- これといった話の筋はない。
- 現在から過去へ、時空を自在に往き来する随想。
- 私の感想というより、(応答のような)創作。
- おススメ度:★★★☆☆
(編者追記・内容の概要(Amazonの紹介文の転記))陽炎の立つ中で感じるのも、眠りの内のゆらめきの、余波のようなものか。老齢に至って病いに捕まり、明日がわ からぬその日暮らしとなった。雪折れた花に背を照らされた記憶。時鳥の声に亡き母の夜伽ぎが去来し、空襲の夜の邂逅がよみがえる。つながれてはほどかれ、ほどかれてはつながれ、往還する時間のあわいに浮かぶ生の輝き、ひびき渡る永劫。一生を照らす生涯の今を描く全8篇。古井文学の集大成。
(以下本文)
今年の春は肌寒い気候が続いたせいか、去年よりもソメイヨシノの開花は一週間ほど遅れていた。開花もはじまり、ようやく暖かくなった日に、いよいよ春が来たかと、頭の温むのをおぼえていたら、また急に寒い北風が吹くことがあった。いつもなら四月の中旬頃に満開になる、普段のウォーキング途中に見上げるヤマザクラは、十五日を過ぎてもかすかに膨らんだつぼみのみで、満開の匂いはしなかった。
古井由吉氏の新刊『ゆらぐ玉の緒』を夜毎に少しずつ読みすすめていたら、二十日を過ぎ、二十五日になっていた。その頃には、山躑躅があらかた咲いていて、いつものヤマザクラも満開を少し過ぎていた。公園内の広場を領したその花は、薄曇りの空からぼんやりとした光を集めて、船の帆のように風に揺れていた。散りかかっている花びらは、数十枚ごとに風に乗って、眼前を紗幕のように蔽い、火の粉が点綴されるさまを思った。
今から十年も前の、火事に遭った女性の話が思いだされた。真夜中、何かが騒いで走りまわる音をきいて、それが夢の中のことなのか、天井を走りまわるネズミの音なのか、どちらか判然としないまま目覚めると、鼻の中を鈍い臭いで満たされ、その瞬間に火事であることに思いあたったという。
布団をはねのけ、慌ててドアを開けて廊下に出たという。電灯をつけると、天井裏から白い筋が伸びあがってきて、辺りは薄い靄がかかったようになっていた。
すぐに部屋にとってかえし、カバンに布団の周りに置いてあった宿泊用の荷物を詰め、ふっと息をついて時計を見ると、午前2時を指そうとしていた。階下に降りようと扉に手をかけたところで、自分がまだパジャマ姿なのに思い至り、なぜか微かに笑みが浮かんで、何がおかしいのか少し声を洩らしながら普段着に着替えた。
階下にいた母は起きていたものの、茫然として布団の上に座り込んでいた。声をかけると、母は視線をさまよわせながら自分の顔を見つけ、どげなことが起こったかいね、と訊いた。薄い電灯の明かりの下での顔つきは、墓場に置き忘れられたのを思いだして、戻ってきたものの、途方に暮れている死人を思わせた。
黙ったまま母を立ちあがらせ、タンスから母の服を取り出し、これを着るように言うと、自分は危急の時のために置いてあった貴重品や位牌などをカバンに詰めだした。そこまで目が覚めてから5分も経っていなかったという。
その時、隣の部屋のドアがあき、大きなカバンを両手に持った男性の影があらわれ、こんな時にもう火事場泥棒かと呆れたが、はやく逃げるぞと声をかけられ、丁度法事の準備に泊まりに来ていた親戚の者だと気づいた。安堵というより、忘れたものを思い出して、腑に落ちた感じだったという。
合流した親戚の×××はすでに身支度を終えており、どうやら火元はうちじゃなくて何軒かとなりらしい、俺は家の前の車を避難させてくる、と言い捨てると、すべるように家から出て行った。ようやく荷物をまとめて母をみると、すでに着替えおわり、こちらの指示を待つように視線を宙に浮かせていた。何やら親子の逆転したようだったという。
家の表は旧国道で、バイパスができるまでは、昼夜問わずトラックが行きかっていた。そこを包むように何十軒と長屋が連なっていて、本来なら、山奥の沼のように静まりかえっているところへ、もうすでに逃げだして来た者や、野次馬らしき群がりが湧きだし、騒がしくうごめきながら、煙を上げはじめた建物を見つめていた。
会うものはみな、数日後に控えた盆祭りの匂いをはりつけ、こわばった顔をゆがめて、所在無げにたたずんでいた。こちらもそうであったのか、自分をみつけた隣近所のものは、目を剥いてこちらへ頷くだけで、炎が上がり、広がっていく建物を見つめていた。もうすでに、家には戻れないだろうということを、お互いに悟り、安堵感のためかどうなのか、ようやく息をつき、しずかな笑みを浮かべあった。
それからどうしたのか、不安がる母を、被害の及ばない車中に避難させ、消防車の到着を、火勢が強まるなかで待っていたところまでは、はっきりおぼえていたという。自分がどこにいて、何をしているのかを、鮮明に描けるようになったのは、近所に借りた避難先の家でのことだった。30分以上も経って消火活動が始まったのも、鎮火した後の軒先からしたたるものを、遠くから眺めていたのも、その避難先の家で出された、朝飯代わりのおにぎりを口にしてから、遡るように思いだされた。
それから1週間、昼は焼け落ちた家の後始末のことに追われ、夜になると、仮住まいに戻り、寝るだけの日々を過ごした。夜は目を閉じると、あかく燃える何かにおそわれ、なかなか寝付けず、夏の暑さにうんざりしながら天井を見つめていると、開け放った窓から忍び入ってくる、白くなめらかな影が、天井をゆらゆら漂いだしてきて、それに見入っているうちに、いつのまにか眠っていた。白い影は毎日現れ、たまにぐるぐる回りだして反対側の窓から出て行ったが、しばらくすると戻ってきて、自分の布団の上を覆うように浮かんでいたが、眠気がおそってきた頃には、最初の窓から出て行った。あれは何だったのか、盆を過ぎ、9月に入り、自分の気持ちもようやく落ち着いてくると、現れなくなったという。
私はその話を彼女から聞いたあと、こんなものが写っていてね、と一枚の写真を見せられた。それは、道路から焼けた家を写したもので、道路に面した窓からこちらを覗く、一人の老婆の顔がはりついていた。それって火事の前年に亡くなったわたしの祖母にそっくりなのよ、と私に告げた。私は、そんなこともあるだろうな、と答えて、その写真を返した。
(成城比丘太郎)