- 「幻の海洋奇譚」
- 海洋冒険ものの序盤から、怪奇ものの後半へ
- 恐怖とは暗示に満ちた不定形なもの
- おススメ度:★★★★☆
【はじめに】
『メドゥーサ』は1929年発表で、海洋冒険を装った怪奇幻想小説。本書は、本当の意味で幻だったそうです。原著も入手困難で、邦訳もなぜかされなかったという意味で幻だったそうです。個人的には、この蒸し暑い季節まで読むのを待っていました。いやほんと、海洋冒険もの小説は、この季節に読むのに適しています。海に浮かぶ船上での、なんともいえない船員たちの気だるさが疑似体験できる錯覚に陥ることができます。
【あらすじとか】
本作のあらすじを簡単に書くと、老境にはいった語り手(書き手)の人物が、自らの少年時代の恐怖体験を綴っていくのです。その物語は、語り手が少年期に直接的・間接的に人殺しに関わってしまい、そこから逃れるために、偶然知り合った船主にひろわれて、共に航海に出ることになることからはじまります。途中まではふつうの海洋冒険ものみたいな感じです。『宝島』と似ている部分があるのですが、本書では、後半の唐突に怪奇ものへとシフトしていく部分が、『宝島』と違って奇妙なのです。しかし、最初から語り手には、どこか重苦しい気分や暗示に満ちた暗さを思わせるところがあり、その象徴的な部分は、他の登場人物たちを通して物語のはじめから描かれています。それが怪奇譚に加わっていて、独特の味がうみだされています。
「この世界には謎が満ちているし、そもそも人間自身が最大の謎なんだ。人間自身もある意味で幽霊だ。それも恐ろしい幽霊だよ。しかし、人間が幽霊だというのは(わたしの言う意味がわかるかな)、人間のなかの真にして不死の部分にとっての話だ。それは神の一部なのだから、恐ろしいものであるはずがないし、また恐れてはならないものなんだ。それはこの世でもあの世でも同じだよ」(p63)
幽霊目撃騒ぎのあった船上で、少年は、庇護者である船主からこう言われるのです。これは、少年が自分の祖父の死に関わっていることへの罪の意識に苦しんでいることへの返答として言われたものです。少年は死への関与以来、暗い象徴性を帯びた幽霊像に怯えるのですが、その恐怖は「真にして不死の部分」すなわち永遠性のもとでは、恐怖するに値しないものなのでしょう。よく分からないところもありますが、このように言った船主自身の最期(に幻視したもの)をみるに、なんらかの「真」なる世界を、(この船主を通して)語り手は垣間見られたのでしょうか。
【人生訓とか】
本書は、単なるまとまりのない怪奇ものかと思われますが、しかしそれは、語り手(書き手)自身が老人になって、昔のことを振り返ったものであることを鑑みるに、この物語の不安定さは、まあ当然なのではないかと思われます。そのせいなのか、少年がおぼえた恐怖の象徴性とともに、大人たちの人生訓めいたものも印象に残ります。
「魂はそれじたい、火山島のようなものだ。だから(と重々しい声で)純粋でよく燃える燃料を思考に注がなくてはいけない。そうすれば、昼にも見える蒸気や硫黄の煙ではく、高貴な天井の炎が生まれるだろう」(p100)
少年は、夜の海上で、遠くに見える火山の炎を見ます。上にある引用は、少年が「昼の山を見たい」と言うのに対して、船主が言ったことです。ここからは色んなものを汲みだせそうです。まず、印象的な情景と著者(語り手)自身との思想が何らかの共鳴をみせているということです。それから、ここでは、過去を振り返っている著者が、記憶に残っている風景と自らが抱いている思想とを結びつけているともいえます。こういった思想性は、後に発見されるとある人物の書いた手記からもうかがえます。こういった部分も本書の魅力のひとつのように思えます。
【恐怖の体験、あるいはその感情】
恐怖体験というか、なんらかの恐怖の感情は、はじめの方から少年を苦しめています。そこが『宝島』との違いでしょうか。「不慮の事故というか偶然の法則(というより法則のなさ)の奇妙な作用」がアレコレと出来事となって登場人物たちを襲い、それらが恐怖を呼ぶのです。
物語はじめのほうは、「この世のもんじゃねぇ」と噂される幽霊目撃譚からはじまり、やがてそのネタばらしがされるのです。その後、次々に謎の出来事が起こりはじめ、読者とともに、なんだか不穏でありながら至福を伴うような追想までもが、人物たちの内面の変化として描かれます。
最後のことは詳しく書きませんが、まるで「クトゥルーの呼び声」にでも出てきそうな島というか岩が現れて、そこでの恐怖体験がクライマックスになります。とはいえ、何かタネ明かしがされるわけではなく、なんだかよく分からないまま終わります。しかしそれは、この物語を書いている人物が、「若き日の冒険」として書いているのですから、その辺を考慮すると、この不安定な恐怖譚は十分面白いものです。ホジスンの『異次元を覗く家』もよく分からないままだったことがかえって面白かったことを思えば、これもまた印象に残る怪奇幻想小説でした。
【まとめ】
クソ蒸し暑いこの時期に読むには最適な海洋冒険恐怖譚で、なおかつ象徴主義的な部分もあるので、非常に特異な読書体験でした。個性的な面子が多数出てくるので、その辺も面白かったです。
(成城比丘太郎)