- 読書メモ(052)
- 「今何読んでんの?」
- 「一九八四年」っておもろい?
- おススメ度:それぞれ
「常々思ってきたことだが、最善の方法は、単純に、出版される本の大部分は無視して取り上げず、意味があると思われるごく少数の本についてのみ、最低限千語以上の長い書評を書くというやり方である。これから出る本についての一行か二行の短い告知文は有益な場合もあるが、六百語程度のよくある中くらいの長さの書評は、たとえ書評家が心の底から書きたいと思っている場合でも、無価値なものに終わってしまうのがお決まりだ。」(ジョージ・オーウェル「ある書評家の告白」)
【今何読んでんの?】
――今何読んでんの?
――これ。『文学問題(F+f)+』(山本貴光、幻戯書房)ってやつと、ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』(岸本佐知子〔訳〕、講談社)ってやつ。
――あんたそれ、その『文学問題』って、前にも読んでたやん?
――そう。っていうか、これ、ちまちまずっと小出しに読んでてん。
――いっぺんに読まないんかいな。
――少しずつ読んで、ほんで、色々考えてたからな。
――ふうん、で、おもろいわけ?
――いや。よう分からんけど、これ読んでなんか文学って奥が深いなって思ったんやけど。この本じゃ、夏目漱石の『文学論』を読みなおしてるみたいなんやけど、それだけじゃなくてな、「来るべき文学論」つまり未来の文学論についても色々考えさせてくれる材料があるねんな。
――理論的な本か。
――まあ、「文学」というよりも「文芸」全般についてやな。文章でつくられた創作が何か、ってなことを色んな観点からみていくねんな。
――よお分からんな。
――たとえば料理でも、どんな材料で誰がどんなふうに作って、それを誰がいつどこでどんなふうに食ったかで、色々変わってくるやろ?それと一緒やな。
――なるほどな。分かったようで分からんけど、なんとなく分かったわ。うちはあんまそんなん読まんけど。で、その『掃除婦』のなんたらいうんは、おもろそう?
――言っとくけど、これ小説やで。ハウツーものじゃないで。
――しょーもな、そんなん見たら分かるやろ。
――そうまさに、それやんか。
――なんやねん。何が「それ」やねん。
――つまりやな。この装丁みただけで、小説って分かるってことが、つまりやな、そういうことやねん。
――どんだけ「つまり」言うねん。
――これ見ただけで、ハウツー本じゃなくて、小説やって分かることが、重要な問題やねん。『文学問題』でも書かれてるけど、書物の物質性そのものが、すでに読書文化の文脈に基礎づけられてるわけやんか。これこれこういう外見をした本はこういった本やで、っていう「文学論」全体にまつわる制作に関しての予断が形作られてるわけやんか。
――なんや急に饒舌にわけわからんこと言いだしよったな。つまりあれやろ、この誰か分からん表紙の女性の写真が、読者にひとつの予断を与えてるわけか。まあよお分からんけど、たしかに表紙見ただけでたぶん小説やろって分かるのは、それそれでひとつのコンテクストやな。まあ、うちの場合はその訳者の名前見たからそう思ったわけやけどな。
――なんやそうか。でも分かるやろ。この表紙そのものが、なんか小説の内容とリンクするっつーか、読書体験に何かしらの印象を与えてくれるかもしれんってことがやな。
――なるほどそれは分かるわ。この写真がモノクロっぽいのも、この内容を暗示してるかもしれん、ってな予断を与えるんやな。
――そうかもしれん。
――で、それおもろかった?おもろいんなら、次読ませてな。
――おもろいかおもろくないかで言ったら、おもろい。これ短編集やから、ちまちま読んでもいいし、一気に読んでもいいしな。2ページで終わるのもあるから、気分しだいでどんな読み方してもええしな。内容は、この著者がアメリカとかチリとかで実際に経験したことを書いてんねんけど、全部が全部ホンマのことを書いたとは言えんみたいやけど、実際にあったことが含まれてると思うと読んでて結構おもろくなってくるわ。なんかハランバンジョーの人生を送った人みたいやけど、不幸な出来事も結構客観的に書いててユーモアもあるから、不幸っていうイメージはあんまないねんな。だからサバサバ読めるしな。ちょうど50~60年代のアメリカのジャズシーンの一端もわかるから、それもええしな。でもなあ、英語で書かれてるやつやから、これを日本語で読んでどうやねん、って思う部分もあるけどな。つまりやな、日本語で読んでも楽しめない部分があるじゃないかとは思うけど、まあおもろいんはおもろいし・・・
――いやもう、そんな喋らんでええわ。おもろいんやったら、「おもろい」だけでええねん。あんたがその著者以上に喋ろうとしてどないすんねん。
――そうか。
――そうや。でもまあ、おもろいってのが分かったから、次読んでみるわ。
【で、なんか用か?】
――で、なんか用か?
――あんな、ジャージ・オーウェンの『一九四八年』って本あるやんか、あれっておもろいん?
――ジョージ・オーウェルの『一九八四年』のことやろ?
――ああそれそれ。なんかな、うちのやつがな、おもろいから読めって言うんやけど、うちあんなん読んだことないから。
――おもろいかどうかと言われると、おもろくなくはないな。読まんでも支障はないけど、読んでおいたほうが何かといいかもしれんな。他人と本の話をするときはな。
――あれか、カラオケでみんなと楽しむために覚えておいたほうがいい曲みたいなかんじやな。
――そう、やな。
――それなら読んでみるか。
――それ読み終わったら、『動物農場』も読んでみたらええわ。
――それも、みんなでカラオケ説か?
――いやそれは、カラオケで歌ったら一部で盛り上がれる曲みたいなかんじやな。
――なるほどな、よお分からんけど。
――そのふたつ読むんなら、ついでやから『あなたと原爆-オーウェル評論集』(秋元孝文〔訳〕、光文社古典新訳文庫)も読んだらええわ。
――評論かぁ。
――評論っていっても、エッセイみたいに読めばええねん。実際そんなかんじやしな。個人的には小説よりもおもろいと思うわ。オーウェルが実際の現場で、起こったことを生で中継してるみたいな、そんなライヴ感が味わえるねんな。
――それはカラオケで例えたら?
――そうやな・・・カラオケ屋で、他の部屋で誰か知らん人が熱唱してるのが洩れてきて、それを聴いてたら、自分が唄うのが恥ずかしくなってくるかんじやな。
――なんじゃそりゃ。でも、なんか分からんけど、それもなんとなく分かるわ。
――もしそれ読んでおもろかったら、もういっそのこと、『カタロニア讃歌』とか『パリ・ロンドン放浪記』っていう、ルポルタージュ作品も読んでみたらいいわ。
――それは読むかわからんけど、とにかく『一九八四年』とその評論ってのを読んでみるわ。じゃあ授業やし、うち行くわ。
――おう。またそっちもなんかおもろいのあったら教えてくれや。
――わかった。
(成城比丘太郎)