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詩への小路(古井由吉/講談社文芸文庫)

投稿日:2020年3月20日 更新日:

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『詩への小路』を久しぶりに再読しかけていた2020年2月28日の朝刊で、作家古井由吉の逝去(2/18)を知った。渡り鳥が定期の滞在を終えてのちの湖の見知らぬ光景を浮かべるように、あるいは時雨の屋根を叩く音をその前のくもり空からそれと予見できたかのように、その報せは予感されたことであった。近年の習いとして朝の新聞をめくるときには、まず訃報欄へと目をやることになっている自分にとって、毎日の安堵の落ち着きといえば、そこに古井由吉の名前が載っていないことを確認してからであった。いずれ遠からぬ時に、「立ち去る客」を見送るのではないかという予感は以前からあり、その時にはすでにして「老病死の境」を越えて行こうとする、かりそめの生からの「別離」を振り返ることなく遂げるであろう、作家の「背中」は見えていたわけである。

2月中旬というと、この国では新しい感染症の蔓延の「蠢動」に、老いも若きもどこを見ていいのやらわからないながらも、「息切れの中から訝りながら」もその見えないおそれへの「凝視」を本格的に始めた頃であった。その頃にはもう、作家自身は「生と死との定かならぬ境に在った者」として、「おそろしいほどに遠い道」へとその一歩を踏み出しはじめていたのかもしれない。ウイルスが肉眼では確認できないものとして我々の内側に潜んでいるように、私は、「死期を悟った人間」の、その現れの一端を、作家古井由吉の近年の作品群から受け取っていたわけであり、そこから何かしらの予感がうまれてくることはありそうなことではある。そう思いながら訃報欄の文言を読み、やがて私は、「夜の棟にまたがって魂を呼ばう」なにものかのありえぬ姿を幻視した。

「晩年はあらゆる年齢に偏在するわけだ」と書く古井由吉は、三十歳を過ぎたころより、老いを意識していたという。作家の人生の記憶とは、戦火に焼かれたこの国の、病と生と死と性のものにはじまり、またその後の人生における、近親者の相次ぐ死であったという。「日常と変わらぬ足取りで踏み入って行く」世界との関わりは、それはそうとして、まさに死への歩みでもあり、「日常」が普段のものとして「跳躍の姿勢」を保とうとするときにそこには「着地」へのずれが生じてしまうことにもなる。我々の「日常」そのものにある崩れや綻びの光景は、「澄明な」ものとしてこの作家に親しいものであったということか。そして、そのことを言葉によってだけ記すときに、そこでは経験されていないはずの、この国に起こった集合的な記憶を掘り起こしたのでもあろう。

「現存する日本語圏最大最高の作家」(「解説」『半自叙伝』)と書く佐々木中にならうと、古井作品はしばらくのあいだ、「日本語圏最大最高」の標識として、後続の作家たちへの灯りとならないとは限らない。「古井由吉を最後に、日本近代「小説」はひとたび終わるかもしれない」(佐々木中)けれど、「古井作品」を乗り越えない限り、「日本近代」文学ひいては日本古典からの文学の系譜は引き継がれないかもしれない。乗り越えることが、日本語の文学を継承することにつながる、そういうこともあるかもしれない。作家はもういないけれど、作品は読めるものとして、暮れ残ったままのこされている。それは、『詩への小路』において古井自身がおこなった、ライナー・マリア・リルケの訳業からうかがえる「無分別」な「訳文」においてもまたそうであろう。ここに記された試文もまた何かのよすがとなるであろうか。

だが、再読してみて、本書は『仮往生伝試文』に次いで、初心者にはおすすめするのをためらわれる作品だとささやかれた。誰からささやかれたのか、と問われるなら、それは作家自身の文章からである。「無謀もさることながら、時節はずれの試み、徒労と言うべきかもしれない」とあるように、本書に書かれた著者の訳文についての言い訳は、一見韜晦めいているけれど、けっしてそうではあるまい。「原文を一度死なせることになりはしないか」と「索漠」とした気持ちでこれらを訳した作家は、その翻訳業が苦行であることを示しているのかもしれない。そうした「無分別」に成してしまったという己の躊躇いを、読者に軽々に晒してしまうことになんらかの恥じらいをおぼえることが、翻訳業の要諦であるとささやいているのかもしれない。つまりは、翻訳という行為の底知れなさを思えということなのかもしれない。それが「無謀」ということに示されたのであろう。

このことについて、古井自身は大江健三郎との対談において、以下のような興味深いことを述べている。

「日本の古典を現代語に翻訳するなら、死ぬ気で苦しんで完訳することが大事です。生半可な覚悟だったらやめておいた方がいい」(『文学の淵を渡る』)

最近、プルーストの『失われた時を求めて』の完訳が相次いでなされ(ようとし)ているけれど、おそらく翻訳者たちはそれぞれ長年研究してきたことを積み重ねてきたはずで、その結果をもとに(比喩的な意味において)「死ぬ気」で訳出に取り組んだのだろう。なもんだから、古井自身が己のリルケの試訳を「無分別」というのは、なにも韜晦にはあたらないであろう。翻訳がもし、命から別の命の入れ替えを行うものだとしたら、その行いには相当程度の「覚悟」と慎重さとが求められるだろう、ということを痛感していたに違いない。

数年前に作品集がまとめられたときに、「生前の葬式みたいなものになるか」(『半自叙伝』)と書いた著者の、それから書かれたものはいずれも遺書のようだった。その中身は、自らの背中に背負ってきたものを少しずつおろしていったようなものと、死して後にのこる自らの仕事が与えるであろう後継への気遣いとの、攪拌されたものでできあがったようで、それらを読む方としては、ひとつの言葉からもう一つの言葉への非連続的な小世界の移り変わりを、身にしみるように味わうことができた。そういうものを大事にして、これから、残されたものを再び読んでいこうと思う。

(成城比丘太郎)


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