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★★★★☆

古井由吉自撰作品(一)(古井由吉/河出書房新社)

投稿日:2018年5月18日 更新日:

  • 初期作品では個人的に一番好きな小説である『行隠れ』を読む。
  • 死者と生きる者が、一人の若者に重なりあう。
  • 一つの死が家族のありようを浮かびあがらせる。
  • おススメ度:★★★★☆

【はじめに】
近年出版された「古井由吉自撰作品」シリーズである第一巻の中から、私が個人的に好きな『行隠れ』を読んでみたいと思います。この第一巻目には『行隠れ』に加えて、『杳子・妻隠』という以前にも感想を書いた作品と、そこに他一編が収録されています。『行隠れ』はとくに大傑作というわけではなく、未来に遺したい名作かといわれると「どうだろう」と言うしかないですが、私は本当に好きな作品です。とくに、冒頭の一文は過去の有名なものと比べても、すばらしい文章なのではないかと個人的には思います。
その『行隠れ』は、次の一文で始まります。

『その日のうちに、姉はこの世の人ではなかった。』

「その日」とは、主人公である「泰夫」の一家が、泰夫の「下の姉」の挙式を前日に控えた日のことです。さらに、「結婚という怪物」に擬せられた力の支配が目一杯に張りつめた日でもあります。「姉(上の姉)」は、その「力」の埒外に立っているように泰夫には見えました。また、「日ましに透明な、日ましに自由な存在になっていくように見えた」その「姉」が、この冒頭の一文の後に、家から出ていったことが事実として示されます。物語が動き出すことを、「姉」の家出からはじめるのです。

【簡単なあらすじ説明】
物語の内容は簡単です。この「姉」が死への失踪をして、「姉」の死には思いも及ばなかった家族が、「下の姉」の結婚式にのぞみます。式のあと、泰夫は予定していた友人との旅行に出かけます。そして、彼が帰宅して、「姉」が死んだことを知らされ、「下の姉」を含めた家族は、ひっそりと「姉」を弔うことになるのです。
この要約では伝わらないことがたくさんあるので、次の段落から、くわしくみていきたいと思います。

【主人公、泰夫からみるくわしい内容】
さて、冒頭の一文にもどりますが、この、「その日のうちに、姉はこの世の人ではなかった」は、単なる事実、泰夫の関与できなかった過去の事実を、回想として語っています。そしてまた、全ては終わっていたという悔恨や無力やまた追憶のようなものも詰まっているように勝手に感じます。とくに、読み終えてからこの冒頭を読むと、なんだかジーンとくるものが個人的にはあるのです。泰夫が抱く、「姉」に対する思慕のきわまったようなものすら感じます(錯覚かもしれませんが)。何度も言いますが、この出だしの一文は、日本文学に数多ある名作のそれに比肩するものではないかと、個人的には思っています。

この「姉」は、(下の姉の)結婚式の前日に、「一里ほどはなれた川べりの雑木林」へと、死出の旅路として向かったわけなのですが、そのことに、この当時は誰も思いつかず、家族は皆、「姉」の家出が、以前にもあった彼女の旅行と同じものだと思うのです。しかし、そうなのでしょうか。この「姉」は右足が不自由でした。下の姉は、自分の結婚という出来事に「姉」が何かしらの引け目を感じていたかもしれないと、思いつく余地はあったわけです。下の姉が、いなくなった「姉」を心配するも、泰夫に「姉は大丈夫だ、どこかで元気にやっている」というような言葉をかけられ、一応それに納得して式に臨んだものの、結局「姉」の無言の帰宅を知り、泰夫のあの時の言葉をなじります。下の姉には、「姉」の身に変事が起こる予感はあったのかもしれませんが、自分の結婚式を控えて、凶事への懸念を優先するわけにはいかなかったのでしょう。
では、泰夫はどうなのでしょうか。

『あの時、泰夫は姉の姿に平生と変わったものを認めたわけではなかった。』

「あの時」とは、泰夫が用事をすませて帰宅中、下の姉の婚約者と歩いている時に、足を引きずりながら歩く「姉」と会った時のことです。そして、「姉」と二人で家へと向かった、最後の彼女の姿を見かけた時のことでもあります。文字通りに読むと、普段と変わりない姿に見えたのでしょう。しかし、その時に「姉」が死の決意を身にまとわせていた、いえ、ふだんからそのような傾向をおびていたことを否定するものではありません。上の一文は回想なのですから、平生の「姉」には死への傾斜があり、そのことに自分が気付かなかっただけだという泰夫の免罪符的なものとして読めなくもない。なぜなら、その時に泰夫が本当にそう思ったわけではないのだから。さらに深読みし過ぎると、これを書いた書き手の意識が、これからの展開のために、泰夫に無知のヴェールをかぶせたともいえます。

