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特になし

レダ【全3巻】(栗本薫/ハヤカワ文庫JA)

投稿日:2019年3月1日 更新日:

  • ボーイ・ミーツ・ガール?
  • ユートピア(ディストピア)SFとしてはイマイチ
  • 作者自身の青春のモニュメント
  • おススメ度:特になし

今年(2019年)は、小説家栗本薫の没後10年にあたる。生前は、商業出版されたものだけでも、相当数の小説を「栗本薫」名義で書いた作家なのだが、晩年あたりからは、ほぼ忘れられかけようとしていた作家でもあったように思う。個人的にはこの数年、このブログのために二作品読んだだけで、それ以前の十数年間は「グイン・サーガ」を十数冊読んだのみ。ほぼ読まない作家になっていた(でも、個人名義の作家で、私が数百冊もの書籍を読んだのは、栗本薫が最初で最後でしょう)。もちろん、その名(中島梓を含む)を忘れることは記憶のある限り、一生ないのだが、私の中では、この先もう二度と読まないであろう作家になっていた。

ここで、もし現在の読書家千人に、「今年は、栗本薫没後10年です」と訊いたとしたら、おそらく次のような結果になると思われます。
・「20%」・・・栗本薫という名前は聞いたことがないし、誰かも知らない。
・「40%」・・・名前は知っているが、読んだことない。
・「20%」・・・昔ちょっと読んだことあるが、亡くなっていたことを知らなかった。
・「2%未満」・・・最近この作家を知って、ちょっと読んだことがある。
・「1%未満」・・・好きな作家だし今でも読んでる。
・「5%未満」・・・昔好きだったが、今は全く読まない。
・「残りの%」・・・その他(好きだったことを言いたくない)。
とまあ、勝手に考えただけなので、実際はどうか分かりませんが、この先、たとえば司馬遼太郎のように国民的作家?として、たたえられることもないだろうし、完全に忘れられたころにリバイバルすることもないでしょう。なぜかというと、おそろしいほどに同時代的な作家だからだと、この『レダ』を再読して分かったからです。

作家の没年とその後を非常に気にする私にとって、10年というある意味記念となる区切りは無視できない。というわけで、何か読もうと思っていたのです。ほんで、「そろそろ何読もうか決めないとな~」と思いながら、ある日(2/13)に、栗本薫のウィキペディアをみたところ、なんとその日がまさにちょうど栗本の生誕66年に当たることが分かったのです。まあ偶然なのですが、これもなにかの縁と、「読むならやはりこれしかないな」と思っていた『レダ』を引っ張り出してきました。

ようやく本題に入ります。

この『レダ』は、栗本薫が、「SFマガジン」に、1981年から1982年まで連載していたもの。ですので、その当時(70年代か)の作者による青春時代の記念碑的な思い出が、この作品に詰まっているのではないかと思われます。おそらく「カウンターカルチャー」の雰囲気が色濃く出ている作品になっているかと思われます。その当時のことは直接知らないのでよく分かりませんが、おそらく文庫あとがきを読む限りは、そうだと思えます。

『レダ』は、近未来のSFとして書かれ始めたのでしょう。最初はそれをもくろんで書かれたということなのですが、途中から(あるいは前半で)、作者自身の心の内を主人公たち登場人物に仮託して吐露するだけの作品になっていきます。私は、25年ぶりに再読してみて、当時まだ十代だった自分は、おそらくここの部分に己の境遇を重ね合わせて読んだのだろうなと思うと、なんだか懐かしくて、読み終わってから涙は流しませんでしたが、ふと昔よく聴いた流行歌を耳にした時のような、なんともいえない気持ちに襲われたのでした(現在、「シティー・ハンター」の新作映画に合わせて、初代のやつを再放送しているが、それのOP/EDを久しぶりに見た時のような)。

本書の内容はとくに書くことがありません。話の筋としては、主人公の「イヴ」が、ある日「レダ」という年上の少女的な女性と会い彼女との関係を通して、おのれの未成熟な部分を脱し、彼が住んでいる世界を変革していくことが描かれるだけです。最初の方は、それでもSF的なガジェットらしい専門用語は出てくるものの、それらはすぐに後景に引いてしまって、1巻目の途中から、「イヴ」自身のアイデンティをめぐる内省的な自問自答が繰り返されます。ここらへんは、おそらく埴谷雄高の「自同律の不快」みたいなことを書きたかったのかもしれません。

一応、ユートピア世界がやがて「イヴ」の自覚によって、ディストピアから新たな世界の夜明けを告げるようなかんじになります。その辺りの経過を、登場人物の心境告白や対話などを通して描くので、本書は、何か外在的な世界の危機を主題的に描くというものではありません。アイデンティティクライシスに陥っていく登場人物たちが中心なので、たとえば、地球の「《上》」にある宇宙との連携のことにはそれほど重点が置かれません。それでも、最後の「イヴ」自身の自信に満ちたマニフェストは未来への希望に満ちた展望が感じられて、それは作者本人の作家生活につながる可能性をはらんでいたのだろうなと思うと、なんだかそれからの作者の経歴的に惜しいものに思えます。

では、私がこれを読みたかった最大の理由はなにかというと、それはある魅力的なキャラクターとの再会を果たしたかったからです。そのキャラクターとは、「哲学犬ファン」です。この「ファン」は、見た目はセントバーナードなのですが、科学的な改造が施され(どのようなものかは書かれていない)、人の言葉を話すことができるのです。かなしげな黒く濡れた瞳を持つ大型犬が、シニカルに哲学的な言辞を弄して、常に主人公に寄り添い冷静に励ましてくれるのです。まさに犬儒派的な犬!

この「ファン」は、栗本薫作品の中で一番愛すべきキャラクターなのです(自分調べ)。おそらく作品発表当時の最新科学の知見(遺伝子学とかか)をいかして、当時の社会に対する風刺も盛り込んだものなのでしょうが、それを抜きにしても、この「ファン」は本当に犬好きにはたまらないキャラ。なのですが、今回再読してみて、この「ファン」と主人公の交流(対話)が、全体の1割もないことが分かったのです。もうちょっとあったと思ったのですが・・・。これはもう、私が個人的に書くしかないというということですね。というか、こういった喋る犬が出てくる作品は他にあるけど(SFだとシマックの『都市』とかか)、これほどかなしげな愛すべき犬は他にいないと当時は思った。私は、自分の飼っている犬に対して、何らかの意思の疎通ができるという感触が錯覚としてあることはあるのですが、それを人間の言葉を介してできることに感動したのです。こうした技術は、ゲノム編集かサイボーグ技術によってできる未来が来るかもしれませんが、それならば科学技術も悪くないなと思った次第。

最後のまとめとしては、SFとしては落第だが、本作品は、若者の自己との内なる対話としてみれば、それなりに読める。というか、作者本人の、人生観・死生観・文明観・無常観・愛と生への讃歌(信仰告白)として読めば面白いかもしれない。ただし、合わない人には全く合わないでしょう。

(成城比丘太郎)


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