれたホラー短篇が収録されていて、それを読んだ時にも、この『老人Z』のことを思い出した。
そういうわけで、久しぶりに(20年以上ぶりに)この映画を観ました。
【映画のあらすじについて】
『老人Z』の内容は、さほどややこしいものではありません。ボランティアで独居老人の世話をする看護学生晴子が、その老人をめぐるアレコレに巻き込まれるという筋の話。彼女が世話する「高沢老人」がある時、厚生省主導の老人介護プロジェクトの被験者に選ばれて、「全自動看護ベッドZ-001号機」という名の装置につながされるために病院施設へ連れ去られてしまう。晴子は、連れていかれた高沢老人のSOSを、(おそらく)ネットを介して受け取り、彼女はなんとか高沢老人を助け出そうとするのですが……
【内容に関するアレコレ】
私がこの映画を最後に観たのはもう20以上前。その時には、「老人問題」が介護の問題を通してくらいしか世間的に話題になっていなかったことや、当時90代の曾祖母くらいしか身近な高齢者がいなかったので、さほど深刻には感じていなかった。現在では、「老人問題」というのは、この映画でいう「在宅独居老人」の介護問題だけではないことが多少実感的に分かるので、昔楽しんだような無邪気な映画鑑賞にはならなかった。もちろんここには、高齢化社会をどうするかという視点はないので、ただたんに「介護」をどうするかという問題意識しかない。しかし、現在のアニメーション映画で、このような問題意識を持つような作品があるだろうか(たぶんない)。
この映画では、在宅独居の老人、つまり施設などに入れないボロアパート暮らしの老人をどう介護するかという問題が主題的に取り上げられています。晴子が高沢老人からのSOSを受けて、その救助の手助けを求めたのが、(医療)施設に入っていると思われる元気な老人たち。その老人たちは元気を通り越して、院内にパソコンを持ちこんでハッカー行為をしたりハーレクインを読んだりしているのです。今だったら、この老人たちは元気そうなので、あのような施設には入れないと思うのですが。まあ、これは30年前の現実ということで、現代的なにツッコミを入れるのもなんですが。
それはそれとして、高沢老人がモルモットとして繋がれた「全自動看護ベッド」は、あらゆるチューブで被験者を細胞レベルでつなぐために全身を拘束し(そもそも高沢老人はほぼ寝たきり)、そこには様々な娯楽装置を搭載されてはいるものの、生身の人間が関わる余地がない。この看護ベッドは現在ある介護用ベッドをSF的想像力で近未来の形として描き出したものといえると思います。そのベッドを制御するのは、「自己増殖型機能を備えたバイオチップコンピュータ」という、当時としては夢のようでもあり近未来的でもあったもの、と思われます。そして、何とも驚いたのが、その動力源は「超小型原子炉」。昔はこれを楽しく観てたんだなぁと、なんとも複雑な気分になった。
このベッドには相当の開発費用がつぎ込まれていると思われます。国家事業なのですが、なぜ介護の問題に膨大な開発費が投下されるのかは、映画でもすぐに明かされます。私が書かなくとも分かるとは思いますので、ここではそのわけは書きません。
内容としては、一時間強の視聴時間なので、単純ではありますけども、現在でもそれなりに楽しく観られる部分はあります。
【参加スタッフについて】
原作が大友克洋ということで、AKIRAに似た部分はあります。とくに、看護装置がロボット化して自己増殖していくところなど。それから、キャラクター原案は江口寿史で、その他にも、今敏の名前も見えます。この映画にはタチコマのような(動きをする)戦闘用ロボットも出てきますが、参加スタッフに神山健治がいるので、後の『攻殻機動隊SAC』に何らかの影響を与えてるのかなぁ。他にも参加アニメーターとして、ソウソウたる面子が名を連ねています。当時(30年前)は若手として参加していたんでしょうか。
【まとめというか、要望】
「老人問題」を介護の問題としてしか捉えていない作品ではありますけども、今観てもエンターテインメントとしてもそれなりに楽しめる社会風刺アニメーションです。個人的には、この後に制作されたエヴァをはじめとして、それから後の『lain』や『攻殻機動隊SAC』や今敏作品に通じる部分があると感じはしますが(?)、こういった「老人問題」(や少子高齢化問題)を主題的にアニメ業界があまり積極的に取り上げてこなかったのは、残念だなぁと思う。まあないわけではないのでしょうが(震災後のディストピアを思わせるものはなんだかんだいっても多いし、近年ではサクラクエストとかあるけど)、近未来の人口減少を身近に感じさせる意識を持った作品はあまりないように思う。そういった意味では、新海なにがしや細田なにがしといったアニメーション監督は、いつまでも少年少女がどうしたとか家族がどうしたとかいった作品ばかり制作しないで、高齢化社会や人口減少社会(や移民国家となるかもしれない日本)のことを描いてみてはどうかと思う。しかし、もしそんな企画を持ち込んでもプロデューサーがゆるさないだろうし、資金も集まらないだろうし、観客もそんなの観ないだろう(と判断されるだろう)から、現代版『老人Z』は望めそうもないか。
ちなみに、ここで書いた「老人問題」という用語はこの映画で使われている当時のもので、そういう意味において当記事では使用しています。
(成城比丘太郎)