- 世界で一番有名なギリシャ悲劇。
- オイディプス王自らが背負った運命とは。
- ラストに向けて階段をあがるように衝撃が迫る。
- おススメ度:★★★★☆
『オイディプス王』は、おそらく世界で最も有名な演劇です。なので、ことさら私が書くようなこともないのですが、光文社から新訳が出たので、印象・感想がてらちょっと紹介を書いてみることにしました。「エディプス・コンプレックス」の元ネタともなった本作は、その内容を知っていたとしても、実際に読んでいくと、なぜか魂に響くものを感じます。それが何なのか分かりませんが、それこそ名作たるゆえんでしょう(お茶濁し)。
[ネタバレまじりのあらすじ]
古代ギリシャの国テーバイの住民を苦しめていたスフィンクス。そいつの出す謎を解き、住民を解放したオイディプスは、先王ライオスの後を継ぎ、新たな王となって、先王の妃イオカステを自らの妃とします。しかし、それから国に災厄が襲うようになります。この危機に際して、デルポイのアポロン神殿から神託を請います。その内容は、国から穢れをはらうこと、つまり先王ライオスを殺した犯人を罰しろとのこと。ここから、オイディプスによる犯人探しの態を取りますが、彼の犯人への呪いじみた宣言は、自らを縛るものとなり、それが悲劇を盛り上げる〔?〕一因になります。やがて、予言者テイレシアスの不気味なことばと、オイディプスの出自をめぐっての急な展開をはさみ、オイディプスは自らが先王ライオスの子であり、実母を妃としていたという真相を知るのです……。
[これまたネタバレまじりの印象と感想]
まず印象としては、結末を知っていても、段階的に明かされる真相とその手法(セリフの掛け合い)が、非常に胸に迫るというものです。オイディプスの自縄自縛ともいえるような犯人への呪いからはじまり、ラストの嘆きまで、逃れられない運命のすごさを感じます。これは、普段は目に見えないはずの運命というものを、何らかの導き手によって可視化したような印象を受けます。まあ、私が何を言おうが、百聞は一見にしかず、ということなので実際に読んでみてください。短いものですし。
訳者「解説」によると、イオカステはいつオイディプスが我が子だと気づいたのかということについて、様々な論争〔?〕があるようです。先王ライオスが我が子に殺されるという神託を受けて、ある標をつけられたオイディプスは捨てられるのですが〔本当は、妃によって殺されるように命じられたのですが、助けられます〕、イオカステはどの時点でオイディプスが我が子であると気付いたのかが問題になっているようです。(作中で)早いものだと、オイディプス王が「母親と交わって、……実の父親を殺すだろう」という神託を受けたと語る時点という説があるようですが、訳者はこれを否定し、〔論拠を示した後〕殺すように命じたこどもが生きていたと知った時点だといいます。私もその方が自然だと思います。真実の発表は、最後の方まで明かさないで、ためておきたいものですしね。ほかにも「解説」には、オイディプスがライオスを殺した現場である街道の状況のことも書かれていて納得しました。
それにしても、なぜ最初に〔イオカステは〕オイディプスを殺すのを確認しなかったのか(これは出来ないか)。なぜオイディプスに対して本当の親は他にいると知らされなかったのか(または、実の親が誰なのかを、オイディプスがつきつめて問おうとしなかったのはなぜか)。なぜオイディプスはイオカステのことを実の母だと疑うことがなかったのか。疑問は色々ありますが、こんな考えは、普段はできないはずの人生の俯瞰をしているからでしょう。こんなことは、普通の人に分かるわけがありません。だからこそ、神託の絶対性が際立つのでしょう。いくら神託に問われた運命を回避しようとも、どうしようもないということを。
翻訳は、ギリシャ語原文と英語の注記付き対訳本を底本にしているようで、翻訳に際しては声を出して、「原作の言葉の音楽性を表現し得た」ということのようです。なるほど声に出して読みたい古典ですね。
(成城比丘太郎)