鉱物 人と文化をめぐる物語(堀秀道/ちくま学芸文庫)
日本の詩歌(大岡信/岩波文庫)
- アニメ『宝石の国』(原作:市川春子)についての感想。
- 鉱物と人や文化との関わり(一冊目)。
- 日本の古代から中世の詩歌について(二冊目)。
- おススメ度:★★★☆☆
2017年秋期アニメ『宝石の国』は、なかなかユニークなアニメでした。あらすじは、ウィキペディアの記事を参考にすると、作品舞台はえらい「遠い未来の地球」とのこと。海中の生物が「微小生物に食われて無機物」になり、長い年月をかけて宝石としての身体をもつ「人型」の生命体(?)へと変成したという設定。つまり地球で長期間をかけてつくられた宝石(鉱物)の、未来進化系バージョンといったものでしょうか。アニメーションは3DCGでつくられ、そこにたぶん2Dの要素もインクルージョンされていると思うのですが、なかなか人体化した宝石感(?)がうまく表現されているように思われます。彼らは(性別があるのか不明も、自称は僕や俺などと言っている)、実際の宝石の硬度や特徴をベースにして、それらをキャラクターに反映させています。身体の欠けやすさ(脆さ)も硬度に由来していて、欠けた破片を集めて元に戻すこともできるようですが、これは実際には有り得るのでしょうか。
作品内容は、これら「宝石」たちと、金剛先生という見た目が仏僧のような人物が一見のんびりと暮しているのです。そこへ「月人(つきじん)」という謎の存在が、彼ら宝石たちを「装飾品」にすべく襲ってきて、それとの戦い〔と欠片の収集と修復〕が『宝石の国』のメインテーマとなっているようです。この月人襲来時のBGMが結構おそろしいというか、ひりひりする不気味さがあってよいです。主人公のフォスフォフィライトは話が進むとともに、どんどんマイナーチェンジのような形態変化を繰り返して、もはや別人のようになっていって、そこにギャグ的な要素を感じて笑えます。
2017年アニメは『けものフレンズ』ではじまり、『宝石の国』で終わるという人外アニメ(?)がヒットした年だったのでしょうか。
【※余談】先日友人から、「年末の音楽番組にけものフレンズがよく出てるが、なぜ流行ったのか」と訊かれたが、はっきりいうと業界に通じていない私にはよく分からないが、ちょっと考えてみた。ここ10年くらいの人気アニメを見ると、マクロスFは民放地上波にはたぶん出てないし(NHKでは見た)、けいおんも出てないし(たぶん)、まどマギも出てないし(NHKにカラフィナは出たが)、ラブライブは紅白にまで出た。ところで、はじめてけものフレンズのライブを民放地上波で見たときに、今まで〔アニメのそれに〕感じた妙な気恥かしさがなかった。ここに何かありそう。それは、けものフレンズには子どもアニメくらいの印象しか受けなかったということ(ポケモンとか)。つまり、出演させる側にも視聴者にも〔絵面的に〕受け入れやすかったのではないかということかもしれない。まあ、他にはあるかもしらんが、よく知らん。
『鉱物 人と文化をめぐる物語』は、人と鉱物の関係や、簡単な鉱物の歴史などを書いたエッセイ集です。学術的に厳密なことが書かれているわけではないようです。それに、内容的に重複するものもあるし、書き散らした古い記事を集めたもの(元の単行本は2006年刊行)といったかんじですが、まあ軽い読み物としてはおもしろいです。『宝石の国』に出てくる宝石について何か知ろうと思ったのですが、このアニメについての宝石情報を得るにはとくに役立つものではありませんでした(宝石の図鑑とか見た方がいいと思う)。それでも、宝石を含む鉱物のことがそれなりに分かります。ダイヤモンドは「道端に天然の結晶が道端に落ちていても拾う人は少ない」ということで、カットしないとあの輝きは出ないということは、『宝石の国』のダイヤは誰かがカットしたのだろうか。というか、『宝石の国』の世界の岸辺に打ち上げられる宝石(鉱物)は、いったいどういう原理で結晶化したのだろうか。本書で著者は、日本での鉱物に対する教育不足や鉱物収集時のマナーの悪さ、日本人の鉱物への関心の薄さや鉱物販売業者の規範意識の欠如などを嘆いています。はたしてこのアニメによってその関心は高まるのか。
『日本の詩歌』は、今年物故した詩人の大岡信が、1994年と1995年にフランスのコレージュ・ド・フランスでおこなった講義録です。古代から中世にかけての代表的な日本の詩歌を、(日本の詩歌をよく知らないと思われる)フランス人相手に簡単に噛み砕いて紹介したという印象です。まず大岡が取り上げるのは、漢詩詩人としての菅原道真です。彼は一般には、詩人としては忘却されている向きもあるといいます。讃岐に赴任した道真はそこで貧しい人々と接し、そのことをうたに詠んだのです。大岡は「為政者の不正・腐敗」や「弾劾の詩」を詠んだのは道真が唯一無二だといいます。なぜ、漢詩人としての道真が忘れられたのかというと、道真後の『古今和歌集』成立が、(詩歌を含む)日本の芸術表現に与えた影響の大きさを大岡はあげています。本書で取り上げられる和歌や、平安の女性歌人や庶民が主人公である中世歌謡(果ては俳諧にも)に、その仮名文字文学の影響が見られます。漢詩はメジャーではなくなったということでしょう。ところで夏目漱石は漢詩を多く書きましたが、その詩は本場(?)中国人にも評価されたようですが、彼の漢詩が小説ほど有名ではないのもこれが遠因か。大岡は実際の詩を取り上げながらひとつひとつ簡単に読み解いていきます。講義する相手が外国人(日本語を母語としない人)向けなので、とても丁寧に〔古代から中世にかけての〕日本人がどのようなものの捉え方をするかを教えてくれていて、もちろん日本人にも何か教えられるところがあるでしょう。
(成城比丘太郎)