『その時の姉の姿さえ、父と母と下の姉にとっては、すでに亡き姿だった。』

「姉」の最後の姿を見たのは泰夫だけでした。他の家族が「姉」を見かけたのは、泰夫が見かけた「その時」よりも前のことであり、彼(女)らにとっては、その見かけた以降の姿は存在しないわけであり、そういった意味で「すでに亡き」者になっています。ここには、すべてを知っている泰夫の、後からの視点が入りこんでいるようです。

『その時刻を、泰夫は姉の投げこんでくれた毛布にくるまって、胸騒ぎの影もなく乗り越えた。』

「その時刻」とは、「姉」が家を出ていった時のことです。部屋で休んでいた泰夫のもとに、姉が(本当に)最後の姿を見せ、彼に「白い毛布」を渡すのです。「胸騒ぎの影」とはもちろん「姉」の身に起こることの予兆でしょう。ここには、誰も知らなかった出奔の時刻のことと、いわば過去進行形の泰夫の行動とがまじっています。このように書いているわけは、この時、毛布の中に「姉」の「書置き」が紛れ込まれており、そのことに後になるまで泰夫が気付かなかったからです。「書置き」の内容も知らずにいたその時の泰夫は、「姉」が家を出ていったその姿をも知らず、「姉」の残滓が紛れ込んだ毛布にくるまっていたのです。ここには、何も知らない泰夫と、知ってしまったあとの彼との視点が入りこんでいるようです。

ここまでは、「姉」の家出の時を中心に、主に、泰夫の行動や意識が書かれます。ここには、様々な視点が混じり合っているようにも思えます。まだ「姉」が死者となったことを知らない作中の泰夫が、すべてを知悉する書き手の眼を通して、「姉」の死を予感していないが、彼の身に「姉」の死の匂いを宿しているものとして書かれています。まだ何も知らないはずの泰夫を、「姉」の面影を探し求める主体としながらも、そこに、彼の中で死者となりつつある「姉」も入りこんでくるのです。「姉」が死んでいたという、その時には関知しえない事実が、後になって語られるという形を取り、過去を語る語りそのものが、何も知らなかった泰夫を取り込んで、「姉」の不在(=死)の磁場に巻き込んでいこうとしているかのようです。
何も知らなかった泰夫に、後から事実を知る泰夫が加わり、何も知らないが死者の影にまとわりつかれる泰夫が語られることになり、さらにそれを取り込む形で、他の家族のことなど全てが語られるという構造でしょうか。

『三人して姉の不思議な自由豁達さを思い出しあいながら、今夜の姉の行為と和解をつけようとしていた。』

この三人とは、父と母と下の姉のことです。三人は、式の前日にいなくなった「姉」のことを気遣いながら、「姉」の思い出を語り合います。ここにはすでに、「姉」の運命についての(後付けの)予感と、「姉」の行為に対しての、心の折り合いが見られるようです。家族たちが「姉」の思い出話をする場面は、もうすでに「姉」がこの世のものではないことを、先取りしているかのようです。

翌日になり、泰夫以外の家族は式場に向かいます。泰夫はひとり遅れて向かうことになり、誰もいなくなった家で、「姉」との回想に耽ります。その後、「姉」のいない式場に到着し、親戚が集まる中で、「姉」の書置きに書かれていた、「あなたが自分の代わりをするように」という役目を果たそうとします。

『どこか遠くで時を過ごしている姉の姿が、愉悦そのもののように、泰夫の目に浮かんだ。』

結婚式の日に、泰夫はこのような幻想めいたものにとらわれます。「姉」への思慕からくる彼女との一体化か何かでしょうか。「姉」の「書置き」にあった、「旅行に出てきます」という文言を信じて、あとからくる悔恨を中和する効果もあるような気がします。

『泰夫はゆうべ姉の不在にうすうす勘づき出してから今まで、物狂いの中をひたすら走ってきて、ここでいきなり目を覚ました心地がした。』

式が終わり、「物狂い」のような浮ついた雰囲気が落ち着くと、ようやく「姉」が実際にどうなったのか、わからなくなったのです。ずっと、「姉」とのやり取りに耽っていた彼は、式が終わった後の、誰も乗っていないホテルのエレヴェーターを見て、何かに気づいたのです。空になったエレーヴェーターのように、自らの中にも「姉」の行方への手掛かりがなかったことに気付いたのでしょうか。

