- ユダヤの王の美しい娘の残酷な要求を描く一幕劇
- あとがきにある通り、セリフ中心の運命悲劇
- 現代的な怪談とは程遠い不思議な世界をのぞき見
- おススメ度:★★★☆☆
名前だけ知っていて中身を知らない本というものがあると思うが、私にとってはこの「サロメ」が該当する。多分、リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」をどこかで聴いてそれと混同していたのだが、それとは別物。
(あらすじ)王女サロメ(1世紀ごろに実在したと言われる)は、美しい娘だが、宮廷に現れた予言者ヨカナーンに愁派を送るが、あっけなく袖にされる。それを根に持ったサロメだが、実は父王エロドが大嫌い。それは娘としてではなく、女として見られていることに原因する(と思われる)。父王エロドは娘にしつこく絡んだ挙句、「踊りを踊ってくれたら何でもやる。国の半分でもよい」などと誓ってしまう。それを聞いたサロメは舞踏し、先ほどの予言やヨカナーンの首を盆にのせてくれと要求する(母親の意向もある)。戸惑う父王エロドだが、最後には……。そして訪れる悲劇。
と、まあ、あらすじだけ追えば実に単純。見どころはやはりそのセリフとサロメの描写。どうも宗教的な出来事に、官能的なイメージを持ち込んでいるため「受けた」ようだが、確かに舞台映えする設定である。ただ、これだけ読んでも、余り何のことか分からない。キリスト教的な知識が全くないので、ちょっと背景を調べてみた。
私の読んだ本では予言者ヨカナーンとなっているが、調べてみると洗礼者ヨハネらしく、彼の役割はキリストの道を備えるものという意味の前駆(Forerunner)。父王エロドはイエスの誕生を恐れてベツヘレムの幼児虐殺を行ったヘロデ(ド)の子とある。
幼児虐殺とは、また物騒な。毎度お世話になっているWikipediaによると、
幼児虐殺(ようじぎゃくさつ)は新約聖書の『マタイによる福音書』2章16節~18節にあらわれるエピソードで、新しい王(イエス・キリストのこと)がベツレヘム(ベトレヘム)に生まれたと聞いて怯えたユダヤの支配者ヘロデ大王がベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させたとされる出来事。
絵画も有名なようで、一見のどかな情景に嬰児虐殺が淡々と描かれている。そう言えば、怖い絵という文脈で、一度見た記憶がある。
などなど、そういう背景を考えると、キリスト誕生前の悲劇的なエピソードを下地に、キリストの誕生を予言するヨハネを難癖付けて殺してしまった王女の罪を描いているようだ。聖人を殺してしまう悪婦というところだろうか。ここまで書いてきてようやく何が残酷で怖いかちょっとわかってきた。
他に例えると障りがあるので、まあ「怖い本教」という教団があったとしよう。その教祖が生まれることを予見した予言者コワイがいた。しかし、異教徒「面白い本教」の王女マイルはその予言者コワイに一目ぼれするものの、コワイはそもそも歯牙にもかけずに振ってしまう。怒ったマイルは何とかコワイを振り向かせようとするが、コワイの態度は変わらず。しかも、父親のワラウは自分のことを女として近親相姦めいた迫り方をしてくる。これにブチ切れたマイルは、父親の変態性を逆手に取って、ちょっと踊る程度の代償としてコワイの首を望み、結局それを得てしまう。まさに「可愛さ余って憎さ百倍」。で、
「おお、なんという恐れ多い事だ! 一時の感情で聖なる教祖の予言者を殺してしまうとは!」
となって、父王、マイル、お妃とその国みんな仲良く不幸になるという話である。
まあ、あまりはっきり書くと怒られそうだが、あくまで「怖い本教」の場合、教祖様誕生のエピソードに箔をつけるため、このようなお話を作った。こういった悲劇・苦難を乗り越えて怖い本を世界に広める「怖い本教」の教祖、ソロシイ様は誕生されたのである。
何を書いているのか良く分からなくなってきたが、そもそも上記エピソード全般は真偽不明なので、あくまでも怖い本として楽しむ場合、サロメの狂気を堪能するということになるだろう。とにかく、同じセリフを連呼することが多いサロメは、「私にヨナカーンの首をくださいまし」などと一本調子で言うのは確かに怖い。こういう戯曲の本としては抜群に読みやすいということも付与しておく。
「まあ、振られたくらいでやっちまったな王女様」をみんなで舞台で観て楽しんでいたということなので、それはそれで怖い気もする。禁忌を破るという密かな快感にゾクゾクしていたのだろうか。うーむ。ある意味、深いな。
(きうら)