『姉の行く方にほんの僅かの心当りもなかった。』

こうして、夢想から覚めて「姉」への手掛かりを失い、泰夫の夢想は行き場所を失うようになって、「姉」に対する思いの着地点は中吊りになってしまうのです。

下の姉の結婚式が終わった後、泰夫は以前から予定していた旅行に出かけることになります。友人たち(=岩村という男性と、あと女性二人)が待っている長崎へ列車の旅に出るのです。ここからは、列車の動きから場面がはじまり、それがまた別の物語が動き出すこととシンクロしていきます。車内での時間では、「姉」と泰夫の友人である岩村との回想が折りはさまれます。窓外の景色が流れていくのを見るように、「姉」との在りし日のやりとりや、空想でのそれが彼の意識に流れ込んできます。家族たちとの回想とはちがう、別人のそれとの圏内で、泰夫に新たな反省的意識が生じます。

『泰夫は自分の中で時間の断層が出来たのに気づいた。家を出てからひたすらに彼を運んできた時間は、今彼がその中に立っている時間と、もはやかならずしもひとつづきとは感じられなかった。それをまたひと筋につなげるか、断たれたままにして置くかは、いまここに立つ自分の振る舞いひとつにかかっている。姉がそこから迷い出ていった境い目を、泰夫は探り当てた気がした。』

泰夫がかんじた時間の断層は、「姉」が家を出る時に感じたであろう、その意識にも繋がります。ここで彼が思い浮かべるのは、家族の気配を背中に残して、家を出ていった「姉」が感じたであろう時間の「境い目」であり、その時彼に生じた反省的意識は、とうとう「姉」がいないという、彼女の死を知った叙述の時間に追いつくことになります。

『姉は死んでいるかもしれない、という思いが泰夫の中ではじめて点った。目をあけるとたちまち怖れに取り憑かれそうだが、眠りの薄膜につつまれていると、不安がほの明るくふくらむだけだった。』

不安に包まれた泰夫を、旅先で待っていたのは友人たちです。その中には彼の恋人に当たる「良子」がいました。この良子という生きている人間が、泰夫の胸にわだかまりはじめた死者としての「姉」と重なり、彼は両者の間で引き裂かれることになります。

『これほど濃い気配が人を欺くとしたら、姿を隠した人間と、いったい何をたよりに、つながりを結んだらいいのだろう。』

彼の中には、良子の気配が濃く漂いだすのです。「姉」に対しての思慕のあった場所に、良子に対する渇望が入りこんできます。良子に引きずられるように、彼は帰宅する予定を延ばして彼女との旅行を続けるのです。

帰宅した泰夫は、すでに火葬されていた「姉」と再会します。泰夫が旅行先で良子といた時には、「姉」は身元不明の遺体として発見されていて、四日も誰とも知られずに寝かされており、家族が来なければ「無縁さん」となっていたかもしれなかったと、泰夫は知らされます。そして、父が言った、「われわれは何も知らずにいた」という言葉に次のように言います。

『今の今まで知らずにいたのに、知ってみると、いままでずっと心の隅で……』
『知る知らないということは、そんなに境い目のはっきりしたことでは……』

ここで、泰夫はようやく自分が本当に何も知らなかったのだろうかと自問します。知らなかったはずなのに、しかし前からそう知っていた気もする、または、知らないということにはすでに知ることのにおいが混じっているのではないか。知らないとは知ることをふまえたことではないのか。そして知る時には、知らないということが所与のものとして前提されるため、「知る知らない」の境界線は判別できないことになるのではないか。生者がすでに死者のかおりをまといつかせているように。良子の生命力が逆に「姉」の輪郭を浮き上がらせるように。ついには、二人の女性の姿が彼の中で折り重なるように、ひとつの存在へととけあっていく、物語の最後に通じるように。

【蛇足】
ところで、この「姉」の死因については、はっきり書かれてなかったように思うのですが、蛇足ついでにいうと、間違いなく自殺でしょう。それはいいのですが、では、どのように自殺を遂げたのでしょうか。これは、おそらくアレではないかと思うのですが。アレが何なのかは書きませんが。

【最後に愚痴めいたもの】
今回取り上げた「自撰作品集」は比較的値段が高いものになっています。一巻収録作の『杳子・妻隠』は文庫で安く買えるし、『行隠れ』や『聖』に関しても、古本での値段は高くないし、『聖』は電子書籍で読めるし。ほんと、このシリーズはなんで出したんだろう。私が買ったこの一巻だけは刊行記念特別定価(2.600円)でした。現在では3,600円になっている。私は、値段とラインナップ(と解説)にあまり魅力を感じなかったので、この一巻しか購入しませんでした。他のタイトル、例えば「自撰作品集第6巻」の『仮往生伝試文』だと、講談社文芸文庫版の方が安いし、解説などもおそらく充実しているだろうし(一巻の解説から判断するに)。いや、ほんま、わからん。現在でも安く買える作品があるラインナップがあるなかで、しかも全集でもないのにこの値段とは。うーん、解せん。

(成城比丘太郎)